10


 病院の建物の裏側に、奥に続いていく細く踏みならされた道らしきものがある。

 やや足早に先を歩くクレアに従ってついていくと、かすかに刺激臭が漂ってきた。

 臭いはどんどん強くなっていく。


 突然道が開けて、煉瓦造りの洋館が姿を現した。見たことのない建物だ。

 一階の、向かって左側が焼けている。

 二階のテラスに付着した煤の様子をみると、火はかなりの勢いでもって這いあがったのだろうことがわかる。


 彼女はカードキーは使わずに、両開きのドアを押して中に入った。

 スプリンクラーがじゅうぶんな仕事をしたとみえ、どこもかしこもずぶ濡れだった。

 絨毯はもう、取り返しがつかないだろう。致命傷だ。

 死んでしまった絨毯の気持ちの悪い感触をこれでもかと味わい、クレアは爽やかな顔でエレベータを呼びだし地下へ向かうボタンを押した。


 エレベータには階数を表示する装置はなかった。

 ただ地下に向かうためだけに設置されているものなのだ。感覚としては、五十メートルは降りた気がする。

 シャフトが停止し、扉が開く。

 調度品のないすっきりとした小部屋があり、また、扉があった。

 そこはカードキーではなく、指紋と虹彩の生体認証を用いて開くものだった。

 頑丈な鉄製の扉で、警備システムもちゃんと息をしているみたいだ。

 ここでは、多少の火事は想定されたケースだったのだろう。


 扉を開けると「さあ、はやく入って」とクレアが手振りで伝えてきた。

 中に入り、扉を閉めると、それを感知して明かりがついた。

 そこに広がる風景を目にして、僕は唖然とした。

 高い天井と、コンクリートの床。

 広大な空間に、整然と棚が並んでいる。

 目がちかちかする。

 こんなところに、なんでこんな空間があるのだろう。


 ずらりと並んだそれぞれの棚にラベルの貼られた箱がぎっしり詰まっていた。


 好奇心に負けて、手近な箱に手を伸ばし、蓋を開けてみる。


 そこには一冊の本が入っていた。

 知っているタイトルだ。児童むけ。

 グリム童話の本だった。

 ページをめくる手が、なんとなく、お菓子の家の挿絵で止まる。

 ヘンゼルとグレーテルのお話だ。

 道に迷った兄妹は森をさ迷っているうちに魔女の家にたどりつき、捕まってしまう。兄はごちそうで太らされて、そして妹は……。


 妹は……。


 なじみ深い物語なのに、続きを思い出せない。

 なぜだろう。

 読んだことがあるはずだ。

 いつか、どこかで。


 ミルドタウンに来てから……?


 そのはずだ。

 有名なお話だ。耳にしたことくらいはあるはず。


 でも、妹は、それからどうなったんだっけ?


「来て、こっちよ」


 クレアが扉のそばにある操作盤に何かを入力して、いくつか設置されている端末を手に取った。

 そして手招きをする。

 僕は本を箱にもどし、彼女の後ろ姿を追った。


「ここでは市民が街に移住する前に所持していた物品で、ミルドタウンへの持ちこみが許可されず、処分もできなかったものが保管されてるの」


 箱はどれも同じような、茶色い味気ないケースで、名前など個人を示す記号は何ひとつ書かれていなかったが、棚に小さなランプがついており目的の箱の上でぴかぴかと光って位置を知らせてくれる仕組みのようだった。

 そしてその位置を端末でモニターすることもできるようだ。

 クレアは棚からひと抱えほどの箱を取り出してくれた。

 僕は箱をどこに置こうか迷ったが、とてもきれいで問題なく思えたので、床に置いてふたを開けてみることにした。


「これが僕の?」

「そうよ。あなた以外にだれがいるの?」

「普通は何が入ってるものなのかな」

「思い出の品や、高価な宝飾類、美術品や手紙なんかが多いわね」

「こういうものが残っているなら、たとえば、リドのために写真か何かを探してあげることだってできるんじゃないの?」

「個人的な興味で閲覧することはできないのよ」

「研究なら良くても?」

「そうね、研究のほうがいくらかマシだわ。あと治療ね」


 僕はミルドタウンに来たとき、品物を預けたことがあったか思いだそうと試みたが、その記憶がありそうなところは濃い灰色の絵具がぬりたくられたようになっていて、どうしても読みとれない。


 ただ……すてきなものだといいな、とだけ、少しだけ、思う。


 すてきなもの。

 ワインのコルク、お菓子の包み紙。

 きれいな表紙の絵本。

 写真のついた葉書。

 おもちゃの車……。


 けれど、ありとあらゆる予想は一瞬で裏切られた。

 箱を開けると、そこにはぎっしりとスクラップブックが詰めこまれていた。

 どれも新聞記事や雑誌の切り抜き、それも殺人や誘拐などの事件記事ばかりが集められていて、一分の隙も無く、で埋め尽くされていた。


 そこから感じられるのは、すさまじいまでの執着心、憎悪、あるいはただの好奇心……。


 どれも、今の僕には持ちあわせがないものばかりだった。



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