盛夏

一 鬼穴島(一)

     1


 生い茂る枝葉の隙間からぽつぽつと眩しい日差しが射し込み、比例するように濃い影を落とす山の中、藍色の衣を纏った一行が歩いている。

 その姿は、はたから見れば奇異なものに映るだろう。

 一人は顔だけ見ればなんの可笑しなところもない少年だが、胸に提げた般若の面と、腰に佩いたかしらからこじりまで黒一色の太刀が、不気味で恐々とした印象を与える。背に負った木箱に生首が入っていても、不思議には思うまい。

 一人は日ノ本の男とは思えぬ長身だ。しかし、それ以上に目を引くのがその頭髪。茶トラ猫のような色と模様をしている。まるで猫が化けているかのように、その瞳も黄色く瞳孔が縦長で、腰には尻尾らしき物まで揺れている。荷を提げた金棒を提灯に持ち替えたら、まさしく百鬼夜行に並ぶそれである。

 最後の一人は笠を被り、旅荷を背負った男。今の時代には珍しい狩衣のような衣の前二者と違い、この男はよく見る形の羽織を着ている。男自体に奇異なところは見当たらないが、前の二人といることで、なにもないことが寧ろ異様に思わせた。

「いや~、通り道教えてもらえて助かりましたね。でないと草ぼーぼーの道を掻き分けて進まなあかんところでした」

 訛りのある口調で笠の男――旗振はたふりが言った。

「そうでずね。『鬼』の情報も得られましたし、旗さんが行商仲間に訊いてくれたお蔭でず」

「す」が濁る癖のある声で、先頭の少年――ハジメが言った。

「ただの付き人になるかと思ったが、意外なところで役に立ったな」

 そして化け猫のような男――ツギ。

『鬼』退治の旅に出た、ご存じの三人組である。

 寺子屋から旅立った一行は、まず行き先をどうするかという話になった。旅の目的から言って『鬼』を見つけなければ話にならないわけだが、探すとなると難儀なものだ。

 すると旗が行商人に情報を求めてはどうかと提案した。

 行商人はその土地のことを熟知しているし、入り用の物があれば手配もしてくれる。多くの人と関わる仕事であるため、情報も自然と集まってくる。『鬼』の目撃情報があれば、それも知っているというわけだ。

 なんという得策。ハジメはこのとき初めて旗に頼もしさを感じたほどだ。

 行商をしていた旗の伝手もあり、この地の行商が使う通り道や『鬼』がよく現れるという場所の情報を得ることができた。

 今はそこへ向かっている最中である。

「ちょっとツギさん、付き人やなくて語り手です語り手。そこ間違えんといてください」

「怒るところはそこでいいんでずか」

 などと、時折会話をしながら歩を進めていると、眩むような光にハジメは思わず手で遮った。草木の群れを抜け、山の縁に出たのだ。

 目が慣れ、しかめていた目を開くと、目の前には眩しく鮮やかな青が広がっていた。

「海やーー!」

 旗でなくとも叫びたくなるような、夏の海と空がそこにあった。

「なんだあんた、海は初めてか?」

「いえ二回目です。ただ小さい頃、祖父に連れていってもらったきりなんで、初めてのようなもんです」

「そりゃ、海を堪能させてやりたいところだが、――ここいらだろ。『鬼』が現れるってのは」

「はい」

「しかし、ほんとにこんな所に出るのかね。『鬼』は水が苦手なんだろ?」

 ツギの言う通り、『鬼』は水に濡れると皮膚がただれ、度が過ぎれば死に至る。『鬼』にとっての水は、人間にとっての火のようなものだろう。触れれば火傷を負い、焼かれ続ければ死に至る。

 故に『鬼』は水を避けるものだった。

 ハジメは辺りに視線を巡らせる。と、ずっと自分の前を飛んでいた二匹の真っ黒な蜻蛉とんぼが海岸の方へ飛んで行くのが目につき、眼で追った。

 するとはっと目を見張り、

「二人とも屈んでっ」

 背後の二人に、小声ながらはっきりと指示を出した。

 反射で屈んだものの、状況がわからない旗が小声で問う。

「えっ、なになに!? どうしたんです?」

 するとハジメは黙って蜻蛉が飛んで行った方を指差した。

 そこには、一体の『鬼』がいた。

 砕いた貝殻のように白い『鬼』が、海に挟まれた道を歩いている。

 岩壁の上からそれを見下ろす位置にいるハジメたちからは距離があったが、はっきりと姿がわかる程度の距離だった。

「ひゃーおった~っ」

 口に手を当て、恐々と旗が言った。

「……あそこに向かってるみたいでずね」

『鬼』の進行方向には島があった。島は対岸と一本の道で繋がっているが、ハジメたちにはそれが間違いなく島であるとわかっていた。

「――行きましょう」

 言ってハジメは身を翻した。

「ああっ、待ってください……!」

 旗とツギもあとに続き、一行が浜に降りたときには『鬼』はもう随分先に進んでいた。

 ハジメは一刻も早く追いつこうと駆け出したがすぐに体勢が崩れ、転びそうになった。浜と『鬼』の行く道は掌大の石がごろごろ集まって出来ており、足場が悪かった。平地であれば四足獣ほどの疾駆を見せるハジメだったが、ここではそれが適わない。

 可能な限り急ぐも、一行が対岸に着いたときには『鬼』の姿が見えなくなって一分ほどが経っていた。

 まもなく。

 人声が上がり、続いて大きな落水音と『鬼』の咆哮が轟いた。

 ハジメは一気に音のした方へと駆け上がった。

 黒松の林を抜け、開けた場所に出ると足を止めた。

 そこでは二十人余りが大きな円になり、中心に開いた大穴を覗き込んでいた。

 穴の中から絶え間ない水音と『鬼』の断末魔、そして赤い煙が上がっている。

 行商に聞いた話はこうだった。

『鬼』を寄せる島がある。

 る海岸に僅かのあいだ島へと続く道が現れ、『鬼』はそこを渡ってゆく。

 渡った『鬼』は二度と戻らない。

 島には『鬼』を食らう穴が開いているのだと云う。

 その島の名は『鬼穴島きけつとう』。

 実際のところはこの目で確かめたわけでないためわからない。

 しかし、そういう名の島があるのも、海岸の近くに『鬼』がよく現れるのも、島の方から『鬼』の断末魔が聞こえてくるのも、本当だ。と。

 話に聞いていてもその光景は異様で、ハジメたちは立ち尽くしていた。

 と、円を作っている一人――ハジメと同じか少し年上くらいの少女がこちらに気づき、同じく円を作っている一人に耳打ちした。

 長い黒髪を緩く纏めた背中が振り向いた。

 青年の切れ長で涼やかな目が、ハジメの目を見据えた。


     2


 青年がハジメに問う。

「何者だ?」

「あっ……僕たちは『鬼』退治のため、旅をしている者でず」

「『鬼』退治……?」

 青年は訝しげにハジメと、その後ろにいるツギと旗とを観察した。

 旗はともかく、ハジメとツギの格好は正直いって怪しい。金銭目当てのおかしな宗教者と思われても不思議ではない。

 どう取ったかはわからないが青年は、

「『鬼』退治なら間に合っている。他所へ行ってくれ。――撤収だ!」

 ハジメがなにか口にする間もなく、青年は号令を飛ばした。周りに居た人々が一気に引き上げて行く。

「…………」

「ハジメ少年、どうします?」

 啞然としていたハジメに旗が尋ねた。

「……『鬼』は亡くなったみたいでずし、一度戻りましょう」

 色々と訊きたいことはあるが、警戒されては事だと、ハジメは踵を返した。

 その様子を見て、青年は彼らがおかしな宗教者ではないと確信したらしい。

「海の道はもう戻れない」

 青年の声にハジメは振り向いた。

「え……?」

「あの道は干潮のときにしか現れない。もう潮が満ちてきた頃だ。次に道が現れるまでなら村に滞在して構わない」


「いやーほんまに道がなくなってますわ」

 後方を振り向いた旗が声を上げた。

 ハジメたちが通ってきた道は完全に海に沈んでいる。

「あの道は海に沈んでいることの方が多いんだ」

 先導をしている青年が言った。ハジメたちに島に滞在するように言った青年だ。

 青年は旗やハジメ、ツギにも目をくれず続ける。

「今時期はほとんど毎日だが、必ず渡れるわけじゃない。波が高いと渡れないし、現れるのもせいぜい半刻はんときだ。明日は寝過ごさないことだな」

 最後は嫌味のように聞こえたが、旗は気づかないのか意に介さないのか、にこやかに会話を続ける。

「干潮のときしか現れない道なんて初めてですわ。おもしろいですねぇ。ところでお兄さん、名前なんて言いはるんです?」

「……清水しみず

 清水はすたすたと歩き、ハジメたちも後を追った。

 島の南側へ来ると、点在する民家が見て取れるようになった。

 穴の周りでは若者が多い印象だったが、老人や幼子の姿もある。

 中年層を見掛けないが、道中、海の方に舟が幾つか見えたため、それに乗っているのだろうと思われた。

 更にしばらく歩き、一際大きな建物の前までやって来た。

 中へ入る清水に倣い、ハジメたちもあとに続く。

 入口に掛かっているすだれを遠慮がちにくぐると、中は広い板の間になっていた。

「村の集会所だ。宿なんてものはないからここに泊める。隅に荷物を置いて来い」

 草履を脱ぎ、中央に置かれた長机の脇を通り奥に進んでいく。

 と、すすー、と、横から茶を啜る音がしてハジメは跳び上がった。誰もいないと思っていたのだが、そこには老婆が座っていた。総白髪でしわしわの御婆だ。

「俺の祖母だ。……ここは家と繋がっているから居間として使ってるんだ。ほとんど話さないから挨拶もしなくていい」

「はぁ……」

 ハジメは挨拶もしないことに気が引けたが、そう返事をした。

 しかし旗はそれでは気が済まず。

「そんな、お世話になるのに挨拶もせんなんてできません。――おばあちゃん、今日はお世話になります」

 愛想のいい旗の挨拶に婆は湯飲みを持ったまま微動だにせず、間を置いてすすーと茶を啜った。

「今のは返事してくれたんですかね?」

「……ただ茶を啜っただけだ」

 婆の返事を待ってもしょうがないため、荷と太刀も置き、一行は再び外に出た。

「清水さん、これから他にもどこか?」と旗。

「いいや、大人しくしていればあとは好きにして構わない。火は貸すが、食事の面倒までは看ないからそのつもりで動くんだな」

「えーっ、一緒にお食事しないんですか?」

「……しない」

「じゃあせめて食材を融通してもらえたりは」

「……生憎、自分たちの食う分しかない」

「そこをなんとか。あ、ただとは言いませんよ。こちらのハジメ少年は薬師もしておりまして、薬と交換ならどうですか?」

「……薬師なら島にもいる」

「ん~じゃあ、清水さん、一緒に食料調達を――」

「しないっ。……他人の面倒を看るほど暇じゃないんだ」

「――それはないだろ清水ー」

 清水にぶつかるように、横合いから新たな人物がやって来た。捩り鉢巻きに垂れ目の、清水と同じ年頃の青年だ。

「……なにする近江おうみ

「おまえがお客さんに不親切極まりないこと言ってるのが聞こえたからさー。――あんたさっき『鬼』退治とか言ってただろ? ひょっとして〈『鬼』を斬る少年〉本人だったり?」

「あ、お兄さんもその話知ってます? 如何にもこの、ハジメ少年が〈『鬼』を斬る少年〉その人です」

「やっぱそうなの! 本物に会えるなんて感激だなー。俺近江。食事なら俺が面倒看るから安心して」

 近江はハジメの手を取り、ぶんぶんと振った。

「あ、ありがとうございまず。ハジメでず」

「おい、近江。おまえ、なに勝手な――」

 清水が止めようとしたが、近江はまったく意に介さず、

「さあさ、冷たい清水は放っておいて、早速食料調達に行こーー」

 言うと近江はハジメの手をぐいぐい引っ張った。

 引かれるままのハジメが振り返ると、清水がどこか険しい顔で、こちらを見据えていた。

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