明 旅立ち

     1


 ざ――――――……

 しきりに地を打つ雨の音が、他の音一切を掻き消している。

 しとどに濡れるは焼け落ちた家屋、炭となって転がる親しき者たち。

 この光景はいつに見たものだろう。

 それとも、いつかに見る光景だろうか。

 見ることのない、ただの幻だろうか。

 ざ――――――……

 雨が降り続いている……――


 ばちゃっ


 灰色の曇り空を映す水溜りを泥だらけの一足が踏み通った。

 鼠色のはかまに幾ら泥が跳ねようと気にも留めず、ハジメは棚田に挟まれた畦道を駆け抜けた。

 背の伸びた稲の群れを通り過ぎ、薬草と野菜を植えた畑も過ぎると、垣根と草葺きの屋根がすぐそこに見える。寺子屋だ。

 ハジメは縁側に面した庭に滑り込むように入った。足を止めた勢いで泥水がバシャーッと跳ね上がった。

 ぱっと室内を見やると一人の男が目に入った。日ノ本の民でありながらはりに頭をぶつけそうなほど背が高く、茶トラ猫のような変わった髪の男――ツギである。

 ツギは猫のような目でハジメを見、笑みを向けた。

「よう、おかえりかい」

「ツギさん……みんなは……?」

 するとツギは開いた戸の向こう、隣の部屋に声を掛ける。

「先生、ハジメ殿がおかえりだ」

 ぱたぱたと足音がして、戸の陰から頭を丸めた美しい男が顔を出した。少しやつれたように見えるが、紛れもなく宗間そうまだ。

 幾日も不安で眠れぬ夜を過ごしたかのように、笑むこともなく、宗間はハジメの顔を認めると長い息を吐いた。

 戸を支えに今にも崩れ落ちそうな宗間にハジメが駆け寄ろうとしたそのとき、庭に面した側の戸が開き、もう一人男が顔を出した。

 痩せ細った身体に寝巻を纏った平野ひらのだった。

 三人の無事を確認し、ハジメの顔からほ……っと、力が抜けた。


 ここ数日のことを話し合うため、四人はハジメと平野の部屋に集まった。平野が横になったため話をするのに他の部屋では都合が悪かった。平野は平気だと言ったのだが、宗間がそうするように言ったものである。

「先生、平野も、大丈夫でずか?」

 ハジメの問いに、頭痛を押さえるように頭に手をやっている宗間が返す。

「君があんな簡素な書置きだけ残して、人を殺めるような集団を訪ねて行ったと聴いて、平静でいられるわけがないでしょう」

 宗間は珍しくハジメの軽率な行いに怒っているようで、無理にも大丈夫とは言わなかった。

「平野はもともと歩けたのが不思議なほど体力が落ちていましたから、無理がたたったのでしょう。君が発ってまもなく寝込んでしまったんです。今はだいぶ落ち着いたので、心配ありません」

「そうでずか……」ハジメは胸を撫で下ろした。

「みんな無事ということは、襲撃はなかったんでずね?」

「なかったよ」ツギが答えた。

 つまり佐島さじまが言っていたことは本当で、屋敷で別れたあとも行動を起こさなかったということか。どちらにせよ、かしらからの命が届いたあとでは佐島も下手な行動にはでないだろう。

「ハジメ、そろそろ君の話を聴かせてくれますか?」

「はい」

 ハジメは話した。何故、【人殺し】を訪ねねばならなかったのか。そして頭領と約束を交わしたこと。その約束を果たすために、旅に出ねばならないことを。

 その話を宗間は神妙に、ツギは真顔で、平野は青い顔で、みな黙って聴いていた。

 ハジメの話が終わると、しばしの沈黙が流れた。

「……話はわかりました」

 沈黙を割ったのは宗間だった。

「ツギさん、ハジメに付いていってはもらえませんか」

「先生?」

 なにを言っているのかと言いたげなハジメに、宗間は向いた。

「話はわかりましたが、わたしにはとても一人で成せることには思えません。一人で旅をするだけでも大変なことでしょう。それが『鬼』退治をしながらなんて命を危険に晒す旅、わたしは君を行かせる気になれません。

 せめて同行者がいれば、なにかあったとき力になってくれるでしょうし、わたしも安心とまでは言いませんが、送り出そうという気にはなります。

 そしてツギさん以上に適任はいないと、わたしは思います」

「ツギさんにはここに留まってもらったほうが。僕に加えツギさんまでいなくなったら、『鬼』からみんなを守れる人がいなくなりまず。ツギさんがいると思うから、僕は旅に出る決心ができたんでず」

「あ~ちょっといいか?」

 宗間とハジメのやりとりにツギが割り入った。視線がツギに集まる。

「さっきから聴いてると、俺があんたたちの頼みを聞き入れることが前提になってるようだが、俺がそんなお人好しだと?」

「思ってまず」「思います」

「あんたはお人好しだろ」

 ハジメと宗間が声を合わせて返し、今まで黙していた平野までもが口にした。

「もう好きにしてくれ」

 ツギはもうどうにでもなれといった様子で、後ろ頭に手をやって柱にもたれた。

「ツギさんの了承を得られたところで、わたしの案を通させてもらいます」

 宗間の発言にハジメが反論しようとしたところ、宗間が制した。

「集落のことなら心配いりません」

「どうしてでずか?」

「……いい機会なので話してしまいましょう」

 そう呟くと、宗間はまっすぐにハジメの目を見て言った。

「わたしは『鬼』を寄せ付けない体質なのです」

「…………」

 常識から外れた発言をすぐには吞み込めず、宗間以外のみなが呆気にとられているところ、宗間は続ける。

「理由はわかりませんが、現にわたしは生まれてから一度も生きた『鬼』を見たことがありませんし、集落に『鬼』が現れたこともないでしょう?」

 確かに、と、ハジメは思った。

 一人二人で住む家がぽつんとあるだけであれば、数年間『鬼』の影もないと聞いても不自然には思わない。しかし、この集落のように数十人が集って暮らしている所でとなると、話は違ってくる。

『鬼』は人の多い所にやってくるのだ。

 それこそ『鬼』が避けて通りでもしない限り、数年もの間、集落に『鬼』が現れていないなどありえない話だ。そこになにかあると考えたほうが、まだ自然といえる。

「一つ解せねぇんだが」

 ツギが声を上げ、続ける。

「ハジメもこの話を初めて聞いたように見受けたんだが、何年も一緒に暮らしてたんだろ。本当のことなら隠しておくようなもんには思えねぇんだが、今まで話さなかったのはどうしてだ?」

「……他人ひとに話さないようにしていたのです」

 宗間は意を決したように、しかし存外穏やかに、語り出した。

「わたしは幼い頃、囚われの身でした」

「――――」

 ハジメたちが愕然とするも、宗間は淀みなく紡ぐ。

「ここよりずっと西に下った所です。やしろの中に軟禁され、神仏のように祀られていました――そうだと気づいたのは少し知恵のついた頃ですが。わたしの体質をわかってのことだったのでしょう。

 生活には困りませんでしたが、わたしはそこに居ることに耐えられなくなり、逃げ出してきたのです。

 他人たにんに話せば追手がかかるかもしれませんし、同じように利用しようとする人も現れないとは言えませんから。口にしないようにしてきたのです。

 髪を剃るのも対策の一つです。過去のわたしを知る者からすれば、白い髪はこれ以上ない目印ですから。まあ、伸びたところを多くの方に見られているので、あまり意味がないかもしれませんが。

 ――納得していただけましたか?」

「……ああ」

 穏やかに尋ねた宗間に、ツギが答えた。

「…………」

 ハジメはしばし、宗間の言葉を吞み込むため黙していたが、やがて口を開いた。

「そういうことなら先生の案を吞みまず。――ツギさん一緒に来てくれまずか?」

「好きにしろって言ったろ」

 ツギは口角を上げて返した。

 それに対し、ハジメも笑みを返した。


     2


 ハジメとツギはすぐには旅立たなかった。旗の無事の確認と、別れの挨拶をしたかった。

 翌日やってきた旗はピンピンしていた。そして『鬼』を狩る旅に出ることになったと告げると、雷に打たれたような顔で固まったかと思うと、自分も付いていくと言いだした。

 以前にも『鬼』退治の旅に行きたいと言っていたが、ハジメもツギもその気がなかったうえ、行商の代わりがいないと指摘され断念していた。そのことをハジメが再度指摘すると、よくぞ言ってくれましたとばかりに旗は「心配ご無用」と言った。

 しばらくして、旗は身の丈がこぢんまりとした男性を連れて戻ってきた。なんと旗は行商を引き継いでくれる人を見つけていたのだ。

 栗原くりはらさんと紹介された男性は、隣の地域の行商人だという。なんでもかなりの健脚の持ち主で、旗の地域を合わせて請け負っても問題ないと、快く引き受けてくれたらしい。

 旅立つ目処も立っていないときに手回しをしておくとは、旗の執念を垣間見た気がした。今まで気づかなかったが、意外にねちっこいところもある男なのかもしれない。

 断る理由がなくなり、ハジメは旗の同行を承諾した。危険だからと無理に断ることも考えたが、あとをこっそり付いてくる旗の姿が浮かんでしまった。

 同行が決まったところで、引き継ぎのため十日ほど時間をくれと旗は言った。

 旗を待つ間、ハジメも旅立つための準備をした。集落の人たちに別れの挨拶はもちろん、ハジメが旅立っても大丈夫だと、説明をしなければならなかった。集落の人たちはハジメの力を頼って集まった人たちだ。説明もなしにハジメがいなくなっては穏やかでいられまい。

 宗間と話し合った末、宗間の体質は隠したうえで納得してもらえるような話を考えた。

 集落の人たちには、この辺一帯にハジメが結界を張り、『鬼』が入らぬようにして行くから大丈夫だと伝えることにした。

 もちろんハジメにそのような芸当はできないが、集落の人たちは知らぬこと。さらに、ハジメを含めた極一部の者以外には、ハジメの持つ『鬼』斬りの太刀はひどく恐ろしいモノに映るという。そんな太刀を平然と持ち、『鬼』を屠る者がそれくらいのことできると言っても疑う者はいまい。

 本人からすると多少強引な話に思え、宗間が『鬼』除けの香を開発したという案の方がまだ説得力があったのではないかと思うのだが、偽物の香を持って遠くに行かれると大変だということで没になったのだった。

 集落の人たち――特に寺子屋に通っている、ハジメを慕っていた男の子――はひどく残念がってくれたが、ハジメの話を信じ了承してくれた。


 旗の到着を待つばかりとなったハジメは、寺子屋での日常を送った。

 山で狩猟や薬種の採取をしたり、畑仕事をしたり、寺子屋の家事をしたり。合間に平野らと話をしたりと、忙しくも穏やかな時を過ごしていた。

 そして、炊事をしていたときはたと気づいた。

 自分が旅立った後、これらの仕事を――宗間の世話をする者がいないということに。

 失念していた。由々しき事態だ。

 このまま旅立っては宗間が生活力のなさ故に死んでしまう!

 先日、ハジメが寺子屋を空けていた間は集落の女性方が世話を焼いてくれたらしいが、頼りっきりというわけにもいかない。

 平野が動けるようになれば問題ないだろうが、回復するにはまだ数ヶ月は掛かるだろう。

(平野が回復するまで出立を延ばそうかな……)

 しかしそんなことをすれば、【人殺し】がしびれを切らして約束を反故にするかもしれない。

 解決策を思いつかぬまま数日を過ごしたある日。

 寺子屋に洞穴で出会った青原あおばらが訪ねて来た。

 思った通り、宗間は快く青原に書物を見せてやった。書棚一杯の書物を目にした青原は子どものように瞳を輝かせ、顔を上気させていた。

 それから青原は縁側で読書にふけっていたが、しばらくしてハジメと話をした。その中でハジメは寺子屋の――正確には宗間のだが――世話をしてくれる人がおらず、悩んでいることも話した。

「あの先生はそれほどにそれほどなのか」

「それほどにそれほどなんでず」

 ハジメが肩を落として答えると、青原は視線を上にやって物を考える素振りをした。

「その、平野さん? が元気になるまででいいなら、僕がその役引き受けようか?」

「え、でもそんな悪いでずよ」

「本を読むのにしばらく滞在させてもらうし、ただ読ませてもらうより僕も気が楽になる。もちろん君と先生がよければの話だけど、人並みの仕事はできるつもりだ。どうかな?」

「……じゃあ――」 

 ハジメは青原に世話を任せられるか判断するため、試しに仕事をやってみてもらうことにした。手始めにこの日の夕餉の支度を頼んだ。

 調味料の場所など、必要なときにはハジメが指示を出したが、調理は青原が一人で行った。因みに寺子屋の包丁は行方不明でハジメは太刀を代用していたが、他人に使わせる訳にはいくまいと、青原の持ち物である小刀を使ってもらった。これを機に新しい包丁を頼むことにした。

 青原は慣れた様子ではなかったが、器用に調理をこなし、安心して見ていられた。

 長年炊事をしてきたハジメには及ばぬものの、味も器用さが現れた十分に美味いものだった。

 翌日には他の仕事に同行させ、手伝いをさせたが、どれも器用にこなした。畑仕事など全くやったことがなかったというが、すぐに要領を得てこなしてしまうのだ。

 正直なところ、青原はかなり優秀な男だった。おそらくどんな仕事でもそつなくこなしてしまうだろう。それはきっと「人殺し」でも……。敵だったらと思うとぞっとする。

 ハジメは青原に寺子屋の世話を頼むことにした。これで問題は解決だ。


 青原に仕事を教えながら過ごしていると、言っていた十日も経たぬうちに引き継ぎを終えた旗がやって来た。

 ハジメは内心もっと時間を掛けてもよかったのにと思ったが、口にはしなかった。

 そんなハジメに旗はニコニコ顔で渡したいものがあると言った。

「じゃじゃーん」と旗が取り出したのは、藍染めの着物だった。

「どうしたんでずか、それ」

「ハジメ少年に着てもらおう思って用意したんです」

 旗は衣料品に強い行商の知り合いに頼んで見繕ってもらったのだった。それも引き継ぎが終わる頃に手に入るようにと旅に出ることに決まったその日に頼み、この数日ハジメに見せるのを楽しみにしていたのだ。

「背面にはハジメの「一」文字もんじ入りー」

「は、派手じゃないでずか? 着物を贈ってくれるのは嬉しいんでずが、形も随分奇抜なような……」

 着物は狩衣を原型とした、集落ではちょっと見ないようなものだった。これで人々の中に混ざろうものなら目立ってしかたないだろう。

「色味は渋いですし、これくらい特徴的な服装をしてたほうが、例の危ない人たちにもハジメ少年がちゃんと約束を守って『鬼』退治してるって話が伝わると思いますよ」

「な、なるほど」

「なにより英雄らしさが増してかっこええやないですか!」

「それが本音でずか!」

「揃いでツギさんのと、わたしも羽織をこしらえてもらったんですよ。ツギさんのは「二」文字入りで、わたしのは文字なしで枠だけなんですけど、揃い感あってええでしょう?」

「旗さんはも~」

 しょうのない人だなと思いながらも、ハジメは笑っていた。


     3


 出立を明日に控えた夜。ハジメは縁側に腰掛け、雲間に星がきらめく空を見上げていた。ほんの数日前まで大合唱する蛙の声が聞こえていたが、今は控え目に鳴く、数匹の声だけが聞こえている。

「明日だな」

 そう言って平野が隣に座ってきた。

「そうでずね」

 夜空を見上げたままハジメは返した。

 平野も同じに空を見上げた。

 しばしの間、二人はただ並んでそうしていた。

「あ~……」と、頭を掻きながら平野が口火を切った。

「俺さ、あの日、おまえが死んだと思って、ここに帰って来れなかった」

「はい」

「現実に向き合うのが怖くて、逃げて……何年も経って、やっと、自分が馬鹿だったって気づいた。気づいたけど、もう遅いと思った」

「…………」

「でも、こうして帰って来れて、よかったと思ってる」

「はい……」

「あー昔話がしたいんじゃなくてな。帰ってこれたのは本当によかったけど、俺もう子どもじゃないし、寺子屋に居る理由はないんじゃないかって思ったんだよ」

 ハジメは平野に顔を向けた。平野が続けて言葉を紡ぐ。

「どうしたいかって考えて――宗間のことは心配だけど――、今はおまえたちに付いていきたいと思った」

 ハジメは驚きに目を見開いた。

「この身体じゃ無理だってことも、危険な旅だってこともわかってる。けど、日ノ本半分回ったら一回帰って来いよ。――そしたら、一緒に旅しようぜ」

「……それは……楽しそうでずね」


 翌朝、ハジメ、ツギ、旗振はたふりの三名は、藍染めの衣に身を包み、寺子屋から出立した。宗間と平野と青原と、笑顔で別れた。


 この旅路の先が明るいものになると思い込んだ。

 道の先に輝く光がどれほど小さく、周囲の暗闇がどれほど巨大なものか知っているはずであったのに。

 梅雨明けの晴れ渡る空が惑わせたのかもしれない。


 それでも信じよう。

 如何に細くとも、光へ至る道は、絶たれてはいないのだから。

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