二 触れ合うもみじ/前

     1


 山が紅く色づく頃。

 オワリ、空真そらざねという新たな同行者を加えた『鬼斬り』一行は、日ノ本を北上している。この日は一晩の宿を求め、行商に聞いていた民家を訪ねていた。

 母屋と、離れだろうか。二つの建物が並び、側に畑があった。

 その畑に一人の女と白い犬が出ていた。

「わわわわわんっ!」

 突然犬が吠え立てるので女は手を止め、犬が駆け出した方に目を向けた。

 犬は『鬼斬り』一行――ハジメの周りをぎゃんぎゃん威嚇しながら回っていた。

「わーハジメ少年、ごっつぅ威嚇されてますけど大丈夫ですか?」

 ツギにしがみついた旗が尋ねた。

「……生まれて初めて動物が寄ってきました……」

 ハジメの心は喜びに満ち溢れていた。きっと、この顔に皺をよせ、牙を剥いて吠え立ててくる犬のことが大好きになっているに違いない。

 と、女が怪訝そうな顔で、

「……どちらさまですか……?」

「旅の者なんですけど、一晩泊めていただけないかと思い伺った次第です」

「……突然そんな大所帯で来られて、泊められるような備蓄はうちにはありませんし、何処の誰とも知れない人を受け入れるほど広い懐は持ち合わせていません」

「あ、食料やったら自分たちで用意できます。身元の証明、言われると難しいですけど、わたくし旅に出る前は行商をしておりまして、ここまで行商仲間を繋いで繋いでしてきたんです。こちらのこともこの辺りの行商さんに教えてもろたんですよ」旗は懐に手を突っ込み、「これ、次の行商さんに見せるために書いてもらった紹介状。今までの分も取ってあるんで必要やったら見て下さい」

「……なんでしがみついたままなんですか」

 旗はがっしりツギにしがみついたまま話していた。

「下りたら噛みつかれそうで怖いんです!」

 二人が話している間も、犬はハジメへの威嚇に余念がなかった。

ゆき! こっちおいで」

 女に呼ばれた犬はハジメを睨みつけ、唸りながらじりじりと後退していく。

 その様子にハジメは、

(わーまだ睨んでる。かわいー)

 と思っていた。今、ハジメの世界には自分と目の前の犬しかいないようだ。

 犬はそんな調子で幾らか後退したあと、女の元に駆け戻った。それまで旗はツギにしがみついて下りてこなかった。

 旗が持ってきた紹介状を見た女は、

「本当に食料はこちらで用意しなくていいんですね?」

「はい!」

「一晩だけなら泊めても構いませんが、家狭いですよ」

「屋根と壁のある所で寝かせてもらえるだけで大助かりです! あとは丸まるなり重なるなりしますんで、ご家族の寝床もなるだけ邪魔せんようにします。――でも、離れもあるようやのに狭いことないんちゃいますか?」

「……あそこは物置になってるから。使えるのは母屋だけなのよ」


 まだ日が暮れるには早い時間。案内された母屋に荷を置くと、一行は散策に出掛けることにした。食料調達や『鬼』がいないかの見廻りのためだ。

 女も一行を案内すると、

「まだ畑仕事があるので」

 と言って、家に足を踏み入れることもなく、すぐに戻っていった。

 外に出たハジメは、女が離れに入っていくところを目にした。

 物置にしていると言っていたから、なにか要りようの物でも取りに行ったのだろうと、そのときは特に気に留めなかった。

 日が傾いてくると一行は散策から戻った。

 振る舞うほどの食料はないと言っていた女だったが、家の食料も使って夕餉を作ってくれた。

 支度をしてくれていた女に、旗がふと、

「お姉さん、ここには一人で住んでるんですか?」

 女の手が一時止まった。

「……一人よ」

「そうなんですねー――」と、旗はいつもの調子で話を続けたが、

「……?」

 ハジメはその、眉間に皺を寄せて答えた女の表情が気にかかったのだった。

 日が落ちると一行は寝る体勢に入った。

 ツギは床に直で横になり。借りた二枚の筵を、旗とオワリで一枚、空真が一枚を使う。将来夫婦めおとになる関係だというのに、オワリは空真と隣り合って寝るのをいつも拒む。

 ハジメは壁を背に毛皮にくるまっていた。が、眠りに落ちる前、微かな物音を聞き取った。

 どうもみなと同じように横になっていたはずの女が、外に出ていくようだった。

 床に入ってからさして経っていないというのに。厠に行ったとするには妙な時間だ。

 夕餉の支度をしていたときの女の表情が引っかかっていたせいだろうか。ハジメは気になって女の後を追った。

 外に出てから点けたらしい灯りを手に、女が向かったのは離れだった。

 離れに入る直前、女の手に椀が握られているのが見えた。

 女が離れの中へ消えると、ハジメはなるだけ気配を覚られぬよう離れに近づいた。

 片足分ほど開いた戸から中を覗き込むと、

「ぁ……」

 そこに居たが声をもらすと、女がばっと振り返った。

「――あぁああ……っ!」

 離れは物置などではなかった。

 そこに居たのは、ハジメを見てひどく怯える、一人の女の子だった。


     2


「――あぁああ……っ!」

 女の子は明らかに、ハジメを見て悲鳴を上げた。

 座ったまま後退あとずさりして、壁に当たって下がれなくなると貼り付くようにして、僅かにでも遠くへ逃れたいという様子だ。

 それはハジメに対する強烈な恐怖と拒絶に他ならなかった。

 子どもの頃は厄病神と呼ばれ、散々人に忌避されてきたハジメだったが、これには傷ついた。これまで初対面で嫌われることはなかったのだ。門前払いされることは幾度かあったが、それはハジメ個人を嫌ってというには毛色が違う。それがここまで拒絶されるとは。

「大丈夫、大丈夫よ。昼間伝えたお客さんだから」

 そう言って女が傍で女の子をなだめ、ハジメが戸口に立ち尽くしていると、悲鳴を聞きつけたツギと旗が駆け付けた。

「ハジメ少年、どないしたんですか!? ――あれ? お姉さんこないな時間になにして……て、その子は……?」

 女は俯くと、観念したように話した。

「……妹よ」


 女は一度外に出ると、三人に事情を語り出した。

「妹――北見きたみは生まれつき目も耳も不自由なの。目はまったく見えてないし、耳もほとんど聞こえてない。耳元でゆっくりはっきり話して、なんとか聞こえる程度」

「目が見えないって……僕のことを見て怯えているようでしたけど……」

「気配をのよ。目も耳も働かない代わり、あの子はそういうものを感じとる力が強くて。が目でものを見るように、気配がはっきりと形をもって見えている……らしいわ」

 実際にはどう見えているのか、それは本人にしかわからないが、北見が見ている世界は人間よりも動物に近いものなのだろう。姿形で捉える人間ではなく、その者の本質を見る動物に。そう考えると、あれほど怯えられたのも合点がいく。動物は――ごく一部の例外を除き――決してハジメに近寄ろうとしない。わかるからだ。ハジメが「人間」ではないということが。

「どうして妹さんのこと隠しとったんです? 嘘までついて」

「……正直に話すことでもないでしょ。あなたたちは一晩泊めるだけの人なんだから」

「確かにそうですけど……」

「――妹さんは、ずっとここに居るんでずか?」

「……そうよ。一日中、離れでじっとしてるわ」

「外には、出ないんでずか……?」

「出さないのよ」女は食い気味に言った。「あの子はなにもできないの。気配がわかるって言ったってなんでも感じとれるわけじゃない。一人じゃまともに歩くこともできない。目の前にある敷居や段差にだって気づけないのよ。下手に外に出られて、怪我でもされたらこっちが迷惑なの。ただの飯食らいでも、離れでじっとしててくれるほうがましなのよ」

「…………」

 僅かばかりに沈黙が流れる、と、ツギが、

「特になんもなかったし、戻るわ」

 あくびでもしそうな調子で、母屋へ戻っていく。

「え、ちょっとツギさーん!」

 と、旗も後を追っていった。

「?……」ツギの反応が予想外なもので、女の顔には困惑の色が浮かぶ。

「…………」

 ハジメは二人に続かなかった。

「あの」

 声に女はハジメの方を向いた。

「妹さんと話をさせてもらえませんか?」

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