死して鬼を屠る

呉於 尋

皐月ノ幕

開幕

 よく晴れた日だった。

 ところは日ノ本の一国、潮の匂い満ちる湾岸の町。平屋の家屋が密集し、大名屋敷を有する。人口も人の出入りも多い町は、この日も、人で賑わっていた。

 中でも往来が多いのは大名屋敷に通ずる大通り。商店や食事処が軒を連ね、さまざまな顔が行き交う。

 暖簾のれんの奥から漂う食欲を刺激する匂いに町の男衆が吸い込まれていき。旅荷を背負い並進する男たちは先日の合戦について語り、町娘は日頃のささやかな話題に花を咲かせ。昼間から道端で酔い潰れている野郎の前を赤子をおぶう女児が通り過ぎる。

 乱世にあっても穏やかな光景。

 一所いっしょを二つの小さな影が走り抜けていく。町の少年たちだ。

 武士と少年たちがすれ違った。少年たちは笑顔で、駆ける足音も心なしか楽しげだった。

 少年たちがさらに三人とすれ違い――

 突如、後方からけたたましい轟音が響いた。

 道行くみなが足を止め、同じ方向を見つめた。見つめる先からは土煙が上がっていた。

 そこかしこから聞こえた音が鳴りを潜め、町は静寂に支配されたようだった。

 数瞬後、姿の見えない悲鳴。それはどんどん近づいてくる。

 なにかがくる。

 なにかが近づいてくる。

 ――見えた。

「それ」は――一見人の形をしている「それ」は、屋根を見下ろせるほど高く、頭に二本の角を生やした赤黒い肌の、異質なものだった。

 逃げなければ。

 そこにいる誰もがそう思った。

 少年たちはふたたび駆けだした。

 が、それがなにになるだろう。

 よく晴れた日。なのに、進む道に光は落ちない。

「それ」は、指の数ほどの人間を一気に掴み上げた。一人の少年もともに。

 掴まれた人々は抜け出ようと必死にもがいた。しかし叶わない。

「それ」の手の中、少年は手を伸ばした。呆然と立ち尽くしているもう一人の少年に向かって、空しい手を、伸ばしていた。

「それ」はまるで林檎でも頬張るように、人を頬張る。

 道行く者は逃げまどい、泣き、鳴き、よりもがく。

 はたして林檎の鳴き声が届くだろうか。

「それ」は二口目を頬張った。

 少年の番だった。

 腹を喰い千切られ、血を、臓物を散らし、悲痛の中死んでゆく。

 それを見つめ尚も立ち尽くす少年は、顔を歪め……

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


「それ」は後に『おに』と呼ばれるようになる。

『鬼』の出現後、国はすぐに兵を向けた。

 しかし射った幾千幾万の矢は一本も刺さらず、突撃した槍は折れ、斬りかかった刀は一太刀で刃こぼれし、ただの鉄屑に戻った。

『鬼』に対抗する術を人は持たず、兵は無駄に命を散らした。そう、すべては無駄だったのだ。

 そこに守るべきものはもう、なにも残っていなかったのだから。

 人類に捕食者がいないという常識はこの日崩れ去った。

『鬼』によって日に日に人は数を減らしていき、日ノ本を治める各地の大名は早急に対策を講じることを迫られた。しかし一年経っても適わず、大名たちは自然に権力を失った。怒り狂った民衆の手によって首を落とされ、『鬼』の前に捨てられた者もいたと云う。

 その後、『鬼』は町にばかり現れることがわかり、人は散り散りに暮らすようになった。

 これが息を潜め、死んだように生きるしかなかった時代――“したこよみ”と云われる時代の始まり。


 これより語るは過渡期も遠く去った九六二年後。『鬼』より産まれた少年の御話。

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