ミルドタウンは特殊なコミュニティだ。

 そこに住むための条件はきわめてシンプル――記憶喪失者であること。


 何故か? それは誰も知らない。


 人口は公式発表では十万人、実際の数は一万人、おそらく満たない。

 ほぼ円形をした町の中心にケントルム中央病院がある。この病院が、行政よりもずっと重要な地位を占めている。

 灰色の町は海に囲まれており外部との接触は困難だった。閉鎖型のコミュニティだから船もよりつかない。ただ、飢えることはない。これは重要なことだ。飢えることがない、ということは、いま、地球上でもっともめずらしいことのひとつだ。

 俺がミルドタウンを訪れるまでの記憶は断片的だった。

 ばたばた音を立てるヘリのプロペラ音、テント、治療中のライト、点滴、包帯、病院、バンの荷台、そんな風景や音が、頭の中の、ばらばらのカセットテープや写真に記録されている。

 本来なら、ミルドタウンに住むためにはコーディネーターと話をつけ、審査を受けなければならない。

 そういう雑事は眠っているあいだに誰かが済ませていて、目が覚めたら――ほんとに、目が覚めたら、ケントルム中央病院のベッドの上だった。

 ミモリと最初にどこで出会ったのか実を言うとよく覚えていない。

 初めはこの街の勝手というか、やり方というものが何ひとつわからなかったし、怒ってばかりいた。刷り込み記憶のせいで言語で困ったことはないが、ここでは俺は宇宙語を喋る宇宙人だ。

 俺の目にも、ミルドタウンの住人は宇宙人に見えた。


 ミモリはその中でも、一番変わった宇宙人だ。


 ミモリのアパートは街の東側にある。

 路面電車の架線沿いにある古びたビルの一室だ。四年前からそこに住み、仕事で得られる報酬のほとんどを費やして本を溜めこみ、寝起きをしている。

 ミモリの生活には決まったパターンがある。朝、起きると、顔を洗い、コーヒーを入れてビスケットを二枚食べる。ときどき思い立ったようにサンドイッチをつくり、それをポケットに突っ込んで出かける。

 今朝はそのどれもが億劫そうだった。

 朝食を食べるか訊くといらないといい、コーヒーをすすめるとそれもいらない。冷たい水で顔を洗うのもいやがる。ふらふらした足どりでいつものコートにマフラーを巻きつけて出て行こうとするので、慌てて止めたら、案の定三十八度の熱が出ていた。

 それでも行くと言ってきかないので、用件を肩代わりすることを条件に薬を飲ませるのに成功した。

 約束していたクレアとの面会を済ませた後、保安官事務所に歩いて行った。

 事務所には珍しくバルガドと補佐役のリドのふたりの顔が揃っていた。

 バルガドは昔、欧州のどこかで警官をやっていたようだ。リドも元警官だが、どうも相当におっかない部署にいたらしく、バルより引鉄を引くのが早い。

 ミモリが熱を出したことを伝えると、バルはでかい顔をしかめた。


「そいつは可哀そうに」


 奥の席で事務仕事をしていたリドが同意するように頷いた。


「で、お前さんは何をしとるんだ」

「今日はミモリの代役だよ。何か変わったことは?」

「無い。とくに……無いな、驚くほど静かだ。市政府もあれこれ調査しろと言ってこないのでとても平和だ」

「この間の事件は片付いた?」

「まあ、ぼちぼち」

「つれないな」

「今日が何の日かわかるだろう。野暮なことは無しといこう」

「じゃあ、ここ最近、ミモリがどこで何をしていたか、仕事を請け負っていた様子があるかどうか心当たりは?」


 バルはヘンな顔をした。


「代理のくせに聞いていないとは驚きだ」

「熱を出して寝込んでいる奴を叩き起こして尋問すればよかったのか? 手帳を拝借してきた」

「みせてみろ」

「あいつの字は象形文字みたいだよ。俺がいうんだから間違いない」

「ミモリの専門家は、ギー、お前だけじゃないぞ」

「何を隠そう、私たちはその分野においては修士号を取ってますからね」


 リドが言うと、バルは肩を竦めてみせた。


「博士号だ」


 ミモリの手帳は書き込みや追加のメモで膨れている。

 綴じているゴムバンドを外し、最新の書き込み部分をデスクの上に広げる。そこには見開きのページをいっぱいに、黒いマジックで、蛇行する線と図形が書きこまれている。線の間には等間隔に並んだ四角いマーク、マークの中にときどき、潰れた丸や星のようなものがみえた。


「迷路みたいだな」とバルが感想を述べた。


 リドも手帳を覗きこんでいた。

 リドは熱心に蛇行する線を目で追いかけ、いつも通り静かに閃いたようだった。


「地図ですよ。これ……東ブロックの造成地のところじゃないかな」


 棚から地図を持ってきた。

 東側の住宅地、ミモリのアパートがある辺りよりもずっと北側だ。

 高台の斜面沿いに20戸ほどの住宅が並ぶ造成地があるらしい。地図を見る限り、階段状に建物がツリー上に並ぶ、見晴しのよさそうなところだ。


「こんなところで何をしてるんだろうな。何もないぞ、こんなところ。まったく、探偵ってのは何を考えているのやら……」


「探偵の仕事って」と口を挟む。「保安官たちでも把握できないものなのか?」


「俺たちはミモリに求められたら、情報を提供しなければいけない」とリドが淡々と言った。「ただし探偵は仕事を秘密にできる、というルールがある」


「探偵ってのは、昔、汚れ仕事をしてたんだよ。ギー、お前、この街に住んでる奴がもし記憶が戻ったらどうなるか知ってるか?」

「知らない」

「追放されるんだ。それが判明した時点で、住民とはコンタクトがとれなくなる。私物の持ちだしも、許可された物以外はダメだ。今でもそうだ」

「厳しいな。もしかして、それをみつけるのが探偵?」

「そうだ。記憶が戻ったか、あるいは虚偽の申告をしてミルドタウンに入ってきた住民を探し出して排除する。それを便宜上探偵と呼んでいた形跡がある」

「今もそんなことを?」

「いや今は医者の仕事だ。当然だろう。どうやったらミモリにそんなことができる」


 そのとおりだ、と俺も思った。

 記憶喪失者たちの中から、ミルドタウンに相応しくない者を探しだす。

 そんな魔女裁判のような陰気な真似を平気でするような奴ではない。

 もっとも、おかしなことならば、いくらでもしでかすだろう。

 

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