神に見捨てられた地
ルカはうつむいたまま、イチと向き合おうとはしなかった。いくら話しかけても返事はない。『
イチはルカが自分の決意を固めるために、黙り込んだのだと思った。
ルカは恐れている。自分が自分の良心に負けることを。
イチが再びルカに話しかけようとしたとき、建物の外が騒がしいことに気がついた。嫌な予感がして、窓に近づいて外を見る。
鉄格子に頬を押しつけて広場の方に無理矢理顔を向ける。兵士たちが集まって、何事か騒いでいた。兵士たちが囲んでいるのは一人の少年。
その顔を見て、イチは叫んだ。
「ディラン!」
鉄格子を揺らし手をのばすが、もちろん届くはずがない。わめき続けるイチに気づかず、兵士たちは突然現れた小さく厄介な侵入者の処遇について乱暴な口調で話し合った。
「あれは……」
いつの間にかイチのそばに立っていたルカもそれを見て呟く。
「魔擬を使ってくれ! 頼む!」
振り向き叫ぶイチにルカはただ首を振った。
「私にはできない……私は
「何が
そう怒鳴りながら、イチは自分の胸に痛みが走るのがわかった。目の前の人間も救えないのに平和を語る、それはつまり自分のことだと知っていた。
続く言葉を失い、イチはルカに背を向け再び窓を向く。
兵士たちの囲いの中に上官らしき男が現れ、秩序のない乱暴な話し合いが統制された行動へと戻りつつあった。だが、そこに流れていた原始的な暴力の匂いは消えることなくディランに向けられている。ディランは何度も叫んで兵士たちに掴みかかったが、猛る子猫をあしらうように笑いながら払われただけだった。
上官が自分の拳銃を抜いて怒鳴った。
「アンマール!」
アンマールと呼ばれた兵士がおずおずと輪の中から上官に近づく。それはこの粗雑な獣の会合の中で唯一喋らず、おろおろとディランと仲間たちを見ていただけの男だ。
「お前がやれ」
上官は拳銃をアンマールへと放り投げた。金メッキなのか、拳銃は太陽の光を反射してぎらぎらと下品に輝いた。アンマールはそれを取り損ねたが、腕をわたわたさせて地面に落ちる前になんとかつかみ取った。
「臆病なお前が神に勇気を示すときだ。一発で仕留めろ」
アンマールは安全装置を外そうとしているのか、おぼつかない手つきで拳銃をいじっていたが、手が滑って地面に落としてしまった。あわてて拳銃を拾おうとしたアンマールの顎を上官が蹴り飛ばした。
「私の拳銃を粗末に扱うな! 貴様のような男をこの聖戦に加えてやったことを感謝しろ!」
「やめろ!」イチの叫びは届いているはずだが、兵士たちはみな、これから目の前で行われる世界で最も貴重なショー――つまり一方的な命のやりとりに夢中で聞こえていない。
アンマールは拳銃を拾って立ち上がり、その銃口をディランに向けた。この距離からでもその腕が震えているのがわかった。
「臆病者! 撃つなら撃てよ!」
ディランはアンマールに挑発を続けている。アンマールの拳銃を握る手がわずかに動き、撃鉄を上げたのだとわかる。
「銃を下ろせ! 俺が代わりになる!」
イチがそう叫んだところで、ようやく兵士の一人が注意を向けた。イチの言葉を上官に伝える。上官は手を振って、アンマールに拳銃を下ろさせると、大股でこちらに歩み寄ってきた。
髭を生やし、ベレー帽をかぶった上官は鉄格子越しにイチに話しかける。その顔は長年に渡って受けた砂漠の強い日差しとニコチンとカフェインに蝕まれていた。
「お前が死ぬというのか? この子供の代わりに?」
「ああ。俺はあんたたち『神に導かれし戦士たち』の作戦をいくつも邪魔してきた男だ。二年前のアハトマ市での銃乱射テロとか、今年の二月のPMCの補給路襲撃とか。他にも俺が止めたあんたらの殺し合いはまだまだたくさんある。全部言おうか?」
「貴様、まさか……」上官の日に焼けた顔が歪む。
「そうだ。俺は
上官は振り返り、後ろの部下たちに怒鳴った。兵士たちがこちらに向けて走り出す。
イチは鉄格子から手を離し、大きく深呼吸した。
「……何を考えてる。これから一体どうするつもりだ?」
怪訝そうに尋ねるルカに、イチは答えた。
「特に何も」
「馬鹿か君は! 自分の命を投げ打って、あのディランとかいう子供を助けて……それで君は何になる!」
「……もう誰かが死ぬのは見たくないんだ」
そのとき部屋の閂が抜かれ、兵士たちが雪崩入ってきた。『
ルカは信じられないという顔でこちらを見ている。
だが、すぐに扉が閉められ、イチの視界から消え去った。
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