四 樹木医
1
雪まだ降らぬ初冬。
小川の側に大きな桜の樹と、一軒の民家があった。
ほんの数枚を残して葉を落とした桜の樹に、尋ね人の男は登っていた。地面に突き立てた棒の先から伸びる紐を、桜の枝に括り付けている。
「ずみませーん。行商の方に紹介を受けてきたのでずが、お時間よろしいでしょうかー?」
男はハジメたちの方を一瞥した。顔に変わった物――眼鏡――を掛けている。
と、無言で家の方を指差すと、また樹に紐を結びだした。
判断に迷ったハジメは隣の旗に視線を向けた。
「縁側に座って待っとるようにいうことやないですか?」
ハジメもそのような気がしていたので、縁側で待たせてもらうことにした。
庭には五匹の犬がいて、それぞれハジメが近づくや尻尾を丸めて隠れたり、吠え立てたり唸ったり、遠巻きにじっと見てきたりと、いろいろな反応をみせた。
男は最後まで作業をしてしまうつもりのようで、一つ結び終えてもこちらに来る様子がない。
「あれはなにをしているんでしょう?」
「う~ん、なんでしょうね~。枝に紐を結んでることしかわかりませんね~」
ハジメと旗がただ口に出しただけなんだか考えているんだかわからない調子で言うと、
「あれは雪が積もっても枝が折れないよう、冬支度をしているんだろう」
「はぁ~」「はぁ~、なるほど」と、旗とハジメの声が重なった。
旗はハジメと顔を見合わせて、「わたしらの地元も雪深くなりますけど、樹ぃに冬支度するゆう習慣はないですね」
「折れて困ることがないからでずかね」
「空真ちゃんようわかりましたね」
「まあな」
空真は澄まし顔だ。
作業は終盤に差し掛かっていたらしく、さして掛からず男は降りてきた。
そもそも一行がこの男を訪ねてやって来たのは、薬種の補充のためだ。
行商から道を教わったり、食料や草履などを貰うための材料として出番の多い薬。その素である薬種はある程度常に備えておきたい物だが、備蓄が心許なくなったのである。
寺子屋では畑で栽培したり、知った山で採取していたが、旅に出てからは行商を通して入手するのがほとんどになっている。
今回も行商に尋ねたところ、この男を紹介されたというわけだ。
男は行商人に「樹木医」と呼ばれていた。
樹木のことに詳しいだけでなく、その樹木への接し方はまさに医師のようであるからという。
本来は薬種や食料となるものを採取し、売るのを主な生業としているらしいが。時折、増えた犬を番犬として人に譲ることもあるらしい。先日出会った
ハジメが樹木医に用件を話すと家の中に案内され、薬種を出してくれた。
それでも揃わなかった物があったが、採取できる物もあるらしく、ハジメは樹木医の先導で森に入った。
冬を間近にした樹に残る葉は少ない。残る葉も、風が吹けばカラカラと音がしそうで、今にも枝から落ちそうだ。
一足先に地面に落ちた葉たちは、風に乗ってくるくる楽しそうに踊る。
庭の掃き掃除をしているときにはじっとしていてほしいと思うものだが、森の中ではじっと地に寝そべっている葉よりも愉快に感じる。
落ち葉を踏みしめる乾いた足音を二人分聞きながら、目的の樹が生えている所まで案内されてきた。
この樹からは枝を少しばかり頂戴したい。
まだ若い樹なので登らずとも採れる高さだ。
ハジメがさっそく枝を切ろうとすると、樹木医に止められた。
そして違う箇所を指し示し、そこから切るようにと促された。
どうも枝一つ、何処をどう切っても良いというわけではないらしい。
ハジメは植物を見分けたり、それがどのような薬効を持つのかなど、植物を「活かす」知識には長けているが、「生かす」ことに関してはほとんど知らないと言っていい。というより考えたこともなかったかもしれない。
でもそうなのだ。樹も生きているのだから、切られたら痛いところがあると考える方が普通だ。ただ、その声は、耳を傾けなければ聞こえないだけで。
「おかえりなさーい。首尾はどうでしたか?」
樹木医の家へ戻ると旗が出迎えた。
「必要なものはあらかた揃えられました。――聞いてください、枝って何処から切ってもいいわけじゃないんでずよ。今後の樹の形に影響を与えるし、切った箇所によっては他の枝まで枯れることがあるんでずって! 切る時期も大事で、夏の樹は葉っぱが茂って元気そうだけど、そのために栄養を使っちゃって実はへろへろだから、切るのには適さないとか!」
「ハジメくん楽しそうですねぇ」
「興味深い話ばかりなんでずよ。僕も草木に関係のある仕事をしているのに気にも留めていなかったことばかりで。もっと教わりたいくらいでず」
「それはそれは。――ところでそれ全部樹ぃの先生が話してくれたんですか?」
「いえ、声に出しては一言も」
樹木医は大変寡黙で、ここまで一度も声を発していない。それでも何故かやりとりは成立している。
「そうや、おやき焼けてますよ」
「っ、いただきまず」
森へ同行しなかった旗たちは、樹木医に火を借りる了承を得ておやつを作っていた。
樹木医が御茶におはぎも出してくれ、一服である。
ハジメと旗は並んで縁側に腰掛け、湯気の昇る湯呑を手に庭を眺める。
「立派な桜ですよねー」
「花の季節じゃないのが惜しいでずね」
「春にもういっぺん来ましょうよ」
「え? 一周で終わらせる気ないんでずか?『鬼』退治」
「『鬼』退治を終わらせたら来るんですよ。先生や坊も一緒に。お花見旅行です」
「ええっ」
「『鬼』がおらんようになったら先生が集落を離れても問題ないし、旅行に出たってええでしょう? ねっ、ねっ? しましょうよ、お花見旅行」
「…………」
(旅は日ノ本だけで終われないんだけどなぁ)ハジメは苦笑した。無事に事が運んだとて、この旅が終わる頃には何歳になっていることやら。
ハジメは桜の樹を仰いだ。
「楽しみにしておきまず」
2
一服を終え、一行は樹木医に別れを告げた。
少し歩いたところで、ハジメは最後尾であるはずの自分の後ろに付いてくる足音に気づき振り返った。
一瞬誰もいないかに思えたが、視線を下げるとそれは居た。
黒い犬が一頭、ハジメに付いて来ていた。
樹木医のところに居た、遠巻きにこちらを見ていた犬だ。毛が黒いのはこの一頭だけだったので間違いない。
黒犬は吠えることも牙を剥くこともなく、むしろ心なしか嬉々とした顔でハジメを見つめている。
「みんな、ちょっと待ってください」
先を歩いていた面々にハジメが言うと、一様に足を止めて振り向いた。
「どないしたんですか?」
「なんだその犬。付いてきたのか」とはツギ。
「ひょっとして、ハジメくんに付いてきたんやないですか?」
「え、僕にでずか?」
そんなまさか、とハジメは思った。しかし、ここまで近寄ってきた動物は初めてなので、淡い期待も捨てきれない。
「そ、そうだとしても帰してこないと……」
「手が連れていきたそうにしてるが?」
ハジメの両手は犬の脇でそわそわしていた。
旗がひょいと近づいてきて、
「なんやこの犬、ハジメ少年に似てませんか?」
「おー、そうだな」
「え、似てまずか……?」
「毛が黒いとことか、目がくりくりしとるとことか」
「口を開けると尚似てるな」
「あ! 名前「
「おー、そりゃいいな」
「帰しづらくなること言わないでください!」
ハジメはぷりぷりして、
「帰してきまずからね! ここで待っててください」
ハジメが一人引き返すと、黒犬もそれに付いていく。やはりハジメに付いて来ていたらしい。
少しして、別れ難い気持ちを抑え込んでいるらしい表情のハジメが戻ってきたが、
「ハジメ少年、また付いて来てますよ」
「え!?」
ばっと振り返ると、先程の黒犬が。くるんと丸まった尻尾をふりふりしている。
「……!」
ハジメは困った表情で旗とツギを振り返った。
本音としては連れていきたいのだろうが、危険な旅に犬を連れていくのは、と躊躇っているようだ。
「付いてくるもんはしゃあないんとちゃいます?」
「旗さん……」
「ただ勝手にいなくなったら困るでしょうし、樹ぃの先生には断り入れときましょ」
(おぉ。犬が二匹尻尾振ってら)
このあと、無事樹木医からの許しを得て、一はハジメに付いていけることになったのだった。
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