六 根雪に赤き/中

     3


「……戻りました……」

 考えも纏まらぬまま、ハジメは部屋に戻った。

「お帰んなさい。ずっと素振りしとったんですか?」

「ええ、まあ……」

「ハジメくんも花札しますか?」

 旗とツギはずっと花札をしていたらしい。恒例の暇つぶしの一つである。

「いえ。横になりまず……」

 ハジメはふらふらと自分の寝床に倒れていった。

「えっぽど疲れたんですねぇ。ハジメくんが横になるやなんて」

 ハジメは基本的に膝を抱えて寝るので、旗は驚いた。

 横になったものの、ハジメは眠ってはいなかった。

 一人悶々と、滝壺たきつぼのことを考えていた。

 背に花札を再開した旗とツギの声が聞こえる。

 二人に相談しようか……。

 しかし、滝壺に口止めされている。

 約束は破りたくない。

 滝壺とは友だちでいたいんだ。

 また、生きて会うことができたのに。

 どうして、ただ笑って遊ぶことができないんだ。

 ハジメはぎゅっと目を瞑った。

 あのとき死んでいたのが本当に滝壺だったらよかったなんて、思いたくないのに。


 それから丸二日、ハジメの懊悩おうのうは続いていた。

 幸い、滝壺はまだ寺の【人殺し】に手を掛けてはいない。

 早く滝壺を説得しなければ。

 けれど、どんな言葉なら復讐を止めさせられるっていうんだ。

 それに、たとえ復讐を止めてくれたとしても、滝壺が人を殺めた事実は変わらないんだ。

 ハジメが考えを纏められない理由は、気持ちの整理がつけられていないことにあった。

 頭が働いていない気がする。現実から逃げようとしているみたいだ。

 ……友だちが人殺しになっていたら、どう向き合えばいいんだろう……。


 ハジメが変わらず寝床に身を沈めていると、

「ハジメくん、なんかあったんですか?」

「…………いえ、別に」

「別になことないでしょう。最初は疲れとるんかと思いましたけど、全身で「なんかありました、悩んでますー」言うてますもん。わかりますよ。何年の付き合いやと思てるんですか」

「いや、誰が見ても明らかだろ。隠す気があるように見えねぇぜ、ハジメ」

「…………」

「話したらすっきりするもんですよ」

「……二人は、友だちが復讐のために人を手に掛けていて、さらにそれを重ねようとしていたらどうしまずか……?」

「……ハジメくん……その相談、わたしにはちょっと難しいですよ」

「そうでずよね。こんな話……」

「わたし、友だち一人もおらんのですよ」

「俺もいねぇな」

(え――――っ)そこ!? というかもしや禁句!?

「親しい人ならぎょうさんおるんですけど、基本的にみんなお客さんなんで」

「寺子屋にでも行ってねぇとダチなんていないのが普通だろ」

 そうだったのか。自分は友人が少ない方だと思っていたが、二人もいるのは恵まれている方だったのか。

 ハジメは衝撃を受けつつ、張られているかもしれない罠を作動させないよう、

「……旗さんとツギさんは友だちじゃないんでずか?」

 二人は顔を見合わせた。

「あーっ! ほんまや! ツギさん友だちやないですかー」

「あ゛ー、まあ、そういうことにしてもいい」

 よかった、ここは安全地帯。

「ということはツギさんが――と思て考えたらええんですね」

「別に当てめなくていいんじゃねぇか。俺の場合無理だぞ。あんたに当て嵌めるなんざ」

「とまあ、冗談はこのくらいで」

(冗談だったの!?)

「ハジメくん。わたし――多分ツギさんも、その「友だち」に見当が付いてしもうとるんですけど、追及せんほうがええですか?」

「追及しない方向でお願いしまず」

「ふぅん」と旗は悩まし気に鼻から息を吐いて、「友だちがそないなことしてたら驚くし悲しいですね。そんでも嫌いになれんで、どうにかしたい、思うでしょうねぇ」

「まったくその通りで」

「どうにかして友だちに前向いてもらいたい、思いますわ」

「……前に? まず止めたいじゃなくて……?」

「復讐の内容にもよるとは思うんですけど、人を手に掛ける、いうことは、大切な人を殺された、いうことでしょ? 今は復讐を果たすいう目的がありますけど、それがなくなったら生きる気力ものうなって、下手したら自ら命を絶ってまうかも……――ツギさん死んだら嫌やーーっ」旗はツギに泣きすがった。

「冗談じゃなかったのか?」

「…………」

 滝壺は復讐を終えたらどうするのだろう。

 以前、佐島さじまが【人殺し】のみなは『鬼』への復讐のため、いずれは自分たちの命も絶つと言っていた。

 それは駄目だ。

 今、一番駄目なことは滝壺が死ぬことだ。

 死んでしまったら、どうしたらいいのか悩むこともできなくなってしまう。悩んだところで最後はいつもこうなってしまう。「悩んだところで、彼はもう死んでしまったじゃないか」、と。

「……旗さん、ツギさん、ありがとうございまず」

 旗とツギはハジメの顔を見た。そして、笑みを向けた。

 ハジメの顔は、何処かすっきりしていた。


     4


 その日のうちにハジメは滝壺を本堂へ呼び出した。もちろん、他の【人殺し】には気づかれないようにだ。

 滝壺がやって来たのは夜も遅い頃だった。

 滝壺がなかなかやって来なかったので、ハジメはすっかり寝こけてしまっていた。

「黒。黒豆くろまめ

 肩を揺すられ目が覚めた。

「……滝壺……」

相変あいがわらず寝起ぎ弱いんだな」

 滝壺は両手を引っ張り、ハジメを起き上がらせた。

「……君はいつも朝から元気でしたよね……」

 ハジメは寝ぼけまなこでゆらゆらしながら言った。

 しばらくの間ハジメはぽやぽやしていて、それを滝壺は眺めていた。

 ハジメは寒さに身が震えて、やっと意識がはっきりした。

「遅かったでずね」

「ながなが頃合ごろあいねがっだんだ」

「……滝壺。復讐を止めてほしいと言ったら、止めてくれまずか?」

「いや」

 ハジメは穏やかな苦笑を浮かべた。そうだろうとわかっていて訊ねた。

「復讐が終わったら、君はどうずるんでずか?」

「終わっだら……?」

「終わったあとのこと、考えたことありまずか?」

「終わっだら……」

 滝壺の言葉はそこで止まった。

 ああ……あのとき……。

 同胞を、家族を、失ったそのときから、滝壺に「未来」というものはなくなったんだ。

 それからずっと、復讐が滝壺を生かしてきたんだ。

「――……はっ……」

 それは、乾いた笑いだった。

可笑おがすなごどぐな、黒豆。考えるわげねべ。おらさ未来さぎなんでね。かだぎば討つ終わっだら、それですまいだ」

 ハジメは言葉をなくしていた。

理解りがいでぎねっでがおだな。……おらには不思議ふすぎなんだよ。この心臓すんぞうまだ動いでいるごども、呼吸ごぎゅうすでいるごども。生ぎでいる実感ずっがんまるでねのに、身体まだ動いでるんだ。不思議ふすぎなごどぁなんでだべっで、がんがえるべ? おらもがんがえだんだど思うんだよ。とっちゃどかっちゃど、いもうど亡骸なぎがらば目の前さすだどぎ。考えだ自覚ずがぐもねほど瞬間的すゅんがんでぎがんがえで、ごだえばだすだんだ。身体まだ動ぐのぁ、奴らごろすだめだっで」

 復讐が滝壺を生かしてきた。それは事実だ。

 けれど、ハジメはその「復讐」というものを甘く見ていたのかもしれない。

 呪縛なのだ。

 ぐつぐつと禍々まがまがしく煮えるそれは、捕らえた者に底知れぬ力を与える。が、それは時限式だ。

 目的を達した途端、ぷっつりと、力を与えるのを――生かすのを止めるのだ。

 そして残るのは、大きな虚無感と、色せぬ絶望だけ。

 そんなものに囚われている者に、希望を抱かせるなど、どれほど困難なことか……。

「…………生きていることに、理由なんて必要なんでずか?……」

 ハジメは続ける。

「そのときまで、君は生きている理由を考えたことがあったんでずか?」

「…………」

「僕は今の今まで自分がなんで生きているのかなんて考えたことありませんよ。生きたい理由はあっても生きている理由なんてそんなの、死んでないからに決まってるじゃないでずか」

「……黒豆、おごっでんのが?」

「怒ってませんよ! わからないんでずか!? っ……悲しいんでずよ……っ」

「…………」

「……なにも――」

 ハジメは床を掻くように手を握った。

「……なにも目的なんかなくていいから……ただ、生きていてくれればいいから……。……終わりなんて、言わないでよ……」

「――――」

 うずくまるように、ハジメの身体が低くなっていく。

「なんで僕に正体を明かしたんでずか。復讐だけに生きているなら、黙っていたらよかったんだ……っ!」

「おらにも、よぐわがんねぇげど……嬉すがっだんだど思う。おめどの時間ぁ……」滝壺は瞼を伏す。「楽すがっだがら……」


 ハジメと滝壺が話していた頃。本堂の外では事件が起こっていた。

 一行が寝泊りしている部屋が珍しく無人になった隙、一行の誰でもない影が部屋へ入り込んだ。

 その者は部屋の隅に立て掛けてあったハジメの太刀に近づいた。

 漆黒の太刀は鞘に収められた状態であっても、おどろおどろしい空気を纏っている。

 しかし、その者は躊躇うことなく太刀を手に取り、持ち去った。

 事はそのまもなく起こった。

 暗い部屋で【人殺し】の青年の顔は、眼前に迫る恐怖に引きっていた。

「……やめろ……っ。やめ――」

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