五 追想――帰り待つ/前

 二人の子を見送った宗間そうまは少年の名を決めるべく、自室で机に向かっていた。

 なかなか妙案が浮かばず、参考になる物がないかと席を立ち、書棚をいじりだす。

 平野ひらのの手が入っていない書棚はあんじょう混沌としている。一つ書を取り出せば、少なくとも二つは書が落ちる。

 今回は八つも落ちた。

 しばらく触っていない区画だったせいかほこりが舞う。

 宗間は手で埃をあおぎながら落ちた書に目をやる。と、一冊の巻き物に気づく。

「おや、こんなところにあったんですか」

 懐かしい感情を起こさせるそれは、寺子屋の設計図であった。


     1


 十と数年前、宗間は山小屋で一人、暮らしていた。宗間が一人で暮らせていたことに驚かずにはいられないが、暮らせていたのだ。

 ただ髪をってくれる者がいなかったため、髪は伸びっぱなしであったが。他はまるで不老であるかのように、今と昔で変わらない。

 ある日、山小屋に男がやってきた。というより、小屋の前で倒れていた。

 飯をう男に宗間は飯をやった。

 男はそれはもうガツガツと、焦げのほうが多い飯を食らい、それはいい笑顔で、

「まずいっ」

 これが荒野あらの――後に平野の父となる男との出会いである。

 飯をやってからというもの、荒野は小屋に寄りつくようになった。

 荒野とはその名の通り荒々しく、猛々しい男であった。

 そして、よく「土産」を持ってくる男であった。

「おい宗間、しし鍋食わないか」

 あるときは立派な猪を担いで来。

「おい宗間、見ろ、熊倒したぞ」

 またあるときは傷だらけで熊を背負って来と、熊より熊らしい。

「土産」は獣だけではない。

「おい宗間、子ども拾った」

 あるときは身寄りのない子どもを連れて来た。どこから連れて来るのか、これがよくある。数で言えば五回だ。

「寺子屋でもする気なんですか?」

「する気はないが、ほうっておけないだろ。この辺りにゃ寺子屋がねえしよ」

「ほうっておけないのはわかりますが、君、面倒みきれるんですか? まさか考えなしに連れてきているなんてこと」

「……大丈夫だ!」

「……考えなしなんですね」

 宗間はため息をもらす。

「荒野、いいですか。考えなしということは無責任ということです。命を拾ったからにはしっかり考えて、責任をとりなさい」

「ふむ…………なら、寺子屋をしよう。俺と宗間で教師をするんだ」

「……どうしてそうなるんです。わたしを巻き込んで。そもそも寺子屋をする気はないと言ったじゃないですか」

「確かに俺だけではする気もやれるとも思わねえが、宗間がいればやれる。いややるべきだ。おまえは教師に向いてる」

「なにを根拠に……」

「勘だ!」

 これで寺子屋をやることに――なるはずもなく、一蹴いっしゅうした。しかし、これがきっかけであったろう。


 それから二月ふたつきが経ち、近頃荒野を見かけないことに気づく。毎日のように入り浸っていたというのに、こうも見ないと気にかかる。

 病や怪我なら薬師である自分の元に誰かしら訪ねてくるはず。来ないのだから理由は他にあるのだろうが、こちらから訪ねようにも場所がわからない。

 そういえば、荒野と子どもたちはどこに住んでいるのだろう。いつも向こうが訪ねて来るばかりで、自分から訪ねたことはなかった。

 確か以前、ここより北へ行ったふもとに居を構えたと言っていた。

「太陽があちらに見えるので、北はこっちですね」

 と、正しく北へ進み出た宗間だったが、進めば進むほど蛇行だこうする。不器用なうえに方向音痴なのだ。

 なんとか麓へたどり着いた宗間は、奇跡的にも荒野の住まいの近くに出ていた。

 少し首を振ると遠目に人影が見える。

 歩み寄ってみると、

「荒野……?」

「おう宗間、一週間ぶりか? 珍しいな、おまえが山を下りて来るなんて」

 荒野はむしろの上で座っていた。

「君が顔を見せないからですよ」

「はっは、そうか。そんなに俺のことを気にかけているとは知らなんだ」

「それよりこれは――」

「あー! そうまだー!」

「あっ、ほんとだ宗間だ」

「うおおおおおおっ」

 離れて遊んでいた子どもたちが宗間に気づき、抱擁ほうようという名の突撃をかましてくる。

 三連撃を食らい、宗間は笑って倒された。

 それを覗き込むように、荒野は「――俺たちの畑だ」

 上体を起こし、改めてその光景を見た。

 辺り一帯、雑穀畑と耕された地が広がっている。

 宗間の記憶では、ここ一帯は雑草が茂るだけの平原であったはずだ。

「行商に頼んでいたくわやらなんやらがようやく届いてな。ここしばらく、ガキどもと畑を広げるのに精を出してたんだ。上の二人は今も畑を耕しに行ってる」

 既に実をつけている区画も少なくない。一朝一夕の成果でないことは見てとれる。

 ――まさか考えなしに連れてきているなんてこと。

 ――……大丈夫だ!

 ――……考えなしなんですね。

 わたしは、荒野という男を誤解していた。

 宗間は途端に自分が恥ずかしくなった。

「……すみません。考えなしだと決めつけて、説教まで……」

「がはは! おまえのそういうところが教師に向いてるんだ。なにが正しいか教えてやれるだけじゃない、自分の誤りを認め、己をも正せるところがな」

「…………」宗間はなんとも言えず照れた顔を向けた。

 真剣に寺子屋をやろうと考えたのはこのときからであった。


 考え出してまずぶつかった問題が、どこでやるかだった。

 住んでいる山小屋は寺子屋をするには小さすぎるし、荒野の住まいも手狭だ。今は子どもたちも幼いが数年経てば窮屈きゅうくつになり、男女の棲み分けも必要になってくるだろう。

 寺子屋として新たに子どもを受け入れずとも、今より広い住居を見つけなければ。

 しかしそのような条件のいい物件、そうそうあるでもなし。自分たちでは冬の寒さをしのげるだけの家を造ることもできない。精々わらの家がいいところだ。

 と、いうことを荒野に話した。

 すると七日もしないうち、条件に見合う物件を見つけてきた。正確には強奪してきたというべきか。こんな時代にも徒党を組んで生計を立てている者が存在し、荒野は山賊を一人で壊滅させ、その根城を手に入れたのだ。

 更に驚くことに、山賊に囚われていた娘の一人を妻にしたという。

「おい宗間、俺の嫁だ」

 これである。

 あまりに突然のことで、宗間は「はい?」と戸惑いの声が出るばかりであった。

 荒野が補足に大体のいきさつを話し終えると、娘は千鶴ちづると名乗った。

 歳は二十前後か。伏し目で、話し方や仕草から気品を感じさせた。

 一見、千鶴も平野と似ていないように思うが、時折見せる鋭い眼とおかん気質は、まごうことなき母の遺伝だ。

 さて、山賊の根城であった洞窟。なかなかに広く部屋数もあったものの、すぐに居を移すというわけにはいかなかった。

 洞窟は畑から距離があり、通うには難がある。居を移すことはできても、畑を移すのは困難だ。土ごと持って行くわけにもいくまい。

 そんなわけで移住はしばし見送ることとなった。

 かといって寺子屋開設を止めたわけではない。考えなければいけないことは他にもたくさんあるのだ。

 一つはどのようにして生計を立てていくか。

 寺子屋を創めればある程度行商に融通してもらえるが、食料すべてを任せることはできない。受け入れる人数が多ければ多いほど、畑は必要だ。

 一つはなにを教えていくか。

 医学――特に薬学であれば、かなりのものを教えられるだろう。他にも生きていくうえで必要な知識は教えられる……はずだ。

 正直、自信がない。教えられたことはあれ、教えたことはないのだ。物を知っているのと教えられるのとではわけが違う。

 参考に自身の先生のことを思い出してみた。

「宗間ーーっ、また薬を零したな!?」

「宗間ーーっ、また飯を焦がしたな!?」

「宗間ーーっ、また着物に穴をあけたな!?」

 おかしいな、怒鳴られたことばかり思い出すぞ。

 失敗ばかりする自分をよく放り出さずに育ててくれたものだ。

 思い出すのは怒鳴り声ばかりだが、いい先生であった。論理的な思考と教え方は自分に合っていたし、出来たことは褒めてくれる。そしてなにより根気強い。

 一人で生活できていたのはひとえに先生のおかげだろう。

 そういえば、一人で着物を着られたときには泣いて喜ばれたな。

 上手く教えられるかはわからないが、根気強く教えよう、そうしよう。

 そんなことを考え過ごしていたある日、山小屋に新しい顔が訪ねて来た。

 それは小柄で眉の濃い男だった。身長のせいか若く見える。

「俺ぇ旅大工の五木いつきってもんです。各地を巡り、おまんまを頂戴する代わり家屋、家財道具の修繕や新調を承っております。なにか御力になれることはありやせんか?」

 五木は威勢のいい男だった。

「おやおや、それは大変でしょう。とりあえず上がってください」

 茶を出して話をすると、五木はいろいろなことを話した。

うちぃ兄弟が多いもんで、成人したら家を出る決まりなんですよ。だから一番目と二番目の兄貴には会ったことがなくて。俺と同じ旅大工をやってると思うんですが、名前が一木と二木ってことしか知らんのですよ。あっ、因みに三男は三木で、四男が四木ってんですけど」

「五木さんは五男なんですね」

「そうそう。俺の知る限りじゃ下にあと三人」

 八人兄弟とはこの時代珍しい。一人二人子が出来たところで親は喰われることが多いというのに。

「大工さんということは、家を一から建てることもあるんですか?」

「う~ん、一からってのはないですね。設計も工程も教わっちゃいますが、俺一人じゃ出来ることに限りがあるし、人を集めりゃ『鬼』が出る。建ててくれって人もいやせんし」

「人手があり、『鬼』が出なければ、家を建てられますか?」

「は? 建てられますが……『鬼』が出ない保障なんて……」

「あるんです」

 宗間にはある考えが浮かんでいた。五木が名乗ったそのときから。

「わたしがいると、『鬼』は出ないんです」

 五木の顔はぽかんとしていた。

「――と、いうのは冗談で、実は『鬼』が嫌う香があるんです」

「本当ですか!? それはすごい! 大発見じゃないですか。どうして出回ってないんです?」

「特殊な製法なので、わたしにしか作れないんです。一人では限りがありますから」

 五木は実に驚いていた。千年ものあいだ見いだされなかった『鬼』への対抗策がこの場にあるというのだから。

「わたしは寺子屋を開設しようと思っているのですが、建ててくださいますか?」

「もちろんっ……あ、いや待ってください。『鬼』を寄せつけない香があっても、人手がないんじゃ寺子屋なんて立派な物は……」

「――おい宗間、ガキどもときのこ狩りに行こうと思うんだが――と、なんだそのガキは」

ぇいがしらにガキとはなんだ! 俺ぁ今年で二十五だっ」

「ほぅ、それは悪かったな。うちのガキとたっぱが大差なかったもんで、勘違いしちまった」

「んだとてめぇ、表出やがれっ」

「いいだろう。軽ーく運動に付き合ってやる」

 それから二人は殴り合いを始めてしまった。

 人手として荒野を紹介しようと思っていたが、仲違いされてはそれが適わない。

 しかし、そんな心配は無用だったらしい。殴り合いは思いの外白熱し、拳をぶつけた二人の間には友情が芽生えていた。

「はぁ……はぁ……やるじゃねぇか」

「……おまえもなかなかのもんだ」

 がしっ、と、手を組み交わす二人。

「いつまでも庭にいないで、さっさと傷の手当てしますよ」

 宗間はむんずと、二人の首根っこを掴み引きずって行く。

「引きずらなくても自分で歩けますよ――って手ぇかった!?」

「……おまえ、意外と力強いな」


 改めて荒野を紹介したところ、五木は寺子屋を建てることを快諾かいだくした。

 十人分の力を持つ荒野と馬鹿力の宗間がいれば、少人数でもなんとかなるだろう。

 なんといっても、

「『鬼』を寄せつけない香があるってんだ。恐れるものはありません!」

「『鬼』を寄せつけない香? なんだそり――」

 バシィッ、と荒野の口を塞ぎ「君そういえば茸狩りに行くと言っていましたね。行きましょう行きましょう、すぐ行きましょう」

 そのまま小屋から離れたところまで移動した。

「――さっきのはおまえが吹き込んだのか」

「ええ」

「大方『鬼』が出る心配をする奴に承諾しょうだくさせるための方便だろうが、存在しない物で『鬼』を退しりぞけることはできねえぞ」

「香はありませんが、『鬼』を退けるものはあるんですよ。ああでも言わないと、信じてもらえそうになかったので」

「……そのものっての、俺も信じないようなものか?」

「そうですね……君には、方便は必要ありませんね――」

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