ランサム・ゼロ


 イチは荷物の中から唯一返されたパンツだけを履き、両手を荒縄で縛られたあと、兵士たちに銃口で小突かれながら彼らの軽トラックの荷台に乗せられた。


 兵士に囲まれながら荷台で揺られ、二十分ほど北へ走ると、小さな村の廃墟が現れる。十戸ほどの建物しかない村からすでに住人は全員逃げ出し、今は名前もわからないこの武装組織の拠点の一つとして使われているようだった。


 戦争初期にアメリカが行った空爆で倒壊した家を抜け、ジープは村の広場で停まった。路上で水煙草を吸っていた兵士たちが何事かと振り向くと、ジープから降ろされたパンツ一丁の外国人を見て、野卑た笑い声を上げた。神の恵みを、と誰かが叫んだ。


 イチはそのまま建物の一つに連れていかれる。元は民家のようだったが、壁にかかっていた絵画は引き裂かれ、花瓶は叩き割られて灰皿にされている。机の上には兵士が朝食を食べた後の汚い皿が残されていた。


 兵士がナイフを取り出す。イチは自分の血が流れることを予期して身を硬くしたが、両手を縛っていた荒縄を切っただけだった。きつく縛られていたせいで手首に蛇のような痕が残っている。自由になった手首をさするイチをさらに歩かせ、寝室だったらしい部屋の前まで連れていくと、兵士は閂を抜いてその扉を開けた。


 中に家具は一切なかった。鉄格子のはめられた窓枠以外に何もない部屋に、イチと同じように捕まった外国人が五人ほどうずくまっている。兵士はイチの尻を蹴り飛ばし、もんどりうって部屋の中に転がり込んだイチの腹にさっき取り上げた衣服を投げつけると、素早く扉を閉めて閂をさした。


 立ち上がりかけたイチは溜め息を漏らし、床に座り込んだ。周囲を見回す。中にいるのは四人の西洋人と一人の日本人だ。男女混合の西洋人の方は全員シャツに短パンといった典型的な先進国の休日のような格好をしていたが、イチと同じくらいの年格好の日本人女性は奇妙な服を着ていた。

 空のように真っ青な生地に白ラインの入ったコートを肩から羽織り、首のストラップで止めている。薄いローブならまだしも砂漠であんな厚い生地のコートを着ていたらちょっと暑いのではないか、と思ったが、その女性はさらにコートの下に薄く黄色がかったチョッキとズボンを履いていた。ちょっとではなく絶対暑いとイチは思った。


 西洋人たちは意気消沈していて、部屋に入ってきたイチにもまるで注意を払っていない。しょうがないので、イチはその奇妙な格好をした女性に話しかけた。


「あの……あいつらは誰なんだ?」

「その前に服を着た方がいいと思うが」


 冷たい目つきとともに日本語でそう返された。

 人の格好のことなど考えている場合ではなかった。ごめんごめんとなぜか笑いながら、イチは兵士が投げつけた衣服を身に着けた。


「やっと文明人らしい格好になったな」

「あんたたちは?」


 こっちは、と女性は西洋人の四人を手の平でさした。


「『わずかな蝶の羽ばたきタイニー・バタフライ』というNGOだ。私は……この国を回って市井の人々に取材していたジャーナリストのようなものだが、たまたま彼らと出会ったところで――」

「こいつらに捕まったってわけか。ああ、俺はイチ。よろしく」

「よろしく、イチ」


 二人は握手を交わした。


「一体いつからここに?」

「五日ほど前だ。今頃、彼らは私たちの本国に身代金の要求をしている頃だろう。君は日本人のようだが」

「ああ、それについては色々複雑でさ。とにかく俺の故郷はこの国なんだ。俺のことを日本に言ってもなんの意味もないと思う――」


 と言ったところで、イチは自分がたどる運命について察知した。


「……あ、もしかして俺殺される?」

「……彼らの単一的な判断基準から論理的に考えると、利用価値のない君に対して導き出される結論はそれしかない」


 イチは頭を抱えた。ウォーロックを持たない自分はただの人間だ。針金一本で鍵を開けられるわけでなければ、もちろん武器を使えるわけでもない。武装した兵士たちを相手どってここから逃げ出すことは、ほとんど不可能だ。たとえこっそり抜け出せたとして、この人たちを連れては逃げられない。


 そのときイチの頭に小石がぶつけられた。


 見ると、窓にはめられた鉄格子のむこうでディランが手招きしていた。


「ディランお前!」


 イチはあわてて窓に駆け寄った。


「こんなとこで何してる!」


 鉄格子を掴んで怒鳴るイチに、さらに小石をぶつけ、ディランは小声で叫んだ。


「大きい声出すなバカイチ……! 見つかるだろ……!」

「あ、ごめん……どうやってここに?」

「ラクダであとをつけたんだ。あんなにあっさり捕まって、何が砂漠の停戦者デザートピジョンだよ」


 かっこわるー、とディランはひらひらと手の平を振った。イチはうっと呻いた。


「……しょうがないだろ。服着てなかったし」

「自業自得だ、変態。やーい、へんたーい」


 完全に馬鹿にしきっている。イチは溜め息をついた。


「あのなあ、ディラン……俺を助けにきてくれたのはありがたいけど、早くここを逃げ――」

「いや、なんで俺が助けなきゃなんないんだよ、このバカイチ。それよりウォーロックはどこ?」


 イチはがくっと頭を垂れた。やはりあっちが目当てか。


「……わからない。オアシスで奴らに奪われたきりだ」

「使えねーの。いいよ、自分で探すから」


 と、立ち去りかけたディランに女性が声をかけた。


「君が何者かは知らないが、一刻も早くここを逃げた方がいい。ここの兵士たちは悪名高い過激派組織『神に導かれし戦士たち』だ。人の命など蚊虻ぶんもう程度にしか考えていない」


 その名前を聞いた瞬間、背中を向け歩き去ろうとしたディランが足を止める。ゆっくりと振り返り、再び窓に近づいた。


「今なんて言った?」

「彼らは、あの『神に導かれし戦士たち』だ」


 ディランは鉄格子を握りしめると、目をつむり、何かに耐えるようにうつむいた。それから急に顔を上げると、鉄格子の隙間から細い腕を突っ込み、窓のそばにいたイチの胸ぐらをつかんだ。


「ウォーロックを見つけて、持ってきてやってもいいぞ、バカイチ。ただし……」

「ただし……なんだ?」

「ここにいる奴らを全員殺して」


 ディランの目は本気だった。何かを試すために、イチにそう言っているのではなかった。本気でイチがウォーロックの悪魔じみた力を使って、彼らからたった一つしかない命を奪い去るのを望んで言っていた。


「……俺にはそんなことできない。自分の命と引き換えにしてもな」

「……ならいい。自分でやる」


 ディランはそう言うと、ばっとイチの胸ぐらから手を離した。イチはあわてて鉄格子の合間から手をのばすが、ディランはすでに建物の陰へと走り去っていた。

 待て、という叫びをイチはこらえた。ここで大声を出せば兵士が怪しんで近づいてくる。ディランが見つかってしまう。

 今の何もできない自分は、ディランが思い直して無事に逃げおおせることをここで祈っているしかない。


 一体なぜディランがあんなことを言い出したのか、まるでわからなかった。確かにディランはその先に死がある可能性をわかった上で、イチと朱良をモアジブで罠に嵌めた。だが、さっきのイチに言ったことはそれとは次元が違う。確実な死、それ自体を望んでいたのだ。


 ちくしょう、と叫んで部屋の壁を蹴り飛ばした。びくりと『わずかな蝶の羽ばたきタイニー・バタフライ』の一員たちが肩を震わせる。あわててイチは彼らに頭を下げた。


「あの子供は一体何者だ?」


「俺と一緒に旅をしてたんだ」


「仲間か?」


「たぶん……違う」


 少しの沈黙が流れた。


 そういえば、と女性は少し明るい声を出した。


「私の自己紹介がまだだったな。申し訳ない。君に名前を聞いておいて、自分が名乗らないなんて礼を逸していた」


 気を使っているのがわかった。ああ、とイチは努めて笑顔を浮かべた。


「私は猫屋敷・ウォーカー・ルカだ。イチ、改めてよろしく」


 そう言って、魔擬使い猫屋敷・W・ルカが差し出した手をイチはじっと見つめた。

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