最後の一欠片

 広間では作戦どおり、三人を分断していた。ゴールドフィッシュを三人の契約破りブレイカー、雷電喜之介を鄭紹雄とアラン率いるタスクフォース0、そしてブラッドサマーをイチが一人で相手取っていた。イチの役目はとにかくブラッドサマーを場から引き離し、他の契約者を倒した仲間が加勢してくるまで時間を稼ぐこと。

 それまで持ちこたえられればの話だが。


「君一人で私とやるの? なんかつまんないなー。食べごたえがありそうなのが、こんなにいっぱいいるのに」


 ブラッドサマーの魔法はこれまで遭遇したどんな超常の力よりも激しく、鋭い。魔擬はもちろんゴールドフィッシュの魔法ですらその獰猛さには及ばない。


「バーチャス、頼む!」


「姉御の命令だからな」バーチャスはイチの肩から飛び立つと、焔龍サラマンダーを発動させ、燃え盛るその身でブラッドサマーを弾く。その隙にイチはウォーロックのあぎとを開かせ、炎と化したバーチャスを飲み込ませた。


 ウォーロックが爆発する。ゴールドフィッシュと戦ったときと同じ、青白い炎を刀身とした魔剣へと姿を変えたウォーロックは擬神を飲み込んで気分が悪そうに悪態をついた。

 その燃える刀身はイチが振るうたびに長さを変え、生き物のようにしなりブラッドサマーに牙を剥く。だが、それすらもブラッドサマーの魔法の前では必殺の剣たり得ない。むしろブラッドサマーは気炎を上げ、その攻撃は激しさを増した。


「この力で何人殺したんだ、ブラッドサマー……!」

「んー」


 ブラッドサマーはのんきに考え込む。隙が生まれた、とイチはウォーロックを叩き込むが、ブラッドサマーは爆炎の刃をがしとつかんで止めた。


「四千人とちょっと。あ、この国だけでね」


 イチはその刃先を押し込もうと、地に足を踏ん張ったが、ブラッドサマーに握られたウォーロックは微動だにしない。その瞬間、魔法によって意志をもった地面が巨大な牙と転じて襲いかかり、イチはあわててブラッドサマーから飛び離れた。


「……顔は覚えてるか」

「顔? 顔はさすがに忘れたかなー」

「俺は全部覚えてる。助けられなかった人たちが今でも夢に出る。俺に囁く」

「どうして助けてくれなかったんだーって? ……ははは、君こじらせすぎだよ」


 イチはウォーロックを下段に構え、腰を落とした。全力を込めるための準備姿勢を取る。


「お前たちを捕まえれば、それも消える!」


 ブラッドサマーは自らの両手に炎球を生み出した。赤い炎にブラッドサマーの曇りなき笑顔が照らされる。


「大丈夫、君ごと消してあげるから安心して!」


 そして理外の刃と超常の魔法がぶつかり合った。





 鄭紹雄は焦っていた。雷電喜之介は二年前に戦ったとき以上に、攻撃系魔法の威力を上げている。契約破りブレイカーは自分一人で充分と踏んだのだが、どうやら見誤ったようだ。


 タスクフォース0が激しく位置取りを変え、遮蔽物に身を隠しながら雷電に銃撃を加える。通常弾など契約者相手では煙幕程度の効果しかないが、紹雄はそれによって生まれる隙を目がけて魔擬を何度も叩き込む。しかし、雷電は銃弾を弾きながらも、なお紹雄に反撃するという予想以上の動きを見せる。倒すどころか、気を抜けばこちらがやられてしまう。


 胡乱な監視者イーグル・アイで視界を共有している自らの擬神、猫の尋梅しゅんめいからは神威、直遠視マイノリティ・リポートによって得られた直近未来の光景が送られてくる。それによって数秒先までの雷電の行動を把握することができるが、立ち会いの中で常に参照できるわけではないし、それをもってしても決定打を打ち込む術を見つけられない。

 紹雄はアランに目配せをする。通用するかはわからないが、先程立てた対策のうちの一つを使うしかない。


 紹雄は心の中で、先輩である朱良反に頭を下げた。

 清原涼我、朱良女士すまない、朱楽さん。生かしたまま捕らえろというあなたの命令は守れなかった。


 ……雷電喜之介を殺す。


 紹雄は身体の底から力を振り絞り、コンビネーションも無視して直線型、追尾型、無差別型の攻撃系魔擬を決死の勢いで乱打した。炎が吹き荒れ、光刃が弧を描き、石造りの地が割れた。


 限りがあるとはいえ、もはや天変地異の域に達したその攻撃に雷電は一瞬押される。


 紹雄はその隙を見逃さなかった。


虚ろな蜃気楼ホロウマン!」


 紹雄の身体が陽炎のように揺らめいたかと思うと、一瞬で透明に代わり、周りの景色に同化して消え去った。


「不可視の魔擬で一人だけおめおめと逃げるつもりですか、鄭紹雄! コンサートはまだ終わっていませんよ!」


 タスクフォース0の弾丸を空中で静止させながら、雷電は叫んだ。その目で紹雄を捉えられなくなったというのに、圧倒的な実力差からいまだ勝利を確信していた。


聡き者どもオール・ザ・プレジデンツマン


 雷電は魔擬よりもはるかに強力な聴覚強化の魔法を自らに施す。すべての音がより鋭く増大し、この戦場にまぎれているどんな小さな音も聞き逃さない。


 そのとき、背後で駆けるブーツのわずかな足音が雷電の耳に飛び込んだ。

 雷電は振り向きざまに、手をのばす。その右手が何もない空間をつかんだと同時に、発動された霊妙解除プリ・デスティネーションが紹雄の透明化を破る。何もなかったはずの空間が色づき始め、早送りされた塗り絵のように紹雄の身体が現れる。


 王手をかけた喜びに雷電は歪んだ笑みを浮かべる。


 だが、その顔はすぐに驚愕に染まった。


 雷電がつかんだのとは反対の紹雄の手にはピンの抜かれたスタングレネードが握られていた。紹雄がその拳を緩めると、スタングレネードから安全ピンがぱちんと飛ぶ。


 そして雷電が聡き者どもオール・ザ・プレジデンツマンを解除する前に、紹雄はその拳を雷電の顔面に叩き込んだ。鼻の骨を折った嫌な感触。そして同時にスタングレネードが雷電の眼前で爆発した。


 まるで太陽が降臨したかのような激しい閃光と、百八十デシベルの爆音が二人の目と耳を貫く。紹雄は一瞬意識が飛びかけるが、聡き者どもオール・ザ・プレジデンツマンを解除しそこねた雷電は、鼓膜から脳まで針に貫かれたような衝撃に襲われているはずだ。

 紹雄の視力は閃光に奪われ、周囲の様子はうかがえない。爆音が耳孔で鳴り響いて、なんの音も聞こえない。拳の中でスタングレネードが爆発したせいで、右手の感覚がない。だが、奴が態勢を立て直す前に、こちらが動き出さなくてはいけない。

厳然なる肉体ザ・レイド」と紹雄はなんとか身体強化の魔擬を発動し、真っ白い闇の中で雷電の細い身体に組みつく。ボディーランゲージを封じるため、羽交い締めにしたまま口を押さえる。


「今だやれ! 私ごと撃て!」


 もがく雷電を押さえつけながら、紹雄は叫んだ。

 すでに閃光と衝撃から立ち直ったタスクフォース0の隊員がいるはずだ。雷電が完全に意識を取り戻すよりも早く、引き金を引ければそれで終わる。


 紹雄の命をもって、雷電喜之介にとどめを刺す。それが彼らの立てた最後の手段だった。


 そのとき、ふっと雷電が動きを止めた。水の詰まった袋のようにずるりと重たげに紹雄の手から離れる。


 撃たれたのか、と紹雄は思った。

 だが、痛みはない。


 やがて白い闇が晴れ、視界を取り戻すと、そこには地に伏した雷電と、血に濡れたアサルトライフルのストックを抱えて、荒く息をつくアランの姿があった。雷電の顔面はそのストックの形にへこんでいた。


 スタングレネードの衝撃を無視して駆け寄ったアランが、自分のライフルのストックで雷電を殴り飛ばして失神させたのだ。

 近づいてきた三毛猫の尋梅が紹雄の顔を心配そうに舐めた。


「なぜ……?」


 紹雄は呟く。


 アランの行動はリスクが大きすぎる。もしアランがたどり着く前に、雷電が意識を取り戻していたら。紹雄が厳然なる肉体ザ・レイドを維持できなかったら。失神するほどの強さで殴り飛ばせなかったら。


 ダクトテープを取り出したアランは意識を失った雷電の両手と両足を十重二十重に縛り上げてから、その口にテープの切れ端を貼りつけた。


「こいつを助けるためじゃない。あんたが死ぬのはけっこうな戦力損失だからな。俺の判断で戦術を変えた。いいだろ?」


 ああ、と紹雄は差し出されたアランの右手を掴んで、なんとか立ち上がった。





 鋭い剣となったブラッドサマーの右腕がイチの脇腹めがけて飛び込んでくる。イチは身体をひねり、ウォーロックの刀身でそれを受け止めた。ブラッドサマーの厳然なる肉体ザ・レイドの膂力はすさまじく、ウォーロックの柄からイチの両手に激痛が走る。


「あんたはどうしてゴールドフィッシュに従ってるんだ……! あいつの言ってる平和が正しいなんて本気で思ってんのか……!」

「いやー、理屈こね回すのは趣味じゃないんだよね。でも、ただ人を殺して回るより、ゴールドフィッシュの言うとおりにしてた方がみんな必死になって私を追いかけるからさ」

「追いかける……?」

「食らうならより強い相手を。かわいそうにもサイは草しか食べれないのに、なんで角生やす必要がある? どうしてライオンには牙が? タランチュラには毒が? 生き物は殺して、食らい合わなきゃわかりあえないんだよ。人間の私も同じ。人に生まれた悲しき性質さがってやつよね」


 そう言ってブラッドサマーは楽しそうに笑った。


 イチは気づいた。ブラッドサマーは戦うこと以外に何も考えていない。

 自分の全存在を戦闘に費やしているからこそ、その攻撃は熾烈で鋭く、隙がないのだ。こいつを直接打ち負かそうと思ったら、自分も同じ域に達するしかない。つまり、命を奪うことだけを考える殺人機械キリングマシーン、悪鬼羅刹。邪神との契約によって人間性の一部を手放すのではなく、自らの手で良心の枷を解き放つ。


 常人が容易に到達できる領域ではない。生きた人間にガソリンをかけ火を着ける残虐な兵士にも帰る家があり、爆弾を無差別に撒き散らす戦闘機のパイロットも帰投すれば友達が待っていて、自爆テロ犯は家族を養う金のためにプラスチック爆薬の詰まったベストを巻く。


 最後の一欠片まで捨て去ることのできる人間など、どこにもいない。


 広場に足を踏み入れてから初めて、イチの背中に悪寒が走った。


 こいつには絶対に勝てない。


 こいつに勝てるなどいない。



 ウォーロックの声に、イチははっと顔を上げた。


不壊の血弾ブラッド・ダイヤモンド


 ブラッドサマーが放った凶星のように赤い光弾がいくつもイチの身に降り注ぐ。ウォーロックの炎の刃をしならせてそれらを打ち払うが、敗北の直感に囚われたイチは力を入れ損ね、その手からウォーロックが吹き飛ばされた。同時にバーチャスが吐き出され、呻き声を上げて宙を舞う。


 光弾の最後の一発がイチの足元に命中して爆発する。ウォーロックを失い、現身うつしみとなったイチの身体は紙切れのように吹き飛ばされた。肉体は頑強さをなくし、爆風による激痛はイチの心から戦う意志を削ぎ落とす。地面に叩きつけられたイチは石造りの床をわずかに指で引っ掻いたが、拳を握ることすらできなかった。


「そろそろ終わりかな……この前とは違って、なかなか食べごたえがあったよ。どうもありがと」


 ブラッドサマーはかたわらに落ちていた床の破片をつかみ上げた。石塊は超常の光を上げ、巨大な突撃槍ランスへと姿を転じる。肉食獣の牙のようなまだらの乳白色だった。


 イチはなんとか首を持ち上げ、あたりを見回す。少し離れたところにウォーロックが落ちているのを見つけ、きしむ身体に鞭打って這い進んだ。

 戦場の爆音にまぎれて、こちらに近づいてくるブラッドサマーの軽い足音が聞こえる。


 振り向いてはならない。もう一度あの瞳をのぞきこめば、今度こそ戦意を打ち砕かれる。


 イチは必死で地面を進んだ。その様を楽しんでいるかのように、ブラッドサマーはわざとゆるゆると近づいてくる。


 あと少しでウォーロックの柄に触れる、というところで、イチの頬に冷たい金属が触れた。突撃槍ランスの穂先は現実ではありえない切れ味で、イチの頬の薄皮を裂いた。一筋の生ぬるい血の感触。



 ウォーロックが別れの言葉を小さく呟いた。


 イチは強く目をつむった。


 俺はここで死ぬのか。また救えないまま、誰も助けられないまま。


 そう思うと吐き気がした。死への恐怖ではなく、無力な自分の存在を自分の心が受けつけない。


 まだ終われない。俺が救うんだ。みんなを、この国を、世界の何もかもを。


 幸せになるまで守ると、そばで守ると約束した女の子がいる。


 俺が救う、俺が、俺が……俺が……


「ごちそうさま」


 穂先がイチの頬から離れ、ぶんと振り上げられた。

 そして今にも振り下ろされんとしたそのとき、スタングレネードの百八十デシベルの激音が全員の耳を焼き尽くした。うっ、とイチは呻き、ブラッドサマーは耳を塞いで突撃槍ランスを取り落とした。


 その瞬間、爆発とともに壁に巨大な穴が空いた。巨人が殴りつけたかのように飛び散った壁の破片がブラッドサマーを吹き飛ばした。風圧でウォーロックがはね上がる、イチはとっさに宙に浮いたその柄をつかんだ。


 ウォーロックの地獄の風景と一瞬で同化し、この世ならざる力をもって再び身体に活力が湧いてくる。


 イチは転がりながら飛びはねて、降り落ちてくる瓦礫に押し潰される前に紙一重で避けた。なんとか着地すると、激痛に苛まれていた身からいきなり軽業をやったせいで、身体ががくがくと震える。イチは顔を上げた。


 砂煙が晴れたそこには朱良とルカが立っていた。

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