六 追想――帰り待つ/後

 寺子屋の建設は、まず土地探しからはじまった。

 条件は畑にできる土地が周りにあり、水の確保が容易であること。今の住居から移動しやすいなら尚いい。

 せっかく畑があるのだからそばに立てるなり、荒野あらのの家を建て替えるなりすればよさそうなものだが、そうしない訳がある。水場が遠いのだ。

 川へ行くには山を越えねばならず、わざわざ山を登り湧き水を汲みに行っている状態である。

 荒野がよく宗間そうまを訪ねてくるのは、水が湧いている場所が小屋の近くだからでもあった。

 では小屋の近くに寺子屋を建てればいいのではと思うが、必要なだけの畑ができる土地はない。

 そもそも傍に建てるのも建て替えるも好ましくない。

 新しく寺子屋を建てるなんて話をしてはいるが、それは普通ではないことだ。

 ボロであっても、雨風をしのげる家は貴重。建物を壊すのはいただけない。

 そうそう、建設地の条件に他人が近隣に住んでいないことを入れ忘れていた。これは数少ない『鬼』への対処方。暗黙の了解というやつだ。

 これから他人が住むかもしれない家の近くに建てては、宝の持ち腐れになってしまう。

 そんなわけで土地探しだ。

 こんなとき活躍するのはあの男――荒野である。

 いつものようにひょっこりやってきて、

「おい宗間、いい土地をみつけたぞ」

 荒野がいう場所は傾斜けいしゃ地であったが、水平に保たれた区画が段状に広がっていた。棚田や段々畑と呼ばれるものだ。荒れ果ててはいるが、あぜの跡がある。かつて誰かの手によって開拓されたのだろう。

 棚田跡に囲まれた一画に倒壊した家屋と井戸もあった。井戸は幸いにも生きていた。

 行商人に確かめたところ、近隣に住んでいる者はいないという。

 山小屋から山を荒野の家とは反対に降りたところで移動も難しくない。まさにうってつけの土地だった。

 土地が決まり、次は設計図だ。

 事前に訊いていた子どもたちの要望も伝え、五木いつきと相談しながら設計図は完成された。

「……立派すぎやしませんか?」

 山小屋の五倍はなるだろう完成図に、宗間は実現できるのか不安になった。

「完成まで時間はかかるでしょうが、心配無用です! この五木が必ずや建ててみせやしょう!」

 うおおおおお、と、一世一代の大仕事に五木は燃えていた。

 それからの日々は目まぐるしく。

 丸太を振り回す荒野に五木が目を丸くし、張り手で樹を倒す宗間にみなが啞然とし。二人の働きにより、材木の確保は予定よりずっと早く済んだ。

 そんなある日の休憩中。ふと思った宗間は荒野に尋ねた。

「ここ最近、千鶴ちづるさんをみかけませんが、お変わりないですか?」

「ああ、ちづは身重になったんで、家にいさせてる」

「…………身重って、君、初耳ですよ」

「そうだったか? この冬に産まれる予定だ」

「……それは楽しみですね」

「おうっ」


 荒野の言った通り、雪の降り積もる季節に平野ひらのは産まれた。

 それからすくすくと育ち、二本の足で歩きわずかながら言葉を話すようになった頃。寺子屋は完成した。

 仕事を終えた五木は再び旅に出るという。

 残る道もあったが「俺ぁ寺子屋に残っても大したことできねーし、旅大工として生きていく!」とのことだ。

 数年を共に過ごし、今では気の置けない友だ。名残惜しい。千鶴や子どもたちには別れを告げ、出立前夜を男三人で飲み明かした。

 そして東の空が白む頃、山小屋から五木は出立する。

「世話ぁなったな」

「なに、お互い様だ」

「わたしも荒野と同じ気持ちです。君がいなければ寺子屋の建設は成しえませんでした」

「宗間と荒野がいなくても出来なかったさ。お陰で生涯のほまれができた」

「あと、餞別せんべつにこれを」

 宗間は懐から小さな巾着を取りだした。

「これは?」

「におい袋です。香ほどの効果はありませんが、気休めにはなるでしょう」

「おおっ、そりゃありがてぇ。実は分けてもらえないかと思ってたんだよ」

 荒野はそのやりとりを黙って見ていた。

「五木、達者でな」

「おめぇもな。あんまりかみさん怒らせんなよ」

 じゃあなと歩きだした五木は振り返り、

「必ずまた来るからなーー」と、手を振った。

 彼の背が見えなくなるまで、宗間と荒野は見送っていた。

「あの巾着はおまえが縫ったのか?」

「いえ、千鶴さんに頼みました。……中身を訊くかと思いました」

「ただのにおい袋だとは、思ってないがな」

 荒野は宗間の顔を向いて言う。

「今のあいつなら信じたと思うぞ」

 宗間は笑みを返した。


 寺子屋が完成し宗間は居を移したが、荒野や子どもたちは寺子屋と家を行ったり来たりしていた。寺子屋の畑から作物が採れない今、前の畑を手放しては心許ないからだ。

 完全に落ち着いたとは言えないが、新しい生活にも慣れ始めた。手探りではあるが授業もなんとかやれている。

 授業が終わると子どもたちは外に飛び出し、駆け回ったり飛び跳ねたり。山小屋で暮らしていた頃とは違う賑やかさが心地よく。縁側に腰掛け、そんな光景を眺めるのが日課になっていた。

 すると爺臭くなったなと、荒野に言われた。

 それが嫌ではないのだから、本当にそうなのかもしれない。

 穏やかな日々だった。

 数日雨が続いたある日の昼下がり。宗間はすっかり定位置になった縁側で、眠る平野の頭を撫でていた。

 先程まで子どもらしく雨蛙を追いかけていたが、はしゃぎ疲れたようだ。

「なんだ、坊主寝ちまったのか」

「ええ」

「親父の固い胸より宗間の膝のほうがいいだろ。俺は向こうの様子を見てくるから、しばらく頼むわ」

 荒野は平野の頭をわしゃっと撫でると、背を向けて「じゃあな」と、雨の中を去っていった。

 ――最後に見た荒野の顔は、穏やかな父親の顔だった。


 どこん、どこん、どこん、どこん……


 異変に気づいたのは平野につられ、うつらうつらしていたとき。

 雨音に混じって聞こえる、連続した――大地が拍動はくどうしているような音。

 間もなく聞こえる――

 どどどどどどどどどどどどどどどどどどど

 バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ

 平穏を崩す轟音と震動に寒気立った。

 降りしきる雨の中、宗間は庭に出て迷わず北を見た。

 それは、荒野や子どもたちのいるはずの方向。

「……そーま?」

 向くと、異変に平野も目を覚ましていた。

 この子を置いてはいけない。そう思った。

「平野、お父さんたちのところへ行きましょう」

 なにがなんだかわかっていない平野を抱き上げ、宗間は駆けた。

 平野がなるだけ濡れないようそでかばいながら。自分はいくら顔に雨粒が当たろうと、着物に泥が跳ねようと構わずに。

 駆けて駆けて――この日だけは道に迷わなかった。

 それでも、間に合わなかった。

 何故、杞憂きゆうに終わってくれなかったのか。

 荒野の家は跡形もなく、土砂と倒木に潰されていた。

 地すべりだった。

「荒野…………?」

 どこです? 荒野。

 君のことだから、みんなを連れて、ひょっこり出てくるんでしょう?

 土砂なんか物ともせず這い出てくるんでしょう?

 平野を残してくなんて、そんなこと――

「そーま」

 腕の中の平野が、まっすぐ自分を見ていた。

 その小さな手が頬に触れる。

「なくにゃ」

 瞬間、自分が泣いていたことに初めて気づいた。

 わかっていたのだ。

 そんなこと――あってほしくなかった。

 それでも、逝ってしまったのだと。

 宗間はきつく平野を抱きしめ、雨が弱まるまで泣いていた。


     2


 とっぷり日が暮れ、寺子屋には蝋燭ろうそくの淡い火が灯っている。

 宗間は縁側に面した部屋で、二人の帰りを待っていた。

 ゆっくりと近づく足音に気づき、外を見る。

 ぎょっとした。

 夜闇に溶ける荒々しい毛が全身を覆い隠し、浮き上がるのは恐ろしい般若の面。手には身丈に合わぬ抜き身の刀。まとう気は殺気。――のように感じた。

 しかしその者が発した声音に殺気など、微塵みじんもない。

「先、生……」

 愛しい教え子の声に驚き、立ち上がる。

 宗間の姿を見て安心したのか、その者は倒れ込む。

 宗間は駆け寄りその者を抱きとめていた。

 拍子に面が外れた。

 面の下にあったのは帰りを待ちわびた、少年の顔。くりっとした目の愛らしい顔。

「……ただいま…………」

 少年は眠ってしまった。

 宗間はきゅっと少年を抱きしめささやく。

「おかえりなさい」

 今はおやすみ――。


 山小屋を立った五木は道中、餞別に貰ったにおい袋をあけた。香の素なら自分が見ても判るまいが、なにが入っているのか気になったのだ。

「……なんだ……これ」

 袋の中には切り取られた――白い毛が詰まっていた。

 五木にはそれが、宗間の髪であると判った。

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