五 根雪に赤き/前

     1


 灰の空からしんしんと降る白が、深雪へと積もっていく。

 獣の足跡すらない雪に一本の線を残しながら、一行は北へ北へと向かっていた。

 というのも一行は冬ごもりを計画していた。雪が降り始める前から考えていたことであったが、いよいよ雪深くなり、これ以上進むのは厳しいということになった。

 行商に何処かいい場所はないかと相談したところ、この先にあるという寺を紹介された。

 しかしただ紹介されたのではなく、そこの和尚さんの消息がわからなくなり、代わりに何者かが住み着いている様子なので見てきてほしいと言うのだ。

 そういったことは自力でどうにかしてほしいところだが、行商には色々と世話になるので無下にもできず、様子見も兼ねて寺へ向かっているのだった。

 寺までもう少しという所。いつもハジメの傍にいる三匹の黒い蜻蛉とんぼが、点々と雪上に止まった。雪が深くなってから時折こういうことがある。

 ハジメはこの蜻蛉が『鬼』の元へ導くものなのではないかと考えているが、同じ「虫」でもオワリの蝶はいつも薙刀の穂先に止まって動かないため、あまり過信しないようにしている。

「…………」

 ハジメは空に昇る白い煙を捉えた。

 寺に人が居るのは間違いないようだ。

 寺へと続く石段にも、足跡のない雪が積もっている。少なくとも一日は人が通っていないらしい。足を滑らせないよう、気をつけて上っていく。

 石段の両脇にはたくさんの地蔵が雪に埋もれている。全部で百はありそうだ。

 幸い足を滑らせた者もなく石段を上りきり、門をくぐった一行を迎えたのは、居ないはずの和尚と、二人の僧侶だった。賊が居る可能性もあると警戒していたのだが……。

 四十前後と見える和尚はにこやかな顔で、

「雪道は大変だったでしょう。どうぞお入りください」

 火のある所へ通され、和尚と向かい合って座ると、ハジメは単刀直入に尋ねた。

「行商の方が和尚さんの消息がわからなくなったと言っていたのでずが……」

「ああ、それはそうでしょう。行商の言う和尚は亡くなっていますから」

「え、それじゃあ代替わりされたとか……?」

「いいえ。わたしたちは僧侶じゃないんですよ、『鬼斬り』一行」

「…………」

 和尚の恰好をした男はにっこりと、

「【人殺し】ですよ」


「なっ……!?」

「ああ勘違いしないでくださいね。和尚がのは不殺令が出される前のことです。命令が下ってからは誰も手に掛けていませんよ。今はここで待機中といったところです」

「……どうして僕たちを招き入れたんでずか……?」

「あなたたちが『鬼斬り』一行だとわかったからですよ。わたしたちはあなた方を応援しているんです」

「応援……?」

「わたしたちは『鬼』が憎いのであって、人を殺したいわけではないんですよ。直接『鬼』を叩けるのなら、それが望ましい」

「…………」

「その助けになるのならば協力は惜しみません。今の時期は移動が大変でしょう。冬の間、ここに滞在していきませんか?」

「え……」

「こんなところであなたに死なれてはこちらも惜しい。――そちらとしては気分がよくないかもしれませんが、わたしたちと一緒であれば冬ごもりをしていても『鬼』狩りを止めたわけではないと証明できますよ」

「…………」

 ハジメは男が嘘を吐いているようには感じなかった。しかし、どうにも胡散臭さが拭い切れない。

 本来であればみなとも相談して慎重に検討したいところだが、出せる答えは一つだった。

「……申し出、お受けしまず」

 ここで断ることは彼らの言葉を信用していないことになる。約束事に欠かせないのは互いの間の信用だ。

 ハジメは内心渋々、了承したのだった。


     2


 こうして【人殺し】との奇妙な共同生活が始まった。

 手始めにハジメたちがおこなったのは行商への報告だった。

 事前に示し合わせておいた狼煙のろしを上げる。

 上げるのは緑か赤のどちらか。

 緑なら「安全」。赤なら「危険」の意だ。緑を上げた場合は行商が寺へ、赤の場合はこちらが戻るまで動かないようにと決めてある。

 ハジメたちが上げたのは赤い狼煙である。

 このような特殊な状況を想定して決めたものではなかったが、行商が来ていい状況でないのは確かだ。

 問題なく届いていれば、赤い狼煙に胃をキリキリさせているかもしれないが、詳細は春まで待ってもらおう。

 寺に居た【人殺し】は三人。

 あの和尚の恰好をした壮年の男。寺に居る【人殺し】の中では長に当たるらしい。ので、仮にちょうと呼ぼう。中肉中背で、太く勇ましい眉毛に眼鏡を掛けている。

 あとの二人は僧侶の恰好をした若い男だ。

 一人はハジメと同じくらいの年齢で、一行が滞在することを受け入れているようだ。過度な接触はしてこないが、部屋の支度や食料の提供などをしてくれる。【人殺し】だとわかっているのに本物のお坊さんだといわれた方がしっくりくる印象だ。

 もう一人は顔の前に布を垂らしていて、声も聞いたことがない。ほとんど接する機会もなく得体が知れないが、こちらも敵意はなさそうだ。

 ハジメたちが相手だったため正体を明かしたが、彼らは誰か訪ねてきてもいいように僧侶の恰好をしているという。現にハジメも言われるまでわからなかったくらい、様になっているのがなんとも複雑だ。

 彼らとの共同生活は思いのほか穏やかに過ぎていった。

 寺子屋と違って家仕事もないので退屈なくらいだった。

 食事の用意は【人殺し】たちがしてくれるし、することと言ったら雪かきくらいだ。

 やることがあるというのは案外ありがたいことだなと実感するときである。

 ハジメは風雪が穏やかなときはいちを連れて、周囲の見廻りに出たりした。基本的に他は誰も付いて来ない。旗が付いてくることもあったが、火のある部屋から極力出たくないらしい。特にツギなど寒さに不慣れらしく、一日中ごろごろと冬眠中の熊のようだった。

「わぁあ、滝が凍ってる」

 一人と一匹で出たとき、寺の裏に大きな滝があるのを見つけた。

 滝はすっかり凍りつき、氷柱の壁のようだった。

 白い氷瀑ひょうばくの前を三匹の黒蜻蛉がひらひらと飛ぶ様は、一枚の絵を思わせる。

 この滝をハジメは気に入り、見廻りの際には必ず足を運んだ。

 またある日のハジメは、庭で一を走らせながら一人素振りをしていた。冬尚元気なのは一くらいである。

 すると肩をとんと叩かれ、振り向くと、

「わっ!?」

 驚いて声を上げてしまった。そこに居たのは顔に布を垂らした【人殺し】だったのだ。

 顔布の男は「静かに」というように、口の前に人差し指を立てた。

 ハジメが困惑していると、男は顔布に手を掛け、

「久すぶりだな、黒豆くろまめ

「――――」

 露わになった右頬には、憶えのある赤い傷模様。

「……たきつぼ……」

 それは、幼き頃に死に別れたはずの、友だった。

「っ――」

 ハジメの顔がぱっと明るくなった――


 ハジメが滝壺と出会ったのは六つか七つの頃だった。

 新たな家を探していたハジメは廃れたやしろに行きついた。

 誰もに忘れ去られたような場所で、屋根と床に穴も開いていたが、裏に水場となる滝があり、休むにはいい場所だった。

 社に祀られていた神だったろうか、角の生えた蛇のような像を眺めていると外から物音がして、現れたのが滝壺だった。

 滝壺は各地を転々としている民族の子で、今はこの近くに滞在しているのだと言った。社は彼の遊び場だった。

 民族の慣習らしく、この頃から滝壺の右頬には赤い傷模様があった。一人ひとり違う模様を幼い頃に皮膚を切り取って作るのだと教えてくれた。

 本人はもう痛くないと言うが、今にも鮮血が滴ってきそうなほど鮮やかな赤い傷は、ハジメには痛々しく感じられた。

 この頃、名前のなかったハジメを、滝壺は「黒豆」と呼んだ。

 理由は髪と目が黒くて、小さいかららしい。

 確かに滝壺より身体が小さかったのは認めるが、髪と目が黒いのは日ノ本の民としては一般的だし、く言う滝壺も黒髪黒目で取り上げられるほどの特徴ではないと思うのだが。毛の黒い犬や猫が「くろ」と呼ばれやすいようなものだろうか。

 なんにせよハジメはその呼び名が嫌ではなかった。蔑称でない限り、ハジメはどんな名でも喜んだことだろう。

 滝壺とはすぐに意気投合し、毎日いっしょに遊んだ。

 ハジメは滝壺がいる限り社に居ようと思ったほどだ。

 滝壺は濁点の多い独特な話し方をするもので、共に過ごす内にそれが移ってしまった。ハジメの「す」が濁ってしまう癖はこの頃からのものだ。

 滝壺と遊ぶのは本当に楽しかった。こんな日がずっと続けばいいのにと思った。

 けれど、それは長くは続かなかった。

 ある日を境にぱったりと滝壺は来なくなった。

 なにも言わずに次の場所へ移ってしまったのかと、滝壺たちが滞在していた場所へ行ってみることにした。遊びに行ったことがあったため、場所はわかっていた。

 その光景を目にする前に、ハジメは理解した。

 そこが「血」に吞まれてしまったのだと。

 二十人近くいた滝壺の同族と、争った相手だろうか、無染の着物を着た大人が数人、無残な屍となって地に伏していた。

 土の霞でもかかっているような中、ハジメは滝壺の姿を捜した。

 見つからないほうがよかったのかもしれない。

 ハジメは見つけた。

 樹に寄りかかり、脱力した格好で座っていた。

 服は滝壺の物だったが、顔は原形をなくすほど殴り潰されていた。

 唯一識別できたのは右頬に刻まれた赤い傷模様だけだった。


 ――明るくなったハジメの顔は、すぐに曇った。

 滝壺が生きていたのは嬉しい。しかし、今の彼は【人殺し】であるはずだからだ。

 それに、滝壺が生きていたのなら、あのとき見た滝壺と同じ模様を持っていた死体は、誰だったのだろう……。

「……滝壺……なんでずよね……?」

「なんだ? 久すぶりでおらのがお忘れだが?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

 今さっき顔を見せられるまで忘れてはいたが。

「てっきり、あそこで死んでいたのは君だと思っていたので……」

「……おめもあの死体すだいば見でだんだな」

「…………」

ひどねどごろで話すべ」


 ハジメと滝壺は本堂へ場所を移した。

 薄暗い本堂は静かで、二人を除けば物言わぬ本尊があるのみだ。

「おめど最後さ遊んだ日だ。あいづらだのは――」


 ――滝壺が居住地へ帰ると、それはもう終わっていた。

 生まれたときから知っている同胞たち。

 父も母も、幼い妹も、

 累々るいるいたる屍の一部と化していた。

「――――」

 地に模様を描く血はまだ新しかった。

 滝壺は辺りを探し、見つけた。

 同胞を襲ったであろう者の一人。

 まだ子どもだったのかもしれない。背格好が滝壺と似ていた。

 ――――

 滝壺はその者を背後から強襲した。

 その者と自分の服を取り替え、

 右頬に自分と同じ形の模様を刻んだ。

 そして、傷模様以外、なにが何処にどう付いていたのかわからなくなるまで、顔を殴り潰した。

 その後、顔を隠した滝壺は同胞を襲った連中――【人殺し】の中に紛れ込んだ。

 こいつらを皆殺しにする。そのために。


 ハジメの顔は衝撃と、なんとも言えない感情に染まっていた。

 あの、あの死体の顔を殴り潰したのが滝壺だった。

 当時は滝壺も子どもだ。特別力が強いというわけでもなかった。いったい何度、何度殴ったらああなるのだ。

 あの死体から感じたのは、狂気だけだ。

 ハジメは一声も口にすることができないでいた。

 けれども滝壺はハジメの表情を気にした様子もない。

「こごさいる奴らも春までには殺るつもりなんだ」滝壺は口の前に人差し指を立てた。「それまでおらのごどぁ秘密ねすでぐれよ。奴らさられだら面倒だはんでな。黒豆だはんで話すだんだ」

 ハジメは返事をすることができなかった。

 ハジメに笑みを向けた顔をまた布で隠し、滝壺は本堂を出ていった。

 一人残されたハジメの顔からは血の気が引き、立っていられなくなって膝をついた。

 どうしたらいいのかわからなかった。

 話の内容もだが、それを平然と、昔の面影色濃い笑顔で語った友に。

 どうしたら、

 自分はどうしたらいいんだ。

「っ……」

 ハジメは蹲り、頭を抱えた。

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