神の尖兵
一台の薄黄色のコンテナトラックがルカとその擬神に向けて突っ走っていた。兵士たちが銃撃をやめる。ルカは激突に備えてぐっと姿勢をかがめ、魔擬を発動しようとした。
だが、トラックはルカたちのはるか手前でハンドルを切ると、大きくカーブして、尻を向けて停車した。
ルカは訝しげに背をのばすが、魔擬の構えは解かない。だが、兵士たちは何かに怯えるように武器を構えたまま、後退り始めた。
「あれはやばい……あれはだめだ……」
ディランが呟いたのと同時に、トラックからピアノの音楽が流れ出す。
「葬送行進曲……?」
ゆっくりとコンテナの扉が開かれた。完全にコンテナが開放された瞬間、中から白い服を着た男たちが獣じみた唸り声を上げて雪崩のように現れる。
「
白い服の男たちは操り糸で無理矢理引っ張られているような不自然な挙動だった。手と足がばらばらに動き、害虫が素早く寄ってくるような不快さを伴ってルカたちに襲いかかる。
ルカは魔擬を繰り出した。
一切の躊躇もなく。
「
巨大なかまいたちが振り抜け、白い服の男たちの首を狩り飛ばした。青白い頭がいくつも宙を舞い、残された首の根本から噴水のように血があふれる。
「ルカああああ!」
イチは憤怒に叫び、ディランを置いて走り出した。ウォーロックによって強化された脚力で、疾風のようにルカへと向かう。途中、白い服の男たちを衝撃波で吹き飛ばしてくぐり抜け、ルカのもとにたどり着くとその肩をつかんだ。
「どうして殺した! なんで!」
「落ち着け。今は説明している暇はない!」
「今の何を説明するっていうんだ!」
そのとき兵士の悲鳴が聞こえて、イチは振り向いた。怒りにたぎっていた表情が驚愕へと変わる。
「なんで……」
一瞬前に衝撃波で昏倒させたはずの白い服の男たちが起き上がり、『神に導かれし戦士たち』の兵士に襲いかかっていた。白い服の男たちはアサルトライフルの弾丸をものともせず、兵士たちの腕を引きちぎり、足を折り曲げ、首元に噛みついている。
人が人を喰らう地獄が、イチの目の前に現れていた。
「重ねて言うが、今は説明している時間はない。君は兵士たちを助けろ。屍兵は私とヤナギで引き受ける」
それから起きたことをイチはよく覚えていない。赤い血とピンク色の肉片がそこら中一面に転がる地獄の中、無我夢中で兵士たちから白い服の男を引き離した。ぬるぬるした臓物が顔にかかった。肉から突き出た骨が頬を裂いた。尾を引く悲鳴が耳孔にこびりついた。血で足が滑り尻もちをついた。地面についた手に転がっていた歯が食い込んだ。断末魔と血しぶきが踊り、歪な食物連鎖のピラミッドが現れる。死のかたちをした獣があたりを這い回り、命を喰らい尽くす……
気づいたときにはルカが最後の一人の首を刎ね飛ばしていた。
ばらばらになった死体と血溜まりの中で生き残っていたのはイチとルカとその擬神ヤナギだけだった。
「……なんだよこれ……なんなんだよ!」
血を全身にかぶったままイチは叫んだ。ルカがゆっくりと近づいてくる。
「これは……屍兵だ」
すでに人の形を失った白い服の男たちを見回しながら、ルカは呟く。
「死霊魔法によって操り人形とされた死体……彼らに意志はない。彼らはすでに死んでいる」
「また……契約者なのか」
そうだ、とルカは屍兵の出てきたコンテナトラックに向かって歩き出した。イチもなんとか立ち上がり、その後を追った。
「おそらくメロディメイカー、雷電喜之介の手によるものだ。屍兵の存在は確認されていたが、現地組織のもとに渡っていたケースはCIAの報告にはなかった。私たちはその製造元を突き止めなければならない。そして――」
ルカはトラックの運転席に近寄り、その扉を乱暴に開け放った。
その中で、髭を生やし金メッキの拳銃を持っていたあの上官が、雷がやむのを待つ子供のように身体を丸めて震えていた。
「ようやく奴らの居場所につながる手がかりを得た」
ルカは軍服の襟元をつかみ、上官を運転席から引きずり出す。
「
魔擬を唱えると同時に、ルカの身体が薄く発光する。魔擬によって肉体が強化されたのだ。ルカは上官の首をつかんで持ち上げ、トラックの車体に押しつけた。
「吐け! あれをどこで手に入れた!」
その暴力的な尋問に、やめろとイチは小さく呟いた。もはや身体を使ってルカを止めるほどの気力は残されていなかった。立っているだけで精一杯だった。
「話す……話すから……」
上官は苦しそうにうめく。ルカが手を離すと、上官の身体はどさりと地面に落ちた。湿った咳をつきながら、上官は苦々しげに話し出す。
「あれは我々の最高指導者から頂いた……新しい神の尖兵だ……」
「神の尖兵などという戯言は聞かなかったことにしてやろう。その最高指導者はどこにいる!」
「彼の方は世俗物質主義者どもの追跡を避けるため、定期的に御所を移動している……」
「最後に会った場所を言うんだ!」
「それは……」
その瞬間、ヤナギが覆いかぶさるようにしてルカを突き飛ばした。
「ルカ、危ない!」
二人の頭上を上半身だけになった屍兵が飛び越える。そのまま上官の首元にしがみついた。服が破れ、上裸になった背中の皮膚の下で赤い光が点滅している。
「あかん、自爆する気や!」
「駄目だ!」
距離をとろうとするルカとヤナギに逆らって、イチは上官を助けようと走り出すが、魔擬でルカに背中をつかまれた。
「死ぬ気か!」
そのまま地面を引きずられる。イチは振りほどこうとしたが、人の手で超常の力に触れることなどできない。イチの目の前で上官の顔が恐怖にゆがみ、何か言おうと口を開いた。
その瞬間、巨大な爆発が起きて、三人は吹き飛ばされた。
屍兵に埋め込まれた爆弾がトラックのガソリンに引火して、契約者が想定していたよりも激しい爆発を引き起こしたのだ。
三人は炎にまかれながらも、宙を吹き飛ぶ。傷だらけの身体が血溜まりに落ちて、ごろごろと転がる。血で滑りそうになりながら、苦痛にあえぎながらもなんとか立ち上がる。
目の前で炎が燃え上がっていた。家二階分まで噴き上がっている猛火の中に、トラックの残骸の影がうっすらと見える。
立ち尽くす三人のそばに、ディランが歩み寄ってきた。タフさを気取っているものの、おっかなびっくりで血溜まりと死体の中を進んでいるのは明らかだった。
「みんな死んだ……いい気味だ……」
わずかに震える声で毒づくディランを振り返り、イチは単調に尋ねた。
「本当にそう思ってるか」
ディランは黙り込んだ。
◇
『
幸いにして、ルカとヤナギのラクダは無事だったので、旅を続けることはできる。同行すると言ったイチを、二人は危険だからと拒んだが、あまりに言い張るのでついに根負けした。ディランもなし崩しについてくることになった。
「だが、手がかりは失われた」
いまだ広場で燃え上がっている火の渦を村の外れから眺めながら、ルカは口惜しそうに言った。
「当座の目的地はジャブドルか……」
「お前もそこで下ろすからな」とイチはラクダに荷物を乗せながらディランに言った。
「断固拒否」
「お前なあ!」
おーい、という男の声が聞こえた。イチはとっさにウォーロックの柄を握り、ルカは魔擬の構えをとり、ヤナギは自分の拳銃に手をのばした。
「待ってくれえ!」
脱いだ戦闘服の上着を振りながら走り寄ってきたのは先程イチやディランの処刑を命じられた気弱そうな兵士だった。名前は確かアンマールだ、とイチは思い出す。
大きなバッグを持ったアンマールはイチたちのそばに来ると、タンクトップの胸に手をついてぜえぜえと荒く息をついた。兵士だというのに、これくらいの距離を走ったくらいで息が切れている。
「僕も連れて行ってくれ……」
「なんでお前なんか――」
叫びかけたディランを手で制し、ルカが尋ねる。
「私たちになんのメリットが?」
「僕は……最高指導者のいる場所を知ってる」
はあはあと息を吐き、ルカを見上げながら、アンマールは答えた。
「あの……モハッセン少尉と一緒に隠れ家に行ったんだ……僕が運転した……」
「嘘をついていないという保証は?」
「ない……だが、君たちはなんとしても最高指導者を見つけたい。違うのか?」
イチとルカとヤナギの三人は顔を見合わせた。
「どこにいるのか、教えてくれるか?」イチは尋ねた。
「一つだけ条件がある」
ヤナギは耳の穴をかっぽじりながら、つまらそうに問い返した。
「なんや、金か? 女か? 麻薬か? 言うとくけどな、勲章とかアメリカの市民権とかそういうのはうちらに頼んでも無理やからな」
そういった類のものを求める人間だと見られたことはアンマールにとって屈辱だったようだ。アンマールは顔を歪め、だが必死の形相でイチたちに言った。
「そんなものは要らない。ただ……僕を故郷に帰してくれ」
それがアンマールの願いだった。
ただ家に帰ること。
今までイチが何度も耳にした、人々の願いと同じだった。
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