五 色づく楓(二)
朝餉の片づけを終え、ハジメは再び
しかし、皿洗いを終えたところで子どもたちが駆け寄ってきて、さっとめぐがハジメの手を取った。
「遊びましょ。まずは寺子屋を案内してあげる」
断る間も与えず、中ちゃん、竹ちゃんも手伝ってハジメをぐいぐい引っ張り外に連れ出していく。
「あっ、その、広岡さんに話を――」
「話なんていつでもいいだろ!」
「行きましょ、行きましょ」
子どもたちの手を振り払ってまで急ぐことでもないか、と、ハジメは引かれるがままにした。
そして、初めに連れていかれたのは母屋とは別に建てられた小屋だった。
この寺子屋では草木染めした糸で反物を織ることを生業としていたと言う。小屋はその作業場らしい。
ここの者が着ている物は継ぎ接ぎのない綺麗な物だと思っていたが、生産者だったからのようだ。
小屋を見たあとは流れで草木染めに使う染料を採りに行こうと山に誘われた。
ツギは面倒だからと言って残ったが、ハジメと旗は山を連れ回され、戻ってからも草木染め体験教室のようなものを受けていたら、気づいた時には日暮れ前になっていた。
夜の山歩きは危険だから今夜も泊まっていけ、と、広岡に勧められ、昼前にはお暇するつもりだったのがもう一晩泊まっていくことになってしまった。
そして翌日。ハジメは広岡に話を聴いたらすぐにお暇しようと思っていたのだが、朝餉が終わるとまたもや子どもたちに捕まった。
昨日はされるがままにしていたが、今日はやんわりと断ろうとした。
しかし、広岡から子どもたちと遊んでやってくれないか。自分は遊んでやれないからと言われてしまい、そうすることはできなかった。
また日が暮れて……――気づけば、この寺子屋に来て三日が経っていた。
「旗さん、ツギさん、ちょっと
唐突に発せられたハジメの言葉に、旗とツギは一瞬固まった。
「……ハジメ少年、連れ小便はしない派じゃありませんでしたっけ? いつから志向が変わって……」
「いつからでもいいから付いてきてください」ハジメは旗の襟首を摑んで引っ張っていく。
なにかを察している風でツギもあとに続き、三人は寺子屋の外に出た。
旗は袴に手をやったが、ツギに止められたところでようやく「あ、三人だけで話すための口実だったのか」と察したようだ。
他に付いてきている者がいないことを確認し、ハジメは口を開いた。
「広岡さんも子どもたちも、なんだか僕たちをここに留めようとしているみたいじゃないでずか?」
「あ、ハジメ少年もそう思てました? わたしも薄々そんな気がしてたんです」
「ガキどもは傍を離れねえし、ばあさんも、話があると言いながら一向にしようとしないしな」
「どうしたらいいと思いまず?」
「留めようとするからには、なにか理由があるんでしょうけどね。う~ん……」
「うだうだ言っててもしゃあねぇだろ」
背を向けたツギを二人が振り向いた。
するとツギは振り返り、
「本人に訊いちまおうぜ」
一行は返事を待たず広岡の部屋に入った。
広岡はハジメたちの表情から察したのだろうか、無礼だと怒ることもなく、静かに言った。
「話の続きを聞きに来たんだね」
「はい……」
ハジメたちが腰を落ち着けると、広岡は滔々と話し始めた。
「こないだあたしが話しときたいと言ったのは、そこの『鬼』を葬ることのできる武具のことだよ。あれは使う度、使った者の命を吸っていく」
「っ……」
「気づいてなかったかい? 歳の違いかね。あたしは元々十分生きてたからね。吸えるものもほとんど残っちゃいないんだろう。身体は若くなったはずなのに、どんどん老いていくのがわかるんだよ。――いや、老いとも違うね。希薄に、細くなっていく感じかね。――そう、深刻そうな顔をするんじゃないよ」
広岡はハジメと旗の顔を見て、苦笑を浮かべた。
「あたしの話ってのはこれだけのことなんだがね。今まで話すのを引き延ばしてた、ってのは、気づかれてんだろうね」
旗が一人頷いた。
「話すまでもなく、あたしはいつ死んでもおかしくない状態だ。この寺子屋には、あたしの跡を継いでくれる者もいない。子どもたちを残して逝くことになる。それだけがあたしの心残りでね。あんたたちの誰か――できればハジメかツギがここに残ってくれたらって思ったのさ。虫のいい話だがね。
子どもたちもあたしが長くないことは覚ってるんだろう。自発的にあんたらをここに留めようとしたんだろうさ」
「…………ひどいじゃないでずか……」
ハジメが声を押し出すように言った。
「ああ、すまなかったね。ここまで話して、残ってくれるだろうとは思っちゃいないよ」
「そんなの! ひどいじゃないでずか!」
ハジメが声を荒げたので、広岡も旗たちも目を丸くした。
「まるで、広岡さんじゃなくても、面倒を看てくれる人なら誰でもいいみたいじゃないでずか……っ!」
「…………」
広岡は呆気にとられた。
目の前の少年が、想像もしなかった言葉を言ったから。
そして、ひどく、怒ったような表情をしているから。
ハジメはやにわに立ち上がると、どかどかと足音を立てながら部屋を出ていく。
「ハジメ少年……!?」
旗が声を掛けても脇目も振らず、隣の部屋――子どもたちの居る部屋の戸口にダンッ、と仁王立ちした。
何事かと目を向ける子どもたちに、ハジメは吠えた。
「甘ったれてんじゃねえぞ!!」
「!?」
「広岡さんがいなくなったときのことを考えるなら、代わりを見つけるんじゃなく自分たちだけで生きていく術を身につけろ! 初日から思っていましたが、広岡さんが動けなくなるまで炊事もろくにしたことがなかったなんて、甘ったれもいいところでず」
「は、ハジメ少年……?」旗とツギ、それと二人に連れられて広岡も後を追ってきた。
するとハジメはぐるりと広岡を向いて、「広岡さんも甘やかした責任がありまずよ! 炊事もろくにできない寺子屋の子なんて他にいませんよ!」
「!?…………」
ハジメは再び子どもたちに向き直り宣言する。「自力で生きていけるよう、僕が叩き直してあげまず」
3
それからというもの、ハジメの厳しい指導が始まった。
調理、洗濯、掃除といった家事の基本はもちろん、畑仕事に山で採れる植物の知識に、多少はできたほうがいいだろうということで、読み書きに算術まで。子どもたちにみっちり仕込んでいく。
教えることは山ほどある。全員が全部を覚えることに越したことはないが、人間、得手不得手があるのだからなにかしら
子どもは四人もいるのだから、効率を考え、得意なこと、希望したものをそれぞれ分けて教えることにした。誰か一人わかるものがいれば後で教え合うこともできよう。
と言っても、指導するのはハジメと旗の二人だけのため、二手に分かれる程度である。
大方のことはハジメが教えるのだが、旗も行商をしていただけあって、金勘定や行商人との交渉術。山の植物のことなどは教えられるというので、協力の申し出を受け入れた次第だ。
ツギは教えることもないし、そこまでする義理はないと言うので、広岡の様子を時々見る係に任命した。不思議とツギはハジメの言うことは受け入れるのである。
二週間もすると子どもたちそれぞれの得意不得意が見えてくる。
まず寺子屋唯一の女児、めぐ。本名は
これは甘ったれというより他人に甘えるのが上手い娘で、炊事よりも旗による金勘定や交渉、話術といったことに熱心で、才覚を現しつつある。齢五つにして末恐ろしい娘だ。どこかのさっちゃんのように、悪の付く女にはならないで欲しいものである。
炊事に関心を示したのは、おしんこもまともに切れなかった中ちゃんこと
中村は年長で気の強い性格のため、ガキ大将的位置の子どもで炊事に興味を持ったのは意外であったが、素直になれず虚勢を張っているだけの子どもだとわかるとそうでもなくなった。実際は子どもたちの中では一番の小心者だし、冒険よりも安定を求める口だ。生活の基本となる家のことに関心が高いのもある意味納得といえよう。
実のところ広岡が健勝であった頃から興味があったらしいが、他の子どもたちの手前、恥ずかしくて言い出せなかったのだと言う。
次に、魚を焦がした竹ちゃんこと
印象としては優しく穏やかで、中村といない限りは大人しいくらいのものだったのだが、これまた意外なことに関心を示したのは狩猟だった。
猟の中でも罠猟なのだが、ハジメが習いたい者はいないか尋ねたところ、勢いよく挙手したものだ。
そして四人目――
ハジメはこの男児の本名もあだ名も、誰かが呼んでいるのを聞いたことがなく。また、声を聞いたことすらなかった。
部屋の隅の方でじっと座っていて、いつも輪から外れている。子どもたちがハジメらを連れ回していたときも、この男児だけはいなかった。
めぐたちが言うには、
「あの子「
「来たばかりの頃はがりがりで、どこか遠くを見てるみたいでちょっと怖かったし、口もきかないから。中ちゃんが構うなって言うのにぼくらも従って……」
「おい、おれだけが悪者みたいじゃねぇか」
要するに「洟垂れ」はハブにされていたわけだ。
ハジメが推測するに、寺子屋に来たばかりの頃の様子は栄養失調に因るものだろう。
ハブにされながらも食事はちゃんと食べさせてもらっていたようだし、今は回復しているのも筋が通る。
それでも自ら輪の中に入ろうとしないのは、諦めてしまっているのだろうか……。
そうだとしても、このまま放置しておくことはできない。
ハジメが洟垂れを含め、子どもたちを畑に連れ出したときのことだ。
「今は誰が畑の手入れをしているんでずか?」
「誰も……。ぼくらで偶にお水やったり、草むしりしたり……生った野菜を採りに来るくらいだよ」
竹内の言う通り、畑は手入れがされているとは言えない状態だった。
土壌と野菜自身の生命力に助けられている、という印象だ。
ここまで手入れをしていないのはそれで問題が出なかった、というのもあるだろうが、畑仕事に関心のある子がいなかったのだろう。
元々、畑仕事は家の手伝いで仕方なくやって覚える子どもが多いもので、率先してやる者は少ない。率先してやる子どもも、親孝行の側面が大きいもので、畑仕事に関心があるわけではないことが多い。
幼い頃から畑仕事をしていたハジメ自身、生活のため必要だからやっていたのだ。やっているうちに楽しみを見いだせるものではあるのだが。
ここの子どもたちも、初めは関心がなくてもいいから「やろう」という気のある子がいれば、とハジメは考えていた。
みなを連れて来たもののどうしようかなあと考えていたとき。
じぃっと茄子を凝視しながらしゃがみ込んでいる洟垂れが目についた。
「虫でもいましたか?」
話しかけても洟垂れはハジメに一瞥もくれなかった。が、
「……この株……病気じゃないかな……」
ハジメはこのとき初めて洟垂れの声を聞いた。
ここで感動を露わにしてしまうと警戒させてしまうかもしれないと、ぐっと感情を押し留め、あくまで平静のつもりで株を確認する。
「本当だ。――よくわかりましたね」
「……父さんに教えてもらったから」
「お父さんと畑、してたんでずか?」
「…………うん」
「畑仕事、楽しかったでずか?」
このとき初めて、洟垂れは眼球だけ動かしてハジメを見た。
「……まあまあ」
ハジメは微笑みを浮かべて、洟垂れの隣にしゃがみ込んだ。
「君、名前はなんていうんでずか?」
「……
こうして、畑の手入れを洟垂れもとい東が主に担う流れになり。
ハジメと普通に話すようになると子どもたちとも打ち解けていった。
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