一 斑と白

     1


 時は夏の終わり。広岡ひろおかの寺子屋を発ったばかりの数ヶ月前に遡る。


「西へは行くな」

 突如降り掛けられた声にハジメが振り向くと、そこには一人の少年と少女が立っていた。

「君は……」

 ハジメは少年の外見に目を引かれた。自分よりもいくつか年下だろうに、白髪が斑に混じった頭髪。手には石突いしづきから鞘の先まで真っ黒な薙刀を持ち、その先端には一頭の蝶が止まっている。毛皮や面こそ見当たらないものの、もしやと思うには充分だった。

 すると旗がただでさえ細い目を「ん?」と眇め、

「あ! 君たちひょっとしておそば屋さんでうた子らやないですか!? その端正な顔には憶えがあります! ――ほらツギさんも憶えてませんか?」

「あ? 居たか?」

ったやないですか! ほら、食い逃げしようとした輩に立ち向かって突き飛ばされた子ですよ!」

「ああ、あのガキか」

「あのときは勇敢でしたねぇ。ここにるってことは元気になったんですね。よかったよかった。――でもなんで此処に?」

「たまたま通りかかったんだ」

 少年の返答はなんだかぎこちない。

 ハジメが声を張り少年に尋ねる。

「何故、西へ行くなと?」

「ぼくたちも西へ行こうとしていたが、海賊が陸に上がっていて、危険だから引き返してきたんだ」

 またも少年は用意してあった台詞を読み上げたかのようだった。読み上げたにしても大根だ。

 海賊というと、海を拠点に生活し、時に海陸問わず略奪行為もする輩のことだ。ハジメは遭ったことはないが、存在自体は知っている。確か『くに』――本州の西南に位置する海で隔たれた地方――周辺の海にいるとか。

「それはわざわざ忠告してくれてありがとうございまず。でも迂回していくので、詳しい場所を教えてくれませんか?」

「迂回も難しいだろう。二つの海賊が鉢合わせして取り合いになっていたところに、その辺りを縄張りにしていた山賊までやってきて三つ巴の乱戦になってるからな。何処から火の粉が飛んでくるかわからないぞ」

 なんだかおかしな話である。海賊がどれほどの人数で構成させているものなのかはわからないが、山賊であれば徒党を組んでいるといっても十人に満たないのが普通のはずだ。人数が膨らめば『鬼』の格好の餌食になるのだから当然といえる。それがこの広い日ノ本で偶然三組も鉢合わせして、迂回も困難なほど広域に亘って争っているという。

 少し考えれば疑問を抱くものだが、

「なんや面白そうな話ですねぇ!」

 それに旗は食い付いた。

「おまえそんなに怖いもの知らずだったか?」

「『鬼斬り』のお二人とおるんですよ? 今さら賊で縮み上がりませんて。もちろん危ない相手やっていうのは変わりませんけどね。それに、そんなに人が集まっとるんやったら『鬼』も寄ってくるんやないですか? そうとなればお二人の出番でしょう」

「そういうことなので、とりあえず行ってみまず。それで難しいようなら引き返ずことにしまず」

 ハジメは軽く頭を下げるとまた西へと歩き出した。少年の正体は確かめたかったが、多少強引にでも進んだ方がいい気がしたのだ。旗とツギもそれに続く。

 すると少年が斜面を駆け下りてきて立ち塞がった。

「危険だとわかっている所にみすみす行かせるわけにはいかない。力尽くでも止める」

 ハジメは困った表情だ。この場を押し通ることはできそうだが、子ども相手に力づくは望ましくない。それに、悪戯や悪意で行く手を阻んでいるわけではなさそうだ。事はついで。少し探りを入れてみよう。

「質問をしてもいいでずか?」

「……? なんだ」

「君も『鬼』を屠ることができる者でずか?」

「……ああ」

(やっぱり)

「旅を?」

「ああ」

「その目的は?」

「答える必要はない」

(答えないということは『鬼』退治以外に目的があるのか……)

「おまえたちは『鬼』を滅ぼすのが目的なんだろう。だったら西は後回しにして、北上しても問題ないはずだ」

「確かにその通りでずけど、北はこれから雪深く……あっ! 腕相撲しましょう」

「は?」少年はきょとんとした顔だ。

「君が勝ったら一先ひとまず西へ行くのは止めまず。どうでずか?」

「……わかった」

 近くにあった適当な石を台に両者位置取る。審判は旗である。

「お二人とも用意はええですか?」

「…………」

「…………」

 両者無言で組んだ右手に視線を据えている。準備は万端だ。

「それでは……――開始っ」

 ゴッ

 開始の声があってからその石と石を打ち付けたような鈍い音がするまで、瞬きをするほどの間もなかった。

 ハジメは呆気にとられ、丸い目をぱちくりさせている。

 一方、少年は右手を抑え悶絶している。

 瞬きをするほどもない時間――その一瞬でハジメが勝利したのだった。

 ハジメは戸惑っていた。これほどあっさり勝てるとは思っていなかった。相手も『鬼』を屠る者であるし、勝負を了承したことからそれなりに自信があるのだろうと思った。もっと拮抗した勝負になると思っていたのだが、この結果。

 少年は必死に声を堪えているが、尋常じゃない様子。ひょっとしたら骨が折れているかもしれない。

 ハジメは止めようもない罪悪感に、みるみる顔が青くなった。

「ぁ、あの、大丈夫でずか……?」

 心配したハジメが手を差し伸べると、少年はキッと睨みつけ、傍に置いてあった薙刀で襲いかかってきた。

「わっ」っと流石の反射神経でそれをかわしたハジメだったが、少年は立て続けに薙刀を振るってくる。どうやら強硬手段に訴えることにしたらしい。

 ハジメも応戦はするが防御ばかりで攻撃はしない。ハジメとしては戦う理由もないし、少年を傷つけるつもりもなかったのだ。そもそも穏便に解決したいがために腕相撲を提案したのである。

 少年は片手で戦っているようなものだから、その攻撃を捌くのは容易いが、どうしたものかとハジメが困っていると、

「オワリ避けろ!」

 突然飛んできた新たな声に、ハジメは一瞬気を取られた。

 しかしハジメにはなんの支障もなかった。

 次の瞬間、攻撃を受けた少年は気絶してしまった。背後に迫っていたツギに殴りつけられたのだ。

「ツギさん……!」

「殺しちゃいねぇよ」

 驚き、少し責めるようなハジメの視線にもツギは何処吹く風である。

 ハジメが声の飛んできた方へ目を向けると、少年の連れの少女が斜面を下りてくるところだった。

 少女に慌てた様子はなく、落ち着いた様子で少年の傍まで歩いてきた。

 少年を見下ろす少女に、ハジメは

「あ、あの、ずみません……お連れの人を……」

「気にしなくていい。は虚弱なんだ」

(“これ”って……)

「むしろ突然すまなかった。わたしは空真そらざね。これはオワリだ」

「いえ。その気がなかったとはいえ、怪我をさせたのはこっちでずし。ただ、その、驚きました……。『鬼』を屠る者と言っていたので常人より力が強いものかと……」

「自身がそうであるというのに、大した勘違いをしている。『鬼』の腹から蘇ったからといって能力が向上するということはない。自身に力があるというのなら、それは元々備わっていたものだろう」

 小さな鈴が鳴っているような愛らしい声だというのに、成人した男のような話しをする少女だ。

「……よくご存じなんでずね」

「これと一緒に居ればそのような幻想は浮かびようもないだけだ」

 そういえば、先程の旗の話しぶりでは突き飛ばされて怪我を負っていたようだし、他にもそういったことがあったのなら、オワリが常人より強いとは確かに思わないだろう。

 ハジメは腕力はさほどない――集落の男衆とどっこいか劣るくらいだ――が、足の速さや身軽さは常人のそれを超えているし、ツギなど規格外のため、いつからか『鬼』から蘇った者はどこかしら身体的に秀でているものと思い込んでいたが……よくよく考えれば広岡にはそういった様子はなかった。若返ってこそいたが、それで身体能力が向上したわけでもなさそうだった。むしろ弱っていたくらいだ。どうも空真の言っていることが正しいらしい。

 それにしても、

(うーん。変わった物言いをする子だなぁ……)

「本題だが、今回はこれに免じて西へ行くのは考え直してもらえないだろうか。西へ行くのが危険なのは本当なんだ」

「わかりました。真剣なのは伝わりましたし」

「感謝する」

 すると旗がおずと、

「あの、この子どうします? 起こします?」

「目覚めたらまた襲い掛かるかもしれない。起こすなら樹にでも縛りつけてからにしてくれ」

「縛っ!? そんなぞんざいな……。……あの、空真ちゃん? と、この子の関係って……」

「婚約者だ」

「「婚約者!?」」

 旗とハジメが揃って驚いた。

他人ひとに決められたものだが、いずれは夫婦めおとになる」

「えー、この場の誰よりも進んではる~……」

 旗は両手で口を抑え衝撃を隠せない様子だ。ハジメも仲良く同じ格好をしている。

 二人に対し空真はなんということもない表情で、

「……一つ提案があるのだが、わたしたちもあなた方に同行させてもらえないだろうか」

「え」

「わたしたちの目的は『夜叉やしゃ』という特定の『鬼』を……出現させないことだ。そのためにあなた方といるのは都合がいいんだ。微力ではあるが、あなた方の『鬼』を滅ぼすという目的にも力を貸そう」

「同行ずるのは別に構わないんでずけど……」

 旗は後ろからハジメの両肩に手を置いた格好で、「空真ちゃんの言い方やとその『夜叉』ってのはまだこの世に居らんようですよね。なんでそないな『鬼』が現れるってわかるんです?」

 空真は頭の袖頭巾に手をやると、それを脱ぎ去った。

 露わになった髪は、総白だった。

「……っ」

「こういう髪の者に心当たりがあるだろう? わたしはその同族――『羅刹らせつ』だ。わたしは『鬼』が忌避することがない代わり、先を見る力があるんだ」

「…………」

「えー、えっ、なんや混乱してきましたわ。その先を見るって、予知能力ってことですか?」

「ああ」

「先生のこと知ってるのは?」

「いずれ会うことになるからだ」

「えー、え、先生みたいな人が他にもおったことにも驚きやし、そのうえ予知能力やなんて。もう大概のことには驚かん自信があったのに、しばらく頭の中整理つきそうにありませんわ。――でもそういうことやったら今は存在せん『鬼』のことを知っとっても納得ですわ」

「……その『夜叉』というのはどういう『鬼』なんでずか?」

「“絶望”だ。その者の周りでは人も、『鬼』も、すべてが刈り尽くされ、不毛の地となる。生まれてからでは、倒すことは困難だ。たとえ、あなたハジメでも」


 オワリが目を覚ますと、目の前にハジメと旗の顔があった。

「!?」

 反射的にオワリは薙刀を振るおうとしたが、手が動かなかった。

 驚き見ると縄でぐるぐる巻きにされていた。背には硬い樹の感触がある。

「……っ」

 オワリは拘束を解こうと必死に身をよじる。

 するとハジメが、

「ああっ、落ち着いて。話をしたらずぐに解きまずから……っ」

「話……?」

「……西へは行かないことにしました」

「!」

「それから、君たちと一緒に旅をずることになりました」

「……は?」

 ばっと、オワリは空真の方を見たが、空真はすーんと澄ました無表情でなにも言わなかった。心なしかオワリの眉の歪みが強くなったようだ。

 そんなオワリにハジメは微笑み、

「これからよろしくお願いしまず」


 こうして、オワリと空真が一行に加わったのだった。

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