裸の太陽


 じりじりと照りつける太陽。熱せられた地面。それらによって、イチの目は覚めた。


 それからディランを起こし、朝食を食べてから出発した。


 ラクダに二人で揺られながら、イチは何度も昨晩のことは気にしていないことを伝え、ディランにどうしてあんなことをしたのか尋ねたが、前に座っているディランは一度も返事をしなかった。今までの様子が嘘のようにふてくされている。

 黙り込んだままのディランに何度も声をかけてみるが、ぶすっと前を見るだけで反応しない。


「なあ、ディラン」


 ラクダの歩みに合わせて揺れるディランの黒い後頭部は微動だにしない。


「問題だ。砂漠で砂を売って百ドル稼ぐにはどうしたらいいと思う?」


 返事はない。風が通り過ぎる音だけが聞こえる。


「なあなあ、答えは? なんかあるだろ」


 しつこく問いかけるイチに呆れたようにラクダが唇を震わせた。


「おいおい、本当にわかんないのかよ」


 舌打ちが聞こえたような気がした。


「しょうがないな。正解はだな、砂に百ドル札を二枚つけて売るんだ。確実に売れるぞ」


 ウォーロックが溜め息をついた。ディランはふるふる震えている。


「完璧だろ」


 うああ、と怒鳴ってディランはイチを振り返った。


「馬鹿かよ! それじゃ百ドル損してるだろ!」

「…………あ、そうか」

「二百ドル持ってるんならな、まず百ドルで小瓶をありったけ買って、その瓶に砂を詰めるんだよ。そんで、どれかに百ドル札が入ってますって十ドルで売る」


「なるほど。すると……百ドル儲けるには瓶は三十個以上ないといけないってわけか」

「馬鹿だな。真面目に百ドル札なんて入れなくていいんだよ。どうせ買い占める奴なんていないし、わかんないんだから」

「あ、ずるいぞそれ! 客は砂だけ買わされてるわけだろ」

「もともとそういう問題だっただろ! なんなんだよお前! 砂が詰まってんのはお前の頭の方だ!」


 もうやだ、とディランはラクダの首に額をぶつけた。



 そうやって騒ぎながら緩やかな砂丘を回り込むと、そのふもとに色の枯れ落ちた砂色に不釣合いな緑色の空間が二人の目に飛び込んできた。


 オアシスだ。


 茫漠たる砂漠に突如現れたみずみずしい木立は現実離れしていて、誰かの夢の風景が何かの間違いで現世に落とされたようだった。火照った顔にひんやりとした風が当たる。

 小さなゴムノキの林や草を分け入って進むと、開けた場所に出た。そこでは地下水が湧き出し、周りの砂を削って青々とした小さな泉を形成している。


「こんなところに……珍しいな」


 そう言いながらイチはラクダから降りた。そのまま服を脱ぎ出す。

 突然のイチの蛮行に、ディランは顔を覆って悲鳴を上げた。


「う、うわ! おい、何してんだよ!」

「いや、暑いから。身体洗うのも久しぶりだし。ディランも入っとけよ」

「笑いながら何言ってんだ変態! 知らない奴の前で裸になれるか!」

「恥ずかしいのか? お前、あれだな。思春期だな」

「うるさい! いいから前隠せ!」


 イチは全裸のままウォーロックを手に取ると、地面に思い切り突き立てた。


「お前がこいつを持っていきたいっていうんなら好きにすればいい。俺はこれから水浴びをする。だけど、俺は信じてる。お前はきっと――」

「全裸でかっこつけるなー! さっさと入れバカイチ!」


 ディランはラクダにさげていたバッグから荷物を適当に取り出して次々にイチへ向かって投げつけた。イチは苦笑いしながらそれを避けると、泉に向かって飛び込んだ。


 ようやく目の前から全裸の男が消えて、ディランはほっとしたような呆れたような溜め息をつき、その場にしゃがみ込んだ。


「すげえ疲れる……」


 一方のイチは悠々と泉を満喫していた。塩分濃度の高い水によって身体は軽々と水面に浮く。この調子で行けば、昼過ぎにはジャブドルに着くだろう。休憩がてらここで水浴びしていたとしても、日が暮れるまでには充分間に合うはずだ。


 イチはちらりとディランを盗み見た。

 ウォーロックと何か話しているようだった。もしかしたら自分よりもウォーロックのような人間の方が、気が合うのかもしれない。人間ではなく剣だが。


 イチはぷかぷかと背で泉に浮いたまま、真っ青な空を見上げた。


 波一つない海のような空に、ちぎれた白い雲がゆっくりと流れている。雲の裏側には淡い灰色がかった影ができている。

 こんな風景を見ると、今この国で戦争が起きているのが嘘みたいに思える。こんな綺麗な空の下でどうすれば人が殺せるのか、疑問に思うときがある。

 この瞬間にも、どこかで銃声が鳴り、地雷が爆発し、戦車が建物を轢き潰し、ヘリコプターが機銃を掃射し、人が死んでいる。


 イチは身体を起こした。浅い泉の底に足がつく。


 こんなことはしていられない。早くジャブドルに向かい、猫屋敷・W・ルカという魔擬使いと共に契約者を探さねば。


 そのとき一発の銃声が鳴った。


 さっきまでディランがいたところに、兵士が一人立ってアラビア語で何か怒鳴っている。

 同時に林の陰からわらわらと砂漠迷彩デザートカモを着た兵士たちが現れ、アサルトライフルを泉にいるイチに向ける。ウォーロックは兵士のそばにあるため、手出しはできない。


 ディランはどうなったのか、まさか……と腹の奥底が冷え込んだ気分になりながらイチが辺りを見回すと、遠くの草陰の向こうに全速力で逃げ去っていくディランの背中が見えた。


「……まあ、そうだよな」


 ほっとしたような、裏切られたような気分になりながら、イチは両手を上げてざぶざぶと泉を上がり、全裸のまま素性もわからない兵士たちに投降した。

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