愚者の論理、人間の倫理


 村の中央広場にイチは引きずり出された。あの砂漠の停戦者デザートピジョンを殺すというので、基地中の兵士たちが集まってイチを囲んでいる。


 広場にはジープが停まっており、そのそばの路頭に民家から引き出された丸机と二脚の椅子が休憩所代わりに並んでいる。ラジオや水煙草のパイプに混じって、その机上にウォーロックが置かれているのをイチは見つけた。だが、この武装した人間たちの輪を突破して、あそこまでたどり着くのは不可能だ。


 兵士たちに連れて行かれる間、ディランはずっと叫んでいた。


「このバカイチ! 何しに来たんだよ! こいつらを殺してくれなかったくせに、今さらなんだよ! この馬鹿! どっか行け!」


 ディランはそのまま兵士たちに引きずられて、処刑の輪から離された。


 広場の真ん中まで歩かされたところで、兵士の一人に膝裏を蹴られた。イチの意志とは無関係に膝が折れ曲がり、地べたにひざまずく。

 上官がイチのそばに立ち、見下ろしながら煙草に火を着けた。


「最後に何か言うことはあるか?」

「あんたの神に誓ってくれ。ディランを殺さないと約束するか?」


 口に咥えたまま煙草の煙を吐き出し、上官はイチに背を向けた。


「安心しろ。すぐに向こうで会える」


 イチは叫んで、上官につかみかかろうとしたが、兵士に顔面を殴られた。地に転がったイチをそばにいた兵士たちが次々と蹴りつける。鉄板の入ったブーツのつま先が身体中にめり込んだ。


 アンマール、という上官の怒鳴り声で、永遠に続くかと思われたリンチはやんだ。激痛で立ち上がることもできないイチから兵士たちが距離をとり、金メッキの拳銃をだらんと持ったアンマールが近づいてきた。

 その瞳は初めて路上で動物の死体を見た子供のように怯えきっている。イチは何か話しかけようとしたが、肺が痛み、血反吐を吐き出しただけだった。


 アンマールはすでに撃鉄の上がった拳銃を地面に転がっているイチに向ける。


 星明かりのない夜のように暗い銃口がイチをのぞき込む。


 一瞬後には太陽よりも眩しく光り、イチの命を奪い去る。

 ディランの名前を何度も心の中で呼んだ。また救えなかったというのか。自分の命と引き換えにしてもなお、人は救えないというのか。


 イチは目を閉じた。


 それなら、一体俺のやってることは……


 そして銃声よりはるかに巨大な爆発音があたりに響いた。


 イチは目を開く。


 ついさっきまでイチが囚われていた建物が爆発し、大樹のような煙を上げていた。


 兵士たちがざわざわと言葉を交わし、お互いの胸や肩を叩く。何が起きたのかわからないのはイチも同じだった。


 だが、すぐに原因に思い至った。


 そしてその原因は砂塵入り交じる煙の中から、コンバットブーツの足音を響かせながら現れた。


「君に一言反論しに来た、イチ」猫屋敷ルカは言った。

「目の前の人間を救えなければ平和は到来しえない。その論理は真であるのかもしれない」


 だが、とルカは叫ぶ。爆発の煙がうなりを上げてかき消えた。その向こうで『わずかな蝶の羽ばたきタイニー・バタフライ』の彼らが逃げていくのが見えた。


「だが自分の命を粗末にする者にその論理を語られたくはない! ……君たちには生きてもらう。そして『神に導かれし戦士たち』、君たちには一年前に犯した人道上の大罪を償わせる。これは契約破りブレイカーではなく、一人の人間として決めたことだ」


 撃て、と上官が叫んだ。持ち直した兵士たちはアサルトライフルを一斉に構え、ルカに向けて引き金を引く。


神の撫でる手キングダムオブクラウズ


 放たれた無数の弾丸は魔擬によって火線を歪められ、ルカの身体を避けてあらぬ方向へと飛んでいく。


 イチはその隙に兵士の一人を突き飛ばして走り出した。向かう先はウォーロックが置かれている大きな木製の丸机。

 数人の兵士がイチの逃げ出したことに気づき、銃火を浴びせる。アサルトライフルの弾丸がイチのそばの地面をえぐり、風を切り裂いて耳元を通り抜ける。


 その射線に完全に捕まる直前、イチは机の上に飛び込んだ。ウォーロックをなんとかつかみ、そのまま倒れた机を背に身をかがめる。兵士たちの銃弾が雨あられと机に撃ち込まれた。落ちてきたビールで頭は濡れて、水煙草の器具が肩にぶつかった。


「お待たせウォーロック」

――!」

「今日の武器はこれだ!」


 嫌味を続けようとしたウォーロックのあぎとに、イチはボトルとパイプの直結した水煙草の大きな器具を押し込んだ。

 あっという間にウォーロックは姿を変えて、波打った形の巨大な棍棒のようなものとなった。


! !」


 わめくウォーロックを無視して、イチは盾代わりにしていた机から立ち上がる。棍棒状になったウォーロックを突き出すと、その先から甘ったるい白煙が津波のようにあふれ出した。煙はすぐにあたりを埋め尽くし、イチの前にいた兵士たちの視界を奪う。

 イチは机を飛び越えながら、ウォーロックを振って水煙草の器具を吐き出させた。そのまま咳き込む兵士たちに走り寄り、素体となったウォーロックの衝撃波をぶつけ、吹き飛ばす。


!」

「ごめんごめん。じゃあ、これで口直しだ」


 蹴り上げたアサルトライフルをウォーロックに飲み込ませる。ルカへの銃撃を続ける兵士たちに向けて、細筒となったウォーロックの引き金を引いた。光弾が連なって送り込まれ、兵士たちを吹き飛ばす。

「なかなかやるな」ルカは踊るようにして銃弾を避けながら、瓦礫を浮かび上がらせると、次々に兵士へと飛ばしていた。


「離せよ!」


 ディランの高い声が聞こえて、イチは振り向いた。

 兵士の一人がディランを羽交い締めにしながら後ずさり、戦場から離れようとしている。

 イチは銃を向けてくる兵士たちを弾き飛ばしながら、ディランを追いかけた。


 兵士はディランに拳銃を突きつけたまま、建物の扉に背をつける。猛牛のようにこちらに向かってくるイチに慄きながらも叫んだ。


「来るな! 来たらこいつを――」


 その瞬間、建物の扉が内側から蹴り破られる。木製の扉は真ん中からばきばきと割れ、そこから突き出した足はそのまま兵士の背中を蹴り飛ばした。ディランは転がり落ち、兵士の身体は二メートルほど吹き飛んで、イチの前で止まった。

 イチはウォーロックを振って、衝撃波をその頭にぶつけた。がくりと兵士が失神する。


 それから扉を蹴破った者の正体を見た。


 両手を椅子に縛りつけられた日本人らしい女性が、その椅子を背負ったまま玄関で仁王立ちしていた。


「え、誰……」

「ルカはどこや!?」


 女はディランに縄を切ってもらいながら、変な訛りの日本語でイチに叫ぶ。

「……あっちだけど」と兵士たちを魔擬で吹き飛ばしているルカを指さした。

「あんがと、おおきに!」


 自由になった女は椅子を蹴り飛ばして、ルカの方へと走り出した。

「ルカー!」

 名前を呼びながら、あっという間に小さくなっていくその背中を見て、イチは呟いた。

「もしかして、あれがルカの擬神か」

「俺は礼は言わないからな」ぶすっとディランが呟いた。

「わかったからどっかに隠れてな」

「嫌だ! 俺もあいつらを殺す!」

「お前がなんで『神に導かれし戦士たち』を殺したいのかは今は聞かない。だけど、お前がどうしても殺し合いをしたいって言うなら、俺はウォーロックでごつんとやらなきゃいけなくなる」

「あんたが砂漠の停戦者デザートピジョンだからか?」

 憎悪に濡れた瞳でにらみつけながらディランは尋ねた。


「そうだ」

「俺は――」ディランはそこで言葉を止めた。何かに視線を奪われ、じっとイチの後ろを見つめている。


 ディランから言葉を奪った正体を確かめるべく、イチは振り向いた。

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