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俺は、意識して猫なで声を出した。
ギー、そんなことをするもんじゃないぞ、と心のどこかから声がしたが、うるさい、俺はいま、何を隠そうあのミモリの代理なんだぞとなだめすかして。
「ええ、実は手がかりが掴めそうなところなんです。それで、お手数おかけしますが、もう一度、そのラクガキのことで覚えていることを話してくださいませんか? ちょっと確かめたいことがあるんです」
そう言った。確かめたいこととはなんなのか、自分でもさっぱり検討がつかなかったが。
「もう一度話さなくちゃいけないの? 同じことを?」
「ええ、どうしても。お願いできませんか? 協力していただけたら、お礼をします。雪かきをしますよ、必要があったら、ですけど」
「あら、あれって結構、力がいるのよ」
「大丈夫。こう見えて百キロくらいは持ちあげられます。そのままランニングもできますよ」
彼女は笑った。冗談だと思ったのだろう。冗談ではない。
努力の甲斐あって、話を聞きだすことには、成功した。お喋りが好きな性格で助かった。
ラクガキというのは、ひと月前、彼女の家のドアに描かれた小さなマークだった。
赤いクレヨンで、星が描かれていたという。
ラクガキときいてジュリのことを思い出したが、言わないでおいた。関係ないだろう。たぶん。
星のラクガキのことは、誰かのいたずらだろう、と思っていたが、五日ほどたって隣の家の門扉にも同じことが起きた。今度は緑色のクレヨンでギザギザの葉っぱのマークが描かれていた。ヒイラギだろう、と彼女は思った。さらに何日かかけて、一番下の六棟すべてにラクガキがみつかった。
さらに時間が経って、いわく「上の階の家」にもラクガキが描かれた。それが赤いとんがり帽子をかぶったサンタクロースだったのだ。
そんな調子で、羊、雪だるま、と続いて、二段目の家にもラクガキがそろった。
隣の家の住人は、三つ目が描かれる前に、一応、ということで探偵に手紙を出した。保安官を呼びつけるほどのことはなさそうだと、気後れしたようだ。そしてミモリがやってきた。
話をきいていて驚いた。
ミモリはこのところ、ほぼ毎日、この住宅地を訪れていたようなのだ。
というのも、ラクガキが描かれるのは間隔があいていたし、それがいつなのかもわからない。住人たちはさほど重要とは考えておらず、消されてしまう可能性もあった。それで朝早く、空気も暖まらないうちからミモリはこのあたりを訪れラクガキを探し、住人たちと話をしていたという。
風邪をひくはずだ。
「ところで、あのリースは手作りですか? リボンの配色がストールと同じですね」
さり気なく話題を変える。彼女はそのことに触れられて嬉しそうだ。
「ええ、そうよ。といっても、私の手づくりではないの。以前、このあたりに住んでいた女の人。手先が器用な方でね。きっかけは私なの。作り過ぎた料理をご近所にわけたことがあって、そのお礼にいただいたのよ。ちょっと素敵でしょ? すぐに評判になって、このあたりの家にひとつずつ、作ってもらうことになったのよ」
「へえ……。ということは、その人にそういう特技があったことは、それまで知らなかった?」
「ええ。なんというか、本人は飾り気の無い人で。クリスマスの時期になっても、何も飾らなかったしね。一応、宗教のことでもあるし、あまり口にするものじゃないからそれまで聞かなかったの。あら……そういえば、この話も探偵さんとしたことがあるような気がするわ」
「すみません。でも、面白い話だから、もう少し。リースをこのあたりの家全部に、ということは、あの一番上の広場で絵を描いている人のところにも……?」
「ああ、彼はね……」
その話になった途端、彼女は表情を曇らせた。
*
住宅地を歩きまわり、今朝ラクガキが描かれたばかりという家をみつけた。
それはある意味簡単で、ある意味極めて難しい作業だった。というのも、その家は広場に近い四段目の右端の一軒なのだが、その家だけ、壁や庭、塀にいたるまで、やたら豪華なイルミネイションに囲まれていた。
ピカピカに光るトナカイやサンタクロースの人形が喧しいくらいに置かれている。色彩も緑と赤を基調にしていて目に痛い。ラクガキを探しながら歩いていると、見過ごしてしまう。
住んでいるのは若い女性で、ごく最近、この家に越してきた人物だった。
住人ですら窓枠をごてごてと彩る発光ダイオードの下にリースの形の小さなラクガキをみつけるのは難しかったらしく、近所の人々がそのことを指摘するととても驚いたらしい。
彼女は俺を何のためらいもなく迎え入れた。
その感じからすると、ラクガキが描かれると、ミモリは「事件の兆候」がないかどうか必ず家の中に入り調べていたようだ。
そしてミモリは彼女とも顔見知りで、彼女のほうもラクガキがされた以上当然訪問してくるものと考えているようだった。
よって話はらくに進められた。が、ラクガキについてとくに新しい情報は得られなかった。
彼女たちはラクガキのことは悪戯程度に考えていて、深夜から明け方のことには全く注意を払っておらず、周囲の家に住んでいる人々も60歳以上の高齢者なので物音に気がついたとは到底思えないとかいう話だった。
派手な外見に負けず劣らず室内はクリスマスの飾りでいっぱいだった。
暖炉の上に銀色のリースがかけてあるのが目に入った。銀色のリースには、ほんのりと黄色く色づいたドライフラワーの薔薇がふたつかみっつ、いやらしくない程度にさり気なく飾られ、飾りつけの中では一番地味だが、とても好感がもてた。
ぴかぴかのトナカイを非難するわけではないのだが、まあ、趣味の問題といえそうだ。
「あのリースは、もしかすると手作り?」
訊ねると、ちょっと困った表情を浮かべる。
「そうなの。でも、私が作ったわけではなくて……この家に最初からあったものなの。箱にしまわれていてね、まるで私たちへのプレゼントみたいだった」
「最初からというと、引っ越してきたときから?」
「机や箪笥、家具も大体そう。この家、住んでいた方がそのままにして出て行かれたらしくて。ええ。こまごまとしたものは処分したけれど、大多数は状態もとてもきれいだったから、ここに引っ越すことにしたの。そのほうが都合がよかったのよ。パートナーと、ふたりで暮らす予定だから」
「おめでとうございます」
「ありがとう。ミルドタウンって、暗い町で馴染めないと思ったけれど、このあたりは雰囲気がいいのよね。希望がもてそうだわ」
そう言う彼女はとてもうれしそうだった。うれしそうな夫婦なんて、ますます珍しい、と俺は思ったが、言わないでおいた。
ミサとアモの死体のことも思い出したが、それも忘れることにした。
「カレンダーみたいよね」
不意にカレンが呟いた。
カレンというのが彼女の名まえだ。
「どうして? というか、何のこと?」
「あら、ごめんなさい……ただ、何となく。あのラクガキが、カレンダーみたいだなって、そう思ったの」
「カレンダー?」
「どうしてかしらね。どうしてそう思ったのか、自分でもよくわからないわ」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
このまま待っていても、答えが訊けるかどうかは五分五分だ。
彼女は何故なのかを忘れているかもしれない。覚えていたとしても、病院が彼女に何らかの薬を処方していたら、ぼんやりとしているかもしれない。
気に食わないが、ミルドタウンはそういうところだ。
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