七 根雪に赤き/後


 なにやら外が騒がしい。

 バタバタと駆ける足音が近づいてくる。

 ハジメが本堂の障子戸を開けると、慌てた様子の旗がやって来たところだった。

「ああっ、ハジメくんよかった無事で。こんなところに居ったんですね」

「なにかあったんでずか?」

「大変なんですよ! ちょうさんがハジメくんの刀を持って……!」


「っ……」

 薙刀を構えたオワリが歯噛みし、

「ったく。厄介なことしてくれたもんだぜ」

 金棒を持ったツギと二人、その者と対峙していた。

 太刀を盗んだ張本人。【人殺し】の長は、その刀の「意志」に吞み込まれていた。

 ――あなた方を応援しているんです。

 そう言っていた男の言葉は偽りだった。

 しかし、すべてが偽りではない。

 ――直接『鬼』を叩けるのなら、それが望ましい。

 それこそが男の本音。

 男は自らの手で『鬼』を屠ることを望んでいたのだ。

 今日こんにちまで虎視眈々と、『鬼』を屠る武具を己が手にできる機会を狙っていたのだ。

 そして男は望みの太刀を手に入れた。が、それを自在に操ることは叶わず、見境なしに切り暴れる狂人と化してしまった。仲間をその手で斬り殺してしまったことも意識にないだろう。

 これがただの刃物を持った気狂いだったなら問題ではなかった。

『鬼』をも屠る漆黒の太刀に対抗できるのは、同じ『鬼』を屠る武具だけだ。他の物ではその刃を受け止めることすらできない。

 いや、それでもやりようはあるのかもしれない。しかし、この場にそれを可能にする技術を持った者はいなかった。

 オワリは『鬼』を屠る薙刀の持ち主であるが、戦力としてはいまいちだ。

 ツギなら相手を無力化できる可能性がある。しかし、今回はてこずっている。

 気が狂っているとはいえ、太刀を持っているのは【人殺し】で隊長をしている男なのだ。対人戦闘ではここに居る誰よりも長け、動きは常人のそれではない。

 ツギやオワリからすれば、『鬼』を相手にするより厄介なことといえた。

 けれども、どうにかして刀を取り戻さなければならない。

 こいつをこのまま野放しにでもしたら、災厄が一つ増えることに相違ない。

 連携すればそれほど難しい話ではなかった。しかし、打ち合わせもなしに連携がとれるほどツギとオワリの間に信頼はない。どころかこれまで言葉を交わしたことがあったかも怪しいほどだ。そしてなにより、そんな余裕もないほど、予想だにしていなかった事態に動揺していたのだ。

 二人が防戦一方ながら食い止めていたところ、不意に長が二人の背後に跳び、寺の外へと向かいだした。

「!? 待て!」

 オワリたちが後を追う姿を見て、どうすべきかわからないままハジメも後を追った。

 太刀と男には一つだけ共通点があった。『鬼』を斬りたいという想いだ。

 男は獲物を求めて太刀を振り回す。

「斬ル……斬ル……。……ッ『鬼』ヲ! 斬ルゥゥウゥゥッ――!!」

 刃に巻き込まれ、道の両脇に並ぶ地蔵の首がいくつか飛んだ。

 不思議なことに、その中に血を流す地蔵がいた。

『小鬼』だった。

 血飛沫を浴び、閉じられていた地蔵の瞼がすっと開いた。

 それほどの『小鬼』が紛れていたことに驚愕しかない。次々と目を開けた地蔵が三十近い群れとなって男を襲っていく。

 男は太刀で第一陣を斬り払うと、あとには構わず道を下っていった。

 斬られず残った『小鬼』はツギたちの足止めになった。

「っ。めんどくせぇときに。こいつら冬眠でもしてやがったのか」

 ツギたちが『小鬼』の対応をしている間をすり抜け、ハジメは男の後を追った。今の自分では対処することは難しいが、見失うわけにはいかないと思った。

 男は身の埋まるような雪を太刀を一振りして吹き飛ばし、道を造ってものともせず進んでいく。

 ハジメは男が向かう先になにがいるのか、わかった気がしていた。

 ツギの「冬眠」という言葉に、胸がざわめいた。

 ハジメたちは雪が降りだしてから、『鬼』に“一度も遭遇していなかった”のだ。

 考えれば不思議ではない。雪は融ければ水になる。『鬼』唯一の弱点ではないか。

 人肌でも、触れれば雪は融けてしまう。『鬼』とてそれは同じはず。

 雨の日、水を受け付けぬ毛皮を蓋に、洞穴に身を埋めている『鬼』に遭ったことがあった。雪も同じように防いでいるとしたら?

 男がまた積もる雪に太刀を振った。

 すると一部が吹き飛ばず、巨大な雪玉が残った。

 ああ、そうだろう。それは雪などではない。

 ふわふわした純白の身体をうごめかせ、それは真っ赤な目を男の方に向けた。

 瞬間、太刀がその身体を斬り裂いた。

 ぴぎゃあぁぁぃっ――

『鬼』の断末魔が雪原に響いた。

 男は太刀を振る手を止めない。三日月のような傷口から赤黒い血を流し、身悶えする『鬼』を、幾度も幾度も斬りつける。

 男の体が赤黒く染まっていく。

 ハジメはその光景を離れたところから見つめるしかできなかった。

 斬りつけられる度、兎のような『鬼』の四肢がぴくん、ぴくんと跳ね上がる。その脇で、雪がぼこんっ、ぼこんっ、と四度跳ね上がった。

 男に斬られていると同じ、純白の被毛に赤い目の『鬼』が次々と、雪を持ち上げ現れた。仲間の断末魔に冬眠から目覚めたか。

 現れた『鬼』の一体が男に迫った。

 男の口端は愉悦に浸っているかのように吊り上がっていて、濃い影が落ちてくるまで、その存在に気づいてもいないようだった。

『鬼』は素早い動きで男の首にかじりついた。

 と、

「――やめろっ!」

「!?」

 ハジメの後ろに来ていた滝壺たきつぼが叫び駆け出した。

「そいづぁ、おらの獲物だ!」

「――――」

 滝壺が駆け寄る最中。あとに続くように『鬼』たちが男に齧りついていく。

 故に、太刀を持った右手が男の身体を離れ飛んだ。

 途端、意識を取り戻したのだろう。


「ああああああああああああっっ――」


 群がる『鬼』の中央から、姿見えぬ男の断末魔が轟いた。

 そんな中でもハジメは太刀を取りに急いだ。男のことを考えている余裕はなかった。なんなら、酷いことに、男の断末魔が長く続けばいいと思った。

 男の声が聞こえる間は大丈夫だと思える。

 滝壺が。滝壺が、『鬼』に届くそれまでは。

 雪に足を取られ、こまねいている間に、

 男の声は聞こえなくなった。

 振り返ると、滝壺に、『鬼』の口が迫っていた。

「――――」

 その一瞬が、ハジメには長く感じられた。

 ばくん。

 ああ、平野。僕が食べられたとき、君はこんな気持ちだったんでずか……?

 滝壺はあっという間に『鬼』の口の中へ消えていった。


 ハジメは太刀を取りに動いた。

 苛立たし気に太刀を取り、柄を握りしめている男の手を、しかめっ面で剝ぎ取った。

 身を反転させると、食事を終えた『鬼』たちが毛をつくろっているところだった。 

 そこに『小鬼』を片付けたツギとオワリ、それに旗が駆けてくる。

 ハジメはみなの到着を待たず、自分の作った道を引き返していく。

 ハジメは苛立たしかった。

 太刀を放り出したいと思ったのはこれが初めてだった。

 ――悲しむ時間もないのか。

 そのとき、想像だにしなかったことが起こった。

 遠くで地鳴りのような音がした。

 僅かばかり気に掛け、ハジメはその方角――寺の裏の方に目をやった。

 まもなく、目を剥く光景がやってきた。

 巨大な何かがもの凄い速さで向かって来るかと思うと、それが一直線に『鬼』へ突進して行ったのだ。

「――――」

 なにが起こったのか理解できなかった。

 やってきたそれは、逃げ惑う『鬼』たちを次々と食らっていた。

 清流のような青い鱗。大の男が五人集まってやっと腕を回せそうな、太い胴。長大な体躯は蛇のようで、しかし、頭部には鹿のような角が生えている。

 これも『鬼』なのだろうか。

 だとしたら『鬼』が『鬼』を喰っている……?

 それはそれで驚愕だ。

 だがハジメは、それが『鬼』だとは断定できなかった。

 似ている。

 あの社に祀られていた水神に……。

 それが最後の『鬼』を平らげんとしている。

 こんなとき、日が昇りだした。分厚い雲が垂れ込める曇天の夜のような心情だというのに。

 目の前の存在が『鬼』なのか「神」なのか、ハジメには関係ない。

 滝壺が喰われたという事実はなにも変わっていないのだから。

 ――しかし、この空が一時先の心情を映していたものと変わる。

 それの腹が割れた。

 噴き出す赤黒い飛沫の中、現れたのは巨大な剣鉈けんなたを持った一匹の天狗だった。赤い顔に長い鼻。髪のように伸びる毛は新雪のように――いや、天狗が生まれたと同じ腹に吞まれた、『鬼』の毛のように白い。

 己が腹を割り出でた天狗に、青い鱗の主は食らいつかんと開口した。

 向かってくる口に対し天狗は剣鉈を構え、立木に向ける斧の如くそれを振るった。

 主の口は裂け、上顎は天狗の頭上を覆い、下顎は地に当たりあらぬ方向へとそれていく。

 長大な体躯を持つ主はそれでも事切れず、身を引いた。裂かれた下顎が腹に沿うようにだらりと垂れ下がっている。

 戦意を失ったと見えるそれに向け、天狗は鉈を振るい続けた。まるで憂さでも晴らしているかの様相で。

 ハジメたちは呆然とその様を見ていた。いや、それぞれ心情は少し異なる。ハジメは、そう、朝陽の昇る――だが、反対を向けばまだ暗い、今の空のような。ツギが一番「呆然」に近いが、ただ手を出さなかっただけにより近い。旗はその瞬間に初めて遭遇できたことに、実感が湧くにつれ興奮を覚え。オワリは目を見開き、

だと――……!?)

 と、驚愕していた。

 天狗が鉈を振るうのを止めたとき、青い鱗の主は無残な姿と成り果てていた。

 巨大な遺骸からは五本の赤い煙が狼煙のように、空へ昇っていく。

 その傍で、天狗は俯きがちに立ち尽くしていた。

 その手に握る漆黒の剣鉈から、五匹の蜻蛉とんぼが剝がれ出でた。頭や胸には若草の、尻の方には空の青を持つ糸蜻蛉。内、四匹が何処かへと飛んで行く。

 飛んで行った糸蜻蛉の姿が追えなくなるまで、誰もその場を動かなかった。


     5


 天狗は滝壺だった。直前に喰われた長が、彼のように蘇ることはなかった。

 天狗の面の下にあった顔は、右頬に赤い傷模様のある、滝壺の顔そのままで。ただ、黒かった髪と目は、鮮やかな青に染まっていた。

 ハジメは滝壺と向き合っている。

 滝壺の肩らへんを小ぶりな蜻蛉が飛んでいる。

「滝壺。これからどうずるんでずか?」

「……自然すぜんまがせでみようど思う。この身体がらだ動ぐがぎり、どりあえず生ぎでみるよ。『鬼』でも倒すながら」

 ハジメは柔らかな苦笑をした。

「また会いましょう、滝壺。いつか必ず」

 滝壺は真っ直ぐにハジメを見つめ返して答えた。

 昇る朝日が、彼の顔をあたたかな色に染めていた。

「ああ」


 その後、ハジメたちはそう日を待たずして寺を出た。

 寺の中で殺されていた【人殺し】の青年と、手首だけになった男も拾い上げて、埋葬して。本物の御地蔵さまを綺麗にして。滝壺と別れて。

 寺でだけでなく、冬ごもりそのものを止めようと考えた。行商に教わった場所を、天候を見計らって転々と移動していけば不可能ではない。なにせ空真そらざねの未来予知が付いている。

 先へ先へと進めたかった。

 赤く染まった根雪が融ける、春へと。

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