五 追想――帰り待つ/前
二人の子を見送った
なかなか妙案が浮かばず、参考になる物がないかと席を立ち、書棚をいじりだす。
今回は八つも落ちた。
しばらく触っていない区画だったせいか
宗間は手で埃を
「おや、こんなところにあったんですか」
懐かしい感情を起こさせるそれは、寺子屋の設計図であった。
1
十と数年前、宗間は山小屋で一人、暮らしていた。宗間が一人で暮らせていたことに驚かずにはいられないが、暮らせていたのだ。
ただ髪を
ある日、山小屋に男がやってきた。というより、小屋の前で倒れていた。
飯を
男はそれはもうガツガツと、焦げのほうが多い飯を食らい、それはいい笑顔で、
「まずいっ」
これが
飯をやってからというもの、荒野は小屋に寄りつくようになった。
荒野とはその名の通り荒々しく、猛々しい男であった。
そして、よく「土産」を持ってくる男であった。
「おい宗間、
あるときは立派な猪を担いで来。
「おい宗間、見ろ、熊倒したぞ」
またあるときは傷だらけで熊を背負って来と、熊より熊らしい。
「土産」は獣だけではない。
「おい宗間、子ども拾った」
あるときは身寄りのない子どもを連れて来た。どこから連れて来るのか、これがよくある。数で言えば五回だ。
「寺子屋でもする気なんですか?」
「する気はないが、ほうっておけないだろ。この辺りにゃ寺子屋がねえしよ」
「ほうっておけないのはわかりますが、君、面倒みきれるんですか? まさか考えなしに連れてきているなんてこと」
「……大丈夫だ!」
「……考えなしなんですね」
宗間はため息をもらす。
「荒野、いいですか。考えなしということは無責任ということです。命を拾ったからにはしっかり考えて、責任をとりなさい」
「ふむ…………なら、寺子屋をしよう。俺と宗間で教師をするんだ」
「……どうしてそうなるんです。わたしを巻き込んで。そもそも寺子屋をする気はないと言ったじゃないですか」
「確かに俺だけではする気もやれるとも思わねえが、宗間がいればやれる。いややるべきだ。おまえは教師に向いてる」
「なにを根拠に……」
「勘だ!」
これで寺子屋をやることに――なるはずもなく、
それから
病や怪我なら薬師である自分の元に誰かしら訪ねてくるはず。来ないのだから理由は他にあるのだろうが、こちらから訪ねようにも場所がわからない。
そういえば、荒野と子どもたちはどこに住んでいるのだろう。いつも向こうが訪ねて来るばかりで、自分から訪ねたことはなかった。
確か以前、ここより北へ行った
「太陽があちらに見えるので、北はこっちですね」
と、正しく北へ進み出た宗間だったが、進めば進むほど
なんとか麓へたどり着いた宗間は、奇跡的にも荒野の住まいの近くに出ていた。
少し首を振ると遠目に人影が見える。
歩み寄ってみると、
「荒野……?」
「おう宗間、一週間ぶりか? 珍しいな、おまえが山を下りて来るなんて」
荒野は
「君が顔を見せないからですよ」
「はっは、そうか。そんなに俺のことを気にかけているとは知らなんだ」
「それよりこれは――」
「あー! そうまだー!」
「あっ、ほんとだ宗間だ」
「うおおおおおおっ」
離れて遊んでいた子どもたちが宗間に気づき、
三連撃を食らい、宗間は笑って倒された。
それを覗き込むように、荒野は「――俺たちの畑だ」
上体を起こし、改めてその光景を見た。
辺り一帯、雑穀畑と耕された地が広がっている。
宗間の記憶では、ここ一帯は雑草が茂るだけの平原であったはずだ。
「行商に頼んでいた
既に実をつけている区画も少なくない。一朝一夕の成果でないことは見てとれる。
――まさか考えなしに連れてきているなんてこと。
――……大丈夫だ!
――……考えなしなんですね。
わたしは、荒野という男を誤解していた。
宗間は途端に自分が恥ずかしくなった。
「……すみません。考えなしだと決めつけて、説教まで……」
「がはは! おまえのそういうところが教師に向いてるんだ。なにが正しいか教えてやれるだけじゃない、自分の誤りを認め、己をも正せるところがな」
「…………」宗間はなんとも言えず照れた顔を向けた。
真剣に寺子屋をやろうと考えたのはこのときからであった。
考え出してまずぶつかった問題が、どこでやるかだった。
住んでいる山小屋は寺子屋をするには小さすぎるし、荒野の住まいも手狭だ。今は子どもたちも幼いが数年経てば
寺子屋として新たに子どもを受け入れずとも、今より広い住居を見つけなければ。
しかしそのような条件のいい物件、そうそうあるでもなし。自分たちでは冬の寒さを
と、いうことを荒野に話した。
すると七日もしないうち、条件に見合う物件を見つけてきた。正確には強奪してきたというべきか。こんな時代にも徒党を組んで生計を立てている者が存在し、荒野は山賊を一人で壊滅させ、その根城を手に入れたのだ。
更に驚くことに、山賊に囚われていた娘の一人を妻にしたという。
「おい宗間、俺の嫁だ」
これである。
あまりに突然のことで、宗間は「はい?」と戸惑いの声が出るばかりであった。
荒野が補足に大体のいきさつを話し終えると、娘は
歳は二十前後か。伏し目で、話し方や仕草から気品を感じさせた。
一見、千鶴も平野と似ていないように思うが、時折見せる鋭い眼とおかん気質は、まごうことなき母の遺伝だ。
さて、山賊の根城であった洞窟。なかなかに広く部屋数もあったものの、すぐに居を移すというわけにはいかなかった。
洞窟は畑から距離があり、通うには難がある。居を移すことはできても、畑を移すのは困難だ。土ごと持って行くわけにもいくまい。
そんなわけで移住はしばし見送ることとなった。
かといって寺子屋開設を止めたわけではない。考えなければいけないことは他にもたくさんあるのだ。
一つはどのようにして生計を立てていくか。
寺子屋を創めればある程度行商に融通してもらえるが、食料すべてを任せることはできない。受け入れる人数が多ければ多いほど、畑は必要だ。
一つはなにを教えていくか。
医学――特に薬学であれば、かなりのものを教えられるだろう。他にも生きていくうえで必要な知識は教えられる……はずだ。
正直、自信がない。教えられたことはあれ、教えたことはないのだ。物を知っているのと教えられるのとではわけが違う。
参考に自身の先生のことを思い出してみた。
「宗間ーーっ、また薬を零したな!?」
「宗間ーーっ、また飯を焦がしたな!?」
「宗間ーーっ、また着物に穴をあけたな!?」
おかしいな、怒鳴られたことばかり思い出すぞ。
失敗ばかりする自分をよく放り出さずに育ててくれたものだ。
思い出すのは怒鳴り声ばかりだが、いい先生であった。論理的な思考と教え方は自分に合っていたし、出来たことは褒めてくれる。そしてなにより根気強い。
一人で生活できていたのは
そういえば、一人で着物を着られたときには泣いて喜ばれたな。
上手く教えられるかはわからないが、根気強く教えよう、そうしよう。
そんなことを考え過ごしていたある日、山小屋に新しい顔が訪ねて来た。
それは小柄で眉の濃い男だった。身長のせいか若く見える。
「俺ぇ旅大工の
五木は威勢のいい男だった。
「おやおや、それは大変でしょう。とりあえず上がってください」
茶を出して話をすると、五木はいろいろなことを話した。
「
「五木さんは五男なんですね」
「そうそう。俺の知る限りじゃ下にあと三人」
八人兄弟とはこの時代珍しい。一人二人子が出来たところで親は喰われることが多いというのに。
「大工さんということは、家を一から建てることもあるんですか?」
「う~ん、一からってのはないですね。設計も工程も教わっちゃいますが、俺一人じゃ出来ることに限りがあるし、人を集めりゃ『鬼』が出る。建ててくれって人もいやせんし」
「人手があり、『鬼』が出なければ、家を建てられますか?」
「は? 建てられますが……『鬼』が出ない保障なんて……」
「あるんです」
宗間にはある考えが浮かんでいた。五木が名乗ったそのときから。
「わたしがいると、『鬼』は出ないんです」
五木の顔はぽかんとしていた。
「――と、いうのは冗談で、実は『鬼』が嫌う香があるんです」
「本当ですか!? それはすごい! 大発見じゃないですか。どうして出回ってないんです?」
「特殊な製法なので、わたしにしか作れないんです。一人では限りがありますから」
五木は実に驚いていた。千年ものあいだ見いだされなかった『鬼』への対抗策がこの場にあるというのだから。
「わたしは寺子屋を開設しようと思っているのですが、建ててくださいますか?」
「もちろんっ……あ、いや待ってください。『鬼』を寄せつけない香があっても、人手がないんじゃ寺子屋なんて立派な物は……」
「――おい宗間、ガキどもと
「
「ほぅ、それは悪かったな。うちのガキとたっぱが大差なかったもんで、勘違いしちまった」
「んだとてめぇ、表出やがれっ」
「いいだろう。軽ーく運動に付き合ってやる」
それから二人は殴り合いを始めてしまった。
人手として荒野を紹介しようと思っていたが、仲違いされてはそれが適わない。
しかし、そんな心配は無用だったらしい。殴り合いは思いの外白熱し、拳をぶつけた二人の間には友情が芽生えていた。
「はぁ……はぁ……やるじゃねぇか」
「……おまえもなかなかのもんだ」
がしっ、と、手を組み交わす二人。
「いつまでも庭にいないで、さっさと傷の手当てしますよ」
宗間はむんずと、二人の首根っこを掴み引きずって行く。
「引きずらなくても自分で歩けますよ――って手ぇ
「……おまえ、意外と力強いな」
改めて荒野を紹介したところ、五木は寺子屋を建てることを
十人分の力を持つ荒野と馬鹿力の宗間がいれば、少人数でもなんとかなるだろう。
なんといっても、
「『鬼』を寄せつけない香があるってんだ。恐れるものはありません!」
「『鬼』を寄せつけない香? なんだそり――」
バシィッ、と荒野の口を塞ぎ「君そういえば茸狩りに行くと言っていましたね。行きましょう行きましょう、すぐ行きましょう」
そのまま小屋から離れたところまで移動した。
「――さっきのはおまえが吹き込んだのか」
「ええ」
「大方『鬼』が出る心配をする奴に
「香はありませんが、『鬼』を退けるものはあるんですよ。ああでも言わないと、信じてもらえそうになかったので」
「……そのものっての、俺も信じないようなものか?」
「そうですね……君には、方便は必要ありませんね――」
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