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「話をもどそう。そもそも子供という存在が、君が思っているよりも特殊なものなんだ。養子縁組が推奨されているのも、ここがミルドタウンだからだ。養子になるのは、もちろん記憶喪失の子どもだけ。ただし実子はべつだ。彼らは一定の年齢に達したらミルドタウンに留まるか、外に出るかの選択が迫られる。街の外に出ていくことを選んだなら、市民権は永久剥奪になる」

「不気味な話だ。じゃ、自分の子どもにまっとうな教育を受けさせようと思えば出て行かざるを得ないってことか。なんてところだ」

「子どもを生んでまっとうに育てようと思うような人がミルドタウンに来ると思う?」

「人間なんていつだって変わるものさ」


 それはギーにとって口癖みたいなフレーズだった。

 人は、変わるものだ。月の満ち欠け、潮の高さのように。

 不安定だということだ。

 でも僕は不安定さを望まない。

 変わりたくない。

 ずっと同じでいたい。

 そう思いながら皿の上で行儀よくしているスモモのパイにフォークを刺した。

 ふたつに割るとすかさずギーが半分もっていく。


「もう半分もあげる」


 フォークでパイを押しやる。


「甘いものを食べないミモリなんて、ミモリじゃないみたいだな」


 言いながらも、すぐにギーの指がさらっていった。


「さすがにアモとミサが自殺だとは思えない、と思ってたところなんだ」


 僕の頭の半分は、そのことについて考えている。


「他殺だと思うのか? 探偵さん。でも、誰が殺す? まさか、ジュリがか?」

「まさか。隠し部屋から出て、運よく睡眠薬を飲ませることに成功したとしても、意識のない両親をかついでいって非常階段から突き落とすなんて、とても無理だ」

「じゃ、第三者がいる……ってことだ」

「ジュリの存在を知っていた人間がいるかもしれない。彼女は自力では外には出られないからね。そして自分の日記のページをやぶりとり、僕に手紙を送ってきた。あるいはジュリがそうしただけなのかもしれないけれど」


 ひと口、コーヒーを飲んだ。苦い液体が喉をおりていく。


「シモン、とかいう上司に話を聞かなくちゃ」

「ああ……。それがいいと思う」


 アモとミサがあのコレクションを手にするためには、工場の仕組みが役立つだろう。それに、ふたりに子どもを持つことをすすめたシモンという上司が、もしかしたら何か知っているかもしれない。


「いささか古い話を蒸し返すが、お前のアパートの落書きの意味はどう考える? ダダっていうキーワードで、事件と繋がってるとすると」

「警告かな。これ以上嗅ぎまわるんじゃない、っていう」

「まあ、この街で悪さをするなら、怖いものはバルとリド、それから探偵くらいなものだな」


 もちろんギーが口にしたのが皮肉だと、ちゃんと理解できた。

 体格のいいバルや射撃がうまいリドはともかく、僕はみるからにひ弱で、武器ももっていない。警告を送る意味はないだろう。


「あるいは、壁のラクガキは告発かもしれない」


 そう口にした瞬間、心臓が冷たく凍えるのがわかった。


「告発?」

「ギー、もしかするとダダはミルドタウンにいるんじゃないかな? 記憶を失って自分がダダであることもわからず、この街のどこかにいるのかもしれない」

「そりゃ、突拍子もない話だぜ、ミモリ。殺人鬼が……か?」


 ギーは、そのアイデアを笑い話と同じように聞いていた。

 だけど、ジョークを言ったつもりはなかった。

 もちろんギーと話していると、それがどんな話題であっても僕は楽しい。

 楽しくて何もかも忘れそうになる。何もかも忘れているのに、これ以上忘れたいことがあるなんて不思議だった。


「いくらなんでも彼がミルドタウンにやってきてアモとミサを殺害した、なんて名推理をしたいわけじゃないよ。これがダダの犯行なら協力者になるはずのアモとミサを殺すはずがないからね。だから逆に、動機がある者を考えればいい……」


 なるべく冷静さを保ちながら、言った。


「四年前は僕がミルドタウンに来た年なんだ。つまり何が言いたいかっていうと……あのラクガキは誰かが僕を告発しようとして書かれたものなんだ」


 一瞬の沈黙。

 ギーの表情がけわしいものに変わる。

 視線が、カウンターの内側をちらりとうかがった。今まで見たことがないほど鋭い眼差しだった。

 マスターはラジオを聞きながら、船をこいでいる。

 客のおしゃべりには興味がないのだ。


「お前がダダだって言いたいのか?」


 ギーにケントルム中央病院の地下から持ち出したスクラップブックをみせた。

 ありったけ、全部だ。

 それらは地方紙、雑誌、ゴシップ記事、情報の真偽にかかわらず、集められた記事や、はりつけられたメモでふくらんでいる。記事は古いものから比較的あたらしいものまで揃っている。

 しかし、共通しているのが、それがすべて「ダダ」にまつわる記事である、という点だ。


「これは、誰から……?」

「クレアだ……そして、過去の僕から」


 それがミルドタウンに来る前の自分の持ち物だと伝えると、ギーは驚きを隠さなかった。


「どうして記憶を失う前の僕はダダのことを調べていたのかな」


 ギーは心なしか暗い表情で、右手で額のあたりを覆っていた。

 何かに必死に耐えているような、そんな表情だった。


「そうか……隠し部屋でお前がそのことに気がついたときに俺も気がつくべきだったんだな。どうして、四年間の記憶だけしかないはずのお前が流行りの殺人鬼の名前を知っているのかってさ」

「名推理だね」


 情報が排除されているのだから、僕がそれに触れる可能性はとても低い。

 だから、本来ならば。二日前ならば、隠し部屋でダダの顔をみたとしても僕はダダのことを何も知らないはずだった。


「どうしてふたりは僕のことを調べて監視まがいのことをしていたんだと思う? そしてジュリが僕を見て逃げてしまったのは、何故なんだと思う?」

「それ以上、俺にばかな話を聞かせるなよ。四年前、ミモリはせいぜい十四かそこらのガキじゃないか……ああ、くそ。だからなのか? だから、いつ戦場に出たのかと聞いたんだ、おまえは」


 頷いた。

 いったいどれくらいの年齢になったら、外の世界で人を殺せるようになるのか、それが知りたかった。

 最新で、便利な道具があれば、十歳の子供でもできるだろう。

 ギーは困惑し、かつ激しく怒っているようだった。


「それに夢を見るんだ。女の子が死んでる夢だ」

「夢がなんだっていうんだ。ミモリ、お前は人殺しなんかできる奴じゃない」

「だったらどうしてあんな夢を見るの? 僕が何者なのか……アモとミサは知っていたんじゃないのかな」

「絶対に違う!」


 ギーは握った拳をテーブルに叩きつけた。怒り狂った野良犬みたいな顔をしていた。

 マスターがふと、重たそうなまぶたを開けた。

 そしてこちらをちらりと見て「クレアを呼ぼうか?」ときいた。

 僕たちはセブンスを出た。

 ギーはむっつりと黙りこみ、地面の小石を蹴りつけた。

 空は白っぽく、寒さで霞んでみえる。


「ミモリ、事件の真相を明らかにしよう。ジュリの居場所を突き止めるんだ。そうすれば、何もかもわかる」


 ギーはそう言った。

 僕は質問をしたかったけれど、できなかった。


 軽蔑するかい? ギー……。


 その質問には二つの意味ががあった。


 もしも僕がほんとうに殺人鬼だったとして……。

 そして、「絶対にちがう」と言ってくれた友達を信じきれない僕を……。

 

 どうしてもできなかった。

 どうしても言葉にならない……。


 言葉にしたら、ギーが去って行ってしまうんじゃないかという気がした。

 僕はどうして、自分が何者なのかを自分で決めることができないのだろう。

 もしも僕にそうできる権利があるなら、絶対に友達をがっかりさせたりしない。


 なのに、何故、そうできないのだろう……?


 神様、と祈る人たちの気持ちが、はじめてわかる気がした。

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