戦場には悪魔が棲んでいる


 ディランがのぞき込んだ部屋の中には数人の『神に導かれし戦士たち』の兵士が一人の女性を取り囲んでいた。彼らは軍の横流し品と思われる砂漠迷彩デザートカモの軍服の袖をまくりあげ、代わる代わる女性を殴りつけていた。


「こいつは一体いつ死ぬんだ?」


 時折、一人が残酷な冗談を言うと、他の兵士は獣じみた笑い声を上げた。


 ディランは知っていた。戦場には悪魔が棲んでいることを。


 その悪魔は戦場で戦う限り、どんな平凡な人間にも、どんな優しい人間にもとり憑く。その悪魔は知らない内に彼らの心に恐怖を与え、暴力への垣根を崩し、ときには心そのものを破壊する。いかなる人間であろうと、その悪魔からは逃れられない。悪魔が離れるときは、とり憑かれた者が死んだときだけだ。


 無線が鳴って、兵士の一人がそれに応答した。それが終わると、彼は他の仲間に声をかけた。名残惜しそうにしながらも、彼らは部屋を出ていった。


 少しして、さらに扉を開けた音が聞こえる。彼らは家自体から出ていったらしい。


 ずっと殴り続けられていた女性は椅子に縛りつけられ、ぐったりとうつむいている。短い黒髪がカーテンのように下りていて顔は見えないが、酷いことになっているのはわかった。


 ディランは背後の砂丘と、部屋の中を何回か交互に見たあと、窓を開けた。


 窓枠に足をかけ、音を立てないようにゆっくりと部屋の中へ入る。

 近づいてきたディランに気づき、女性がはっと顔を上げて何か言いかけたが、ディランはあわててその口を塞いだ。女性の腫れた頬から流れた血と汁で手が汚れる。


「ちょっと静かにして。敵じゃないから」


 それから女性の口から手を離し、ポケットから折りたたみナイフを取り出した。背もたれと女性の両手を結びつけている荒縄に刃を押しつけ、ごりごりと削った。

 やたら厳重に縛ってある縄を一本ずつ削りながら、ディランはぼやいた。


「はーあ。なんで俺こんなことしてんだろ……」

「……ええ奴だからちゃうんか?」


 あえぎながらも女性は軽口を叩いた。訛りのある奇妙な言語だったが、不思議と理解できた。あの朱良とかいう女が喋っていた言葉と似ている。


「そういうこと言うと、気が変わるかもしれないよ、俺」

「なら黙っとこか。その前に一つだけ。うちの名前はヤナギや。君、名前は?」

「ディラン」

「綺麗な名前やないか。誰につけてもろたんや。親か? じいちゃんばあちゃんか? それとも隣りに住んでる世話好きなおっちゃんか?」


 一つだけ、と言いつつこのヤナギという女は喋りまくっている。さっきまで殴られていたというのに驚異的な気力だ。ディランは早くもヤナギを助けようとしたことを後悔し始めた。


 あと数本で切れる、というところでヤナギがディランを止めた。


「もう充分や」

「え、だってまだ……」

 ヤナギは腕に力を込めると、縄を引きちぎった。

 ディランは驚くを通り越して呆れ返った。馬鹿力にもほどがある。兵士たちも厳重に縛るはずだ。


「よっしゃ。ほな行こか」


 腕をぶんぶんと振り回し、ヤナギは立ち上がった。


「えっ、いや……怪我は?」

「大丈夫大丈夫。うちはふつうの人間より頑丈やから。あんなの撫でられたみたいなもんや。ディランはどっから入ってきたんや? なんや、この窓か。うち通れるかなあ……最近肥えてきたからなあ」


 勝手に喋りながらヤナギはディランの入ってきた窓に近づいていく。


 そのときディランの耳が危険を察知した。


 玄関のドアの開く音だ。


「やば……! 早く出て!」

「なんや、なんや。そない押すなや」


 ディランはあわててヤナギの身体を後ろから押して、窓に追いやった。が、間に合わなかった。


 部屋の扉が開く。


 兵士が三人、下品に笑いあいながら部屋に入ってきた。だがその視線がディランとヤナギの姿を捉えると、彼らは一瞬動きを止めた後、血相を変えてアサルトライフルを持ち上げた。


 四つの銃口が二人に突きつけられる。


 ディランとヤナギはむっつりと両手を上げた。ディランはのんきに首を振っているヤナギを睨みつけたが、すぐに自己嫌悪に陥った。


 なんでこんな馬鹿なことしたんだろう。


 これじゃまるであのバカイチと同じだ。

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