22
「一発もらったくらいでごちゃごちゃ言うな。だいたい、お前のほうこそ本気だっただろう。いったいなんであんな真似をした?」
あんな真似、というのはもちろんヒスを殺そうとしたことだ……。
僕も知りたかった。ギーは強いけれど、無用の暴力をふるうことはない。少なくとも今まではそうだった。
「しゃべらないなら、しばらくは事務所で暮らしてもらうことになるぞ。手錠つきだ。鉄格子のある部屋で寝てもらうからな」
「普段よりも贅沢なくらしだ。いつになったら出られる?」
「話すまでだ」
その様子は、とことんあきれ果てているといった様子だった。
リドに呼ばれ、バルガドは取り調べ室のほうへ行ってしまった。
僕はギーが牢屋に入れられる前に訊かなければないことがあった。
「ギー、あのときヒスは何て言っていたの?」
ギーは僕と真正面で向きあった。
彼は嘘いつわりのない真っ直ぐな瞳で、僕をみていた。
うぬぼれているわけじゃないけれど、僕には話してくれるだろう、という予感があった。あのとき、ギーは一瞬、僕をみた。
きっと、何か僕に関係がある話のはずだ。
「どうしてヒスを殺そうとしたの? 理由をバルに話さなければ、君は危険人物として追放されてしまうかもしれないよ」
口調は自然ときつくなった。
僕はギーに対して怒っていた。
何故あんなことをしたのか。自分の立場を悪くするようなことをしでかしたのか……。
それは自分でも驚くほど激しい怒りだった。
それなのに、ギーはそんなことは素知らぬようすで微笑んでさえいるのだ。
ギーがおだやかであればあるほど、僕は混乱し、そして怒りは激しいものになっていくのを感じた。
「ミモリ、俺が怖いか?」
「怖くない。君を怖がる理由がない」
「俺も同じだ。お前が何者でも恐れない」
バルガドがリドとやり取りをしながら取調室に入っていったのを見届けて、ギーは僕の耳元に唇を寄せた。
「ミモリのことを殺人鬼だと言った」
殺人鬼。
その言葉に、息が止まりそうになった。
ギーは続けた。
「ヒスが……?」
「そうだ。アモとミサが、そう話していたと言った。それをみんなに伝えると脅したんだ。お前をミルドタウンから追放するって……」
「僕を?」
「そうだ。もちろんヒスの言うことなんか、信じちゃいない。けど、くわしいことを聞きだしている時間も無かった。ためらっていたら、すぐにバルガドたちが来てしまう。ヒスの口をふさぐなら、あの瞬間しかない」
僕は、ギーからそっと離れた。距離を取った。
ギーはおそろしくつめたい目をしていた。
彼は冷静そのものだ。
反対に僕はしばらくの間、息をすることと、言葉との両方を失った。
そして堪らない後悔の大きな塊に、胸が押しつぶされていくのを感じた。
「ギー……なんてことを……」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
なんてことを。
「間違ったことをしたとは思ってない。前に、俺に聞いたよな。人を殺したことがあるかってさ。あるよ。数えきれないほどだ。いまさらひとり増えたって何もかわらないんだ」
ギーはそんなことはしない、と言いかけた言葉は、出て来る前に引っこんだ。
ギーは真剣に、僕に何かを伝えようとしてくれているんだ。
「俺は善人じゃないし、いいことをしたとは思ってない。でも倉庫でああしたことは絶対に間違いじゃなかったって言い切れる。もしそのせいでミルドタウンから追い出されることになっても、後悔しない」
それを聞いても、どうしていいのかわからなかった。
そんなことになったら僕は絶対に自分を許せなかっただろう。
「どうしてそこまでして僕のことを……?」
「大抵の人間は俺のことを嫌う。血に飢えた頭のおかしい人殺しだと決めつける。今はおとなしくても、いつか武器をもって暴れ回るだろうって。だから、ときどきその通りにしてやりたくなるよ」
僕は黙って首を振った。
ギーがそうしたのは戦争のせいだ。
戦争に行ったら、どんなに優しい人でもそうしなければいけないんだ。
「だけど、お前は恐れなかった」
「当然のことだよ。君は英雄だ」
「そうかもしれない。ミモリ、お前が言うなら俺は英雄だ。でも、ほんとは、それは俺が決めることだ。他人が自分をどう言うかじゃない。最後の最後に自分が何者なのかを決められるのは、自分だけなんだ」
「僕には、できない」
記憶がないんだ。
自分が何者で、どこから来たのか……。
どんなことをしていたのか、何も知らない。
「どんな過去かなんて、関係ない。お前が何者でも俺はお前の友達だ。だからそうしたんだ」
ギーは手錠のついた腕をそっと持ち上げた。
ヒスをなぎ倒し、殴りつけた腕だった。
驚くほど優しい手つきで僕の頬に触れた。手の甲が顔の輪郭を撫でて、顎のほうへとおりていく。
なんて言えばいいのかわからなかった。
今日は路面電車の座席に座らなくても、懐かしいことを思い出した。
とくべつな努力をしなくても、ギーにはじめて会ったときのことだけは、いつでも思い出せるんだ。
そのころの僕はいつもひとりぼっちだった。
何をするのもひとり。
眠れない夜も。
おもしろいこと、楽しいことをみつけたときも。
誰かに話しかけるのは怖かった。
どうしたらいいのかわからなかった。
何か間違ったことをしてしまわないかな、こんなことを言ったら機嫌を悪くしたりしないだろうか、そんなことをよく考えた。
そして何か手順を間違えてしまったときは、夜遅くまである考えが自分を支配し続けるんだ。
つまり、僕がときどき誰かを困らせてしまうのは、僕が……。
僕の過去の、白紙の部分が。
他人としか思えない《彼》が、ひとりぼっちで誰からも愛されない、そんな人だったからじゃないかな……。
クレアが支えてくれていたけれど、彼女は自分の仕事に忠実で、いつも患者には入り込めない部分、踏みこめない世界を持っていた。だから寂しさはいつしか僕自身の一部になっていた。平気になっていた。
食事も散歩もひとりぼっちで大丈夫だ。
どうせ、ひとりが好きだし。
いつもそう言い聞かせてた。
季節は夏で、とても暑かった。異常気象だとラジオが言っていた。
未だかつてミルドタウンがあんなにも暑くなったことはない。
ある日、図書館の倉庫でサイダーの瓶を一箱分、みつけた。スーパーマーケットの陳列棚じゃなくて、図書館の倉庫だ。まちがいなく。なんでこんなところにあるのかは、誰にもわからなかった。
それで、一番近い冷蔵庫からバケツに氷を入れて図書館に運びこむことにした。
何をしてるんだって、みんなが僕を遠巻きにして笑ったけれど、全然平気だった。
いつもそうだったから。
三回目を運んでいる途中で、僕は道端に座り込んだ。最初の氷はとけてしまっていた。暑くて汗が流れ出た。全部のことがどうでもよく思えた。
何もかもが無駄だったような、そんな気持ちになったんだ。
それで……そこに、ギーが偶然通りがかった。
後から聞いたら、ギーは、そこでしばらく僕が汗だくになっているのを見てたっていうんだ。声もかけずに。ひどいやつだと思う。
彼はTシャツを着て、かっこいいジーンズを履いて、煙草を吸っていた。
今はあまり吸わなくなったけど、そのときはよく吸っていた。
ギーは何も言わずに重たいバケツを持ち上げた。
そして古いビニールプールを氷でいっぱいにして、山ほどあるサイダーの瓶を冷やすのを手伝ってくれた。
それで、僕に右手を差し出した。
俺はギーっていうんだ。
よろしく。
ところで、なんで瓶のほうを運ばなかったのか聞いてもいいか?
そっちのほうがよっぽど簡単そうだったぜ。
緊張して、うまく話せなかった。
それで……。
それで、僕は、急にすごく寂しい気持ちになったんだ。
なんでかな。
なんでなのかな……。
そうして、僕はギーと友達になったんだ。
ギーは当分、保安官事務所から出られない。
さよならを言って保安官事務所を出た。
あかりに照らされた街は、濡れて、夜の暗闇と混ざり合って黒々と光ってる。
雨が降ったんだ、いつの間にか。
雨は、降ることをどうやって決めるのだろう。
神様か、それとも。
自分で決めるのかな……。
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