終幕/後

     2


 宗間そうまさとされてからすっかりしょぼくれていたはただったが、ツギに「あんたがしょぼくれてると盛り上がらなそうだ」とはげまされ、あっという間に元気になった。

 そして宴は続き、日が暮れて、すっかり夜も更けた。

 火の消えた囲炉裏の周りでみな眠っている。

 と、ハジメは目を覚ました。かわやだ。

 のそのそと立ち上がり――台所を通った方が早いが、寝惚けているため癖で――縁側へ出る。

「こんばんは」

 声のした方を向く。その者が誰であるか認識した瞬間、目が覚める。

「死んだかと思ってたよ、厄病神くん」

 月明かりに照らされた少女は昔と変わらぬ笑みを浮かべ立っていた。

「……佐島さじま……」

「……さっちゃんって呼んでくれないんだ」

「なにしに来たんでずか」

「なにって……決まってるでしょ。こんなに人が集まってるのに、今まで不思議に思わなかった?」

 そう、彼女たちが見逃すはずがない。ほんの数十人の集落。されど、今の日ノ本で数十人が暮らす場所などそうありはしない。【人殺し】がその名の通り殺しを目的とするならば、ここは格好の狩場ではないか。

「集落の人に手を出したんでずかっ」

「これからね。決行は明日の晩」

「……どうしてそれを教えるんでずか?」

「恩返し、かな」

 意味がわからなかった。佐島の口からそのような言葉が出てきたことも、それが誰に対しての言葉なのかも。

「どうして人を殺すんでずか?」

「『鬼』を滅ぼすため」

「『鬼』を滅ぼす……?」

 思いもしない答えだった。

「みんなは『鬼』が憎くて憎くてしようがないの。だけど『鬼』は殺せない……。けど不死身じゃない。食べる物がなくなれば『鬼』もいずれは飢えて死ぬ。人がいなくなれば『鬼』もいなくなる」

「それじゃあ……自分たちも――」

「そうだね」

「……大切な人も殺すんでずか?」

「どうして――みんなは『鬼』が憎いんだと思う?」

 返された問いが答えだった。

 さとったハジメは言葉を失った。

 そして、佐島がそれ以上の事を語ることはなく、

「逃げるなら今のうちだよ」

 それだけ告げると、夜闇の中へ消えていった。


 ハジメはみなの眠る居間には戻らず、自室のすみで膝を抱えていた。そばにいるのは二匹の、漆黒の蜻蛉とんぼだけ。

 ハジメは考えていた。どうすればみなを【人殺し】の手から守れるのかを。佐島が残していった言葉たちを。

 大切な人も殺すのかと、尋ねたら佐島はこう答えた。

 ――どうして――みんなは『鬼』が憎いんだと思う?

 それは――もういない人を、殺せると思う? という意味だった。

 大切な人を奪われたから、みんなは『鬼』が憎いのだ。

 その気持ちを否定はしない。けれど、わかるとも言えない。

 ハジメにも大切な人を失った――奪われた経験はある。そのとき感じたのは、ただただ、哀しさと寂しさだった。

 言葉としての意味は知っていても、感じたことのない感情。だからわかるとは言えない。

 憎しみのためなら人を殺しても構わないのだろうか。

 是非を定める法はない。

 正解を教えてくれる神の声を聞く耳は残念ながら持っていない。

 が、ハジメの中で、答えは始めからでていたように思えた。

 朝がやってくる。

 部屋がわずかに明るくなり、手の甲に止まる漆黒の蜻蛉が浮き上がる。

 この蜻蛉が触れていると、不思議と心が落ち着いた。

 固い意志を瞳に宿し、ハジメは立ち上がった。


 居間へ行くとみながまだ寝息をたてていた。

 ツギは柱に寄りかかって静かに眠り。旗は酒壺を抱え、幸せそうな顔で転がっている。

 二人の前を忍び足で通り、宗間と平野の傍に立つ。

 二人は寄り添って眠っていた。

 思わず口元がほころんだ。

 ハジメは囲炉裏の傍に何事かを書いた紙を置いた。

 再び忍び足で居間を出ようとする。

「どこに行くんだ?」

 ツギに呼び止められ足を止めた。

「起こしちゃいましたか?」

「いや。俺は浅寝が得意なんだ。あの女のところに行くのか?」

 ハジメは眉をひそめて笑う。

「あなたにお願いがあるんでず。僕が帰って来るまで、みんなのこと守ってくれませんか」

「俺がそんなお人好しにみえるか?」

 ハジメは障子に手をかけ、

「見えまず。ツギさんはきっと、僕が出会った誰よりもお人好しでずよ」

 居間を後にした。

「とんだ買いかぶりだな」

 ツギは瞼を閉じた。


     3


 寺子屋を後にしたハジメは薄暗い畦道あぜみちを歩いた。

 歩いているが、佐島がどこに居るのか見当は付いていない。この近辺にいるのは間違いないが、それだけだ。

 こういうとき血の臭い以外にも鼻が利けばと思う。

 意外にも佐島から血の臭いはしていなかった。水で流したくらいで消えるものではないのに。

 肝心な時役に立たない鼻だ。それでも捜さなければならない。

 気を引き締め、冷静に思考を巡らす。

 幸いここはよく知る土地だ。薬種になる物を採ったり、動物を狩ったりで、山のことまで知り尽くしている。

 佐島たちが居るとすれば山の中、それも数人で潜めるところだろう。そういうところの見当ならいくらかある。

 行き先が決まり、ハジメは歩調を速めた。


 太陽が真上に来ようとしている。

 ハジメは寺子屋から離れているためあまり来ることのない、洞窟の傍にやって来ていた。

 ここは長らく無人だと聞いていた。

 しかし間違いない。人の気配がする。

「逃げなかったの?」

 頭上から声が降ってきた。見上げると捜していた少女が木の上に座っていた。

「それとも、一人だけで逃げてきたの?」

 意地悪で言っていることはわかる。それで神経を逆なでされることはない。

 ハジメは冷静に佐島を見つめた。佐島は意地の悪い猫のようで、尻尾の代わりに片足を垂らし、揺らしていた。

「もしかして……たしたちのこと、殺しにきたの……?」

 是非は決まっていた。

「頼みがあってきました」

 佐島は少し意外そうな顔をした。

「へぇ……どんな?」

「【人殺し】の一番偉い人に会わせてください。話したいことがあるんでず」

 佐島が目を見開いた……ように見えた。

「いいよ。連れてってあげる」

 ひらりと木から下りると数歩進んで振り返り、

「連れてったあとは、知らないよ」


 太陽と月が幾度も入れ替わった。

 その間、佐島は南に向かって歩き続け、数歩後ろをハジメが付いていった。

 二人が言葉を交わすことはほとんどなかった。

 佐島は歌を歌っていた。毎回同じ、聞いたことのない歌。


 遠くに見ていた山中歩く

 振り返っても 名を呼んでくれる人はいない

 父さんも 母さんも 兄弟もいないから

 鬼に喰われて ってしまったから


 見たこともない野原を進む

 家に帰っても おかえりはきこえてこない

 父さんも 母さんも 兄弟もいないから

 誰も帰ってこない ひとりぼっちの家だから


 ねぇ 父さん 名前を呼んで

 ねぇ 母さん おかえりと言って

 もう 静かなのはいやなんだ


 誰か 名前を呼んで

 誰か おかえりと言って

 もう 静かなのはいやなんだ


 最初に聞いたとき、自分を詠った歌かと思い、ハジメはむっとした。けれどすぐに違うとわかった。

 これは、この歌は、この世にありふれた子どもたちの歌だ。

 自分と重なったのは自分もまた、その中の一人だったからだ。

 歌を聞く度に、ハジメの足取りはしっかりしていった。

 ――そうして連れられ辿り着いたのは海の傍だった。夕日に海が赤く染められていた。

 上から見るそこは町だった。焼けて炭になったいにしえの町。

 町が焼けたのはずいぶん昔――〈したこよみ〉が始まった日の話だ。けれど町のむくろはそこにあり続けている。暦そのものが死んでしまったかのように。

 そんな町の中、浮いた建物が一つ。町が焼ける以前の姿で時が止まっているのか、そこだけ時が進んでいるのかはわからない。

 周囲を掘りに囲まれたそれは寺子屋さえ比にならないほど大きく、立派な屋敷だった。

 佐島はその屋敷に向かって歩いていた。しばし呆気あっけにとられていたハジメも後に続き、再び歩きだした。

 下に降りてみると歴史を知らぬハジメにも、町が異様であると感じとれた。

 においがしなかった。

 なにかが焼けたにおいも、炭のにおいも。するのは微かな潮のにおいだけだった。

 寒気がするほど気配の遠い町。

 屋敷を囲む堀の前に立つと空気が違っていた。

 幅の広い堀に架けられている橋を渡り、屋敷に足を踏み入れた。

 屋敷の中は夕日に赤く染まっていた。

 長い廊下を歩く。

 次第に日が沈み、暗い赤に変わっていった。

 佐島が立ち止まった。ハジメも立ち止まる。

 そこは両開きの戸の前だった。

 佐島が振り返り言う。

「ここから先は一人で行くんだよ」

 つっと佐島が脇に退き、道を作った。

 ハジメは数歩進み、戸の前で深く息を吐いた。

 取っ手に手を掛け、引いた。

 僅かな隙間ができたところで一瞬手を止め、そして勢いよく開け放った。

 広い板間。その奥、ハジメと向かい合う位置に、その者は座っていた。

 上手に立っていた誰かがその者に何事か耳打ちする。

 するとその者が口を開いた。

「お入り」

 低く、地の底から響くような男の声だった。

 ハジメは敷居をまたぎ、板間に足を踏み入れた。

 一歩、一歩……。進むほどに掌がじっとりと湿るようで不快だった。

 その者の数歩手前で足を止める。

 近づいても顔は見えなかった。白い毛が目元を隠しているからだ。髪にしては長すぎるそれはその者の周囲に敷物のように広がっている。よくよく見れば白鷺しらさぎが数羽まぎれている。何故白鷺。訳がわからないがうっかり数えてしまいそうになる。

 ハジメはその者を見据えた。

「あなたが【人殺し】のかしらか」

「そうだ」

「あなたに話があってきました」

「その腰の物で斬りかかってもよいのだぞ、厄病神よ」

「……僕は誰も殺しません。あなたのことも殺しません。誰がなんと言おうと僕は人を殺さない」

 それがハジメの答えだった。

「……話を聞こう」

「僕が『鬼』を滅ぼしまず。だから人殺しを止めてください」

 その者の顔が目前まで迫ってきた。しわだらけの浅黒い肌。長い長い年月を生きてきた老夫の顔だった。毛が分かれてあらわになった瞳は、光を失っていた。

「随分都合のいい話だな。おまえが『鬼』を殺して回る間、黙って待っていろというのか。何年何十年先まで叶えられるかもわからぬ話を、おまえを信じて待っていろというのか」

「そうでず」

「日ノ本だけではない。この世に蔓延はびこる全ての『鬼』を殺すのだ。おまえ一人の一生で成し遂げられると? 今ここで死ぬかもしれぬのに?」

 その者の骨ばった指がハジメの首に食い込む。

「一度は死んだ身、再び死んでも成し遂げまず」

「――はっ……はははははっ!」

 その者は腹の底から笑い声をあげた。まだ笑いの残った調子で告げる。

「いいだろう。【人殺し】頭領の名に於いて、組員全員に殺しをさせぬと約束しよう」

 その者はハジメの首から手を離した。

「おまえの名を聞いておこう、厄病神よ」

「薬医師宗間の弟子、ハジメ」


 時は数日遡り、宴の翌朝。寺子屋の居間で平野は目を覚ました。障子紙を通してやわらかな朝日が差し込んでいる。

 骨ばった体が痛むのか、腕をさすった。

 首を回すと隣で宗間が寝ている。寝方まで不器用なのか着物がはだけていた。平野は甲斐甲斐かいがいしく直してやる。

 居間を見回した。

 旗とツギが眠っていた。しかしハジメの姿が見当たらないことに気づく。

 怪訝けげんに思った平野は立ち上がり、そして、一枚の紙を見つけた。

 手に取り、広げて見る。

 書置きだった。

 書置きにはこう書かれていた。


『 必ず帰ります。

      ハジメ 』


     4


 一〇〇〇年後、〈死した暦〉は終わっていない。

 ――けれど、“はじまりの者”がいれば“終わりの者”もいる。


 初老の店主とその娘で営む蕎麦そば処。

 店の奥でまだら髪の少年が起き上がる。

 少年のかたわらには連れの少女。

「起きた、

 そして一頭の紋黄揚羽もんきあげはが止まる漆黒の薙刀なぎなたがあった。


〈続〉

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