晩夏

四 色づく楓(一)

     1


 枝葉の間から覗く茜色の空も宵闇に吞まれようとしている山の中。

 行商に教わった道をハジメ、ツギ、旗の一行は進んでいた。

「教えてもろた寺子屋、まだ見えませんねぇ」

 真ん中をゆく旗が首を伸ばして言った。

「やっぱり出発が遅くなったのが響いてますねぇ。日が暮れるまでに着けるでしょうか」

 今朝方、一行はこの地区の行商人に会い、道などの情報や物資の取り引きをしたのだが、これががめつい爺さんで。知り合いの行商からの紹介でもただで情報までやらぬと言い、換わりに薬を出したのだが、出した分だけでは満足せず。あれもこれもと追加を要求してくる始末。それに応えている内に、すっかり出発が遅くなってしまったのだった。

「そう遠くはないと思うんでずが、日没までには難しいかもしれませんね……」

「足元が不安なら俺の帯でも摑んで付いてきな。俺は夜目が利くから、日が落ちても歩けるぜ」

 見れば縦長であったはずのツギの瞳孔は丸く、大きくなっている。まるで猫のようだ。訊けば『鬼』に喰われてから夜目が利くようになったのだという。

 着いたからと言って必ずしも泊めてもらえるとは限らないが、そう遠くないのは間違いないし、野宿は避けられるものなら避けたい。ハジメはツギを頼りに進むことを選んだ。

 ツギを先頭に、旗、ハジメと並び替わり、それぞれ前の者の帯を摑んで進む。

(なんか、遊んでるみたいでちょっと楽しい……)

 そんなことを思いながら、ハジメは頭上を見上げた。

 まだ薄明るい景色の中に同じ形の影が三つ、一行の頭の上を飛んでいる。

 いつもハジメの傍を飛んでいる、真っ黒な蜻蛉とんぼであった。

 前は二匹だったものがいつの間にか一匹増え、三匹になっていた。

 蜻蛉たちは縦列を崩さず付いてきて、まるで自分たちの真似をしているようでおかしかった。

 そのとき、夕闇を悲鳴が切り裂いた。

「ここに居ろ」言うやツギが一人で駆け出した。

 金棒を手に悲鳴のした方へ向かう。

 するとまもなく、木立の間に明らかに樹とは異なる――ずんぐりむっくりとした蛙のような――影を見つけた。

『鬼』だ。

 ツギは迷わずそれを金棒で殴りつけた。

 片手で握りこめるほどの細い金棒であったが、横腹を殴られた『鬼』は一撃でひしゃげ、腹が破裂し臓物が噴き出した。あっけなく、無残なほどの死だ。

 その死を目で確かめたツギは、金棒を肩に担ぎ、足元の方へ視線を移す。

 すぐ傍に悲鳴の主であろう童女が、震えながら座り込んでいた。

 童女とツギの視線が交わった。

 夜目の利くツギには童女の目鼻立ちまではっきりとわかったが、童女の目にツギの姿は如何様に映ったことだろう。

「ぃやああああああああああああっ――!」

 それはそれは恐ろしい化け物に映ったらしい。童女は鼓膜を突き破らんばかりの悲鳴を上げた。


 再び上がった悲鳴にハジメと旗がつまずきながらもツギの元へ合流すると、童女はハジメが胸に提げた般若の面に驚くわ、旗の顔を怖がるわ――ただ糸目なだけなのに、こればかりは不憫であった――で、大変だった。

 なんとか一行が化け物ではないとわかってもらい、口が利けるようになると、童女が目指していた寺子屋の者だと判った。山で遊んでいる内に日が暮れ、『鬼』に遭遇してしまったらしい。

 童女もともに寺子屋へ向かうと、すっかり暗くなった景色の中に明々とした建物が浮かび上がっていた。

 樹々の群れを抜けると、童女はその明かりに向かって駆け出した。

「ひおーー!」

 童女の呼び声に、縁側に居た人影が振り向いた。

「めぐ! おまえこんな時間までどこ行ってたんだよ!」

 縁側に居たのは四人。男児が三人――うち一人は童女を叱った者で、二人はもう一人に肩を貸し、立つ補助をした。

 その様子にハジメは一瞬老婆かと思ったが、補助を受けているのは若い女だった。楓の葉柄の着物を羽織った、すすき色の髪の女。

 童女は真っ先に女に抱きついた。

「ひお、遅くなってごめんなさい」言うやすぐさまハジメたちを指し、「あのね、あの人たちが助けてくれたの。『鬼』を倒してね! それでね、ここまで送ってくれたの」

 女はなにも言わず、ハジメたちに目を向けた。

 松明に照らされた女の目は、薄い蜂蜜の色をしているようだった。距離があるせいだろうか。その中央にあるはずの瞳孔が窺えなかった。

「うちの子が世話になったね。明日あす、改めて礼をしたいから、今夜は泊まってっとくれ」


     2


「――――」

「――――」

(声が聞こえる……)

 ハジメはゆっくりと瞼を開けた。

 すると、眼前に目を大きく開いてこちらを見ている子どもらの顔があった。

 あまりの近さに「わっ!?」っと、ハジメは飛び起きた。


 昨晩はあっさりと泊めてもらえることになったが、この寺子屋は大きさはあるが部屋数は少ないらしく、子どもらと同じ部屋で寝ることになった。もちろんそれでも十分ありがたいことであったが、ハジメたちは子どもらの視線を受けながら身支度をすることになった。

 身支度を終えると朝餉の前に、「ひお」と呼ばれていた女の部屋へ案内された。

 風が入るよう戸を開け放した小部屋で、女は横になっていた。

(蝶……?)

 部屋の前に立つと、紅葉色の蝶がひらりと舞い出てきた。

 ハジメはそれを目で追ったが、女の声に視線を戻す。

「こんな格好ですまないね。ほとんど寝たきりなんだ。許しとくれ」

「いえ」ハジメが返した。

 先の一頭だけでなく、女の周りにも何頭もの蝶がひらひら舞っている。しかし、ハジメ以外の誰も気にした風でない。

 女に促されて座っても、ハジメの目は蝶を追っていた。終いには天井を見上げて、そこに蝶が群がっているのを見つけた。まさか樹液でも出ているのだろうか。

「ハジメ少年どうしたんです? さっきからきょろきょろして」

「あ、ずみません。蝶が……」

「蝶? 何処におるんです?」

「え」

 幾ら旗の目が細いと言っても、これだけの蝶、視界に入らないということはないだろう。

 ハジメはツギを振り向いたが、

「……俺にも見えねぇぞ」

 ハジメの顔に焦りの色が滲んだ。すると女がふっと息を吐いた。

「あたしには見えてるから安心しな。あんたのは蜻蛉なんだねぇ」

 女はあかい蝶に紛れて飛ぶ黒い蜻蛉に目を向けていた。

(この人……)

「蝶に蜻蛉? さっきからお二人なんの話をしてるんです?」

「話してる通りだよ。あたしとそこの坊やには、虫が見えてるのさ。部屋中を飛んでるよ」

「ええっ」旗は見えない虫を探して上下左右あちこちに顔を向けた。

 と、じっと女に視線を向けてツギが言った。

「……あんた、俺と大差ない歳に見えるが、なんで寝たきりなんだ?」

「あんたにも見えると思ったが、見えないんだね」

「…………」

 女は一つ息をしてからツギの質問に答える。「強いて言うなら歳だね。見てくれは若く見えとるだろうが、あたしはあんたらよりずっと年上――七十近く生きてるばばあなんだよ」

「ええ!?」と声を上げたのは旗だ。

 ハジメもこれには啞然とした様子で、しかし、ツギだけは予想していたようだった。

「……それと、関係あるのか?」

 ツギは女の向こう側に置いてあるモノを示して言った。

 ハジメは蝶に気を取られて、目の前にあったそれに気づかなかった。

 銃と面。

 一目見て、それが自分の持つモノと同種であると悟った。

 銃は銃身こそハジメやツギの持つモノと同じ漆黒だが、台は赤味を帯びた木製で、埋め尽くさんばかりの蝶があしらわれている。この場の誰もそれを「銃」ということも、して「燧石すいせき銃」ということも知らない。面もハジメの般若面と違い、狐の面だ。

 どちらをとっても自分のそれとは別モノだと言われればそれまで。

 しかし同種であると断言できるのは、それらが放つ「気」故だろうか。因みに旗はむかしこれにひどく怯えていたが、太刀で切ったものを口にしていたためかハジメと長く居たためか、他の者より慣れてしまっているのだが、本人は気づいていない。

「察しの通り。――詳しいことを話す前に自己紹介をしようかね。あたしは広岡ひろおか。子どもらは「ひお」って呼ぶがね。この寺子屋の世話役だよ」

「……僕はハジメといいまず」

「俺はツギだ」

旗振はたふりいいます。気軽に「旗」と呼んでもらって構いません」

「前の二人。あんたたち、そりゃ本名かい?」

「僕は本名でず」

「俺もだぜ。他に思い出せる名前もないんでな」

 広岡は皮肉気に笑った。

「それじゃ、あたしはサンとでも言おうかね」

 その通り広岡はだった。『鬼』に喰われ、蘇った者という意味で。

 広岡が言うには『鬼』に喰われたのはほんの一月ほど前だという。

 それまでは足腰こそ元気であったが、年相応の姿だった。しかし、喰われ蘇ったときには今の若い頃の姿に戻っていたという。ただ、髪と瞳の色は芒と蜂蜜色に――己を喰った『鬼』のように変わっていたと。

「おまえさんらも同じなんだろう。もうわかっとることかもしれんが、話しときたいことがある。ただ、ちょっと話し疲れた。そろそろ朝飯ができる頃だから、またあとで聞いとくれ」


 食事の用意をしている部屋へ戻ると、子どもたちが朝餉の用意をしている最中だった。

「あっちち……!」

「めぐちゃん大丈夫?」

「う~、お米あついよ~」

「おい、たけ、なんかそれ焦げ臭くないか?」

「え、そうかな……。どれくらい火ぃ通せばいいのかよくわかんないから……。――なかちゃんはお漬物切れたの?」

「ば、ばっちりだぜ」

「や~ん。中ちゃんが切ったおしんこ繋がってるー。ねえねえ、おむすび握るの代わってよ~」

「めぐおまえ、ごはん冷ましてからにしないからだぞ。――ああっ! 竹、それ焦げてる焦げてる!」

「ぁ、うわっ」

 苦戦している様子で、黒い煙が上がりだしたところでハジメが駆け寄る。

「大丈夫でずか!?」

 その場は煙の元をハジメが素早く火から下ろし、炊き立ての米を握ろうとして赤くなっためぐの手を水で冷やさし、収拾をつけた。

 聞くところによると、子どもたちが食事の用意をするようになったのは最近のことで、それまではほとんど広岡が一人でやっていたのだという。手伝っても刃物や火は危ないからと、ほとんど触らせてもらえなかったらしい。

 広岡が炊事をするのが難しい状態になり、子どもらがやらざるをえなくなったわけだが、今はやっと米の炊き方を習得したところだという。

「昨日助けてもらったお礼に、おいしいごはん食べてもらおうと思ったんだけど……」

 めぐがしょんぼりとした様子で口にした。

「お礼なら泊めてもらっただけで十分でずよ。だけど、僕も手伝うので、よければ一緒にごはん食べてくれまずか?」

「お兄ちゃん、料理できるの?」

 ハジメは袖をたくし上げるようにぐっと拳を掲げて見せる。

「まかせてください!」

「よっ、料理名人!」

 と、旗がはやし立てる。

 ツギはしばらく休憩だなとばかりに壁にもたれかかった。

 寺子屋に居た頃では常だったたすき掛け姿になったハジメは、子どもらに一つ一つ作り方を教えながら調理を進めていった。

 最も時間の掛かる米炊きはできていたため、指導しながらでも半刻はんときほどで完了した。

 竹ちゃんが焦がした魚の焦げを取り除いてほぐし身にし、中ちゃんの切ったおしんこを更に細かく切り、それぞれを混ぜ込んでおむすびにした。身を取ったあと残った骨で出汁をとった汁物に、畑から採ったとれたての夏野菜をゆで、さっと味付けした物も添えた。

「おいし~~!」

「うんまい!」

 朝餉を頬張った子どもらが感嘆の声を上げた。

「お兄ちゃん料理上手なのね」

「いや~、それほどでも」

 ハジメが照れながら喜んでいると、後ろから旗がひょっと顔を出す。

「ハジメ少年は子どもの頃から寺子屋の家事一切をやってきたので、料理だけやなくて洗濯、掃除、そのほか諸々もお手の物なんですよ。薬師の先生の弟子やから薬の処方もできますし、ほんま自慢の子ですわ」

 そのとき、

「旗さん褒め過ぎでずよ。あと、いつから僕が旗さんの子になったんでずか」

 と、ハジメは旗に意識を向けていて、子どもたちが目配せし、頷きあっていることに気づかなかった。

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