契約破り・Ⅱ
ディランは廃村の中を兵士たちに鉢合わせしないよう、忍び足で慎重に歩き回った。
今まで貨物車やタクシーに忍びこんで様々な街をめぐり、食べ物や金を盗んで生活してきたディランにはこの小規模な前線基地を敵に見つからないようにうろつくことなど造作もなかった。
ここはたいして広くないし、『神に導かれし戦士たち』の兵士の数も多くない。感覚を研ぎすませて、死角からはみ出ないようにすれば見つかることは――
ディランは壁を殴った。
『神に導かれし戦士たち』、彼らは死ななければならない。ウォーロックをなんとしても見つけるのだ。今の自分に使いこなせるかどうかなんて、どうでもいい。彼らを殺すにはウォーロックが必要だ。
ディランのあの頼みをイチが拒否するのはわかっていたことだった。あのお人好し馬鹿が人殺しをするなどありえない。だけどそれすらもディランには腹立たしかった。あいつは自分の頼みならなんでも聞いてくれる、誕生日の夜の家族などではない。そう自分に言い聞かせた。
ディランは建物の裏手を歩く。兵士が二人、冗談を言いながら目の前の角を通り過ぎていく。あわてて立ち止まり、息をひそめて兵士が去るのを待って、角から顔を出した。
建物の前の通りに、兵士たちの安物の武器や車輌とはかけ離れた、日本製の真新しいコンテナトラックが停まっていた。砂漠に溶け込むよう薄茶色の塗装が施されている。
ディランは辺りを見回して、運転席や近くに兵士がいないことを確認すると、後ろからトラックに忍び寄った。コンテナの背部扉にのぞき窓があるのを見つけると、手すりにつかまって身体を引き上げ、コンテナの中をのぞき込んだ。
すぐ目の前に男の顔が現れた。
ディランは悲鳴を上げかけたが、なんとか押さえ込む。
確実にディランが視界に入っているはずなのに、コンテナの中の男はなんの反応も起こさなかった。ぼんやりと焦点の合っていない瞳をこちらに向けている。光の当たらないコンテナの中でもわかるくらいその顔は青白く、まるで立ったまま死んでいるかのように身じろぎもしない。
恐る恐るその後ろをのぞきこむと、コンテナの中には同じような白い服を着た男たちがびっしりと立ち並んでいた。
出荷だ、とディランは本能的に感じ取った。
何が彼らをこうさせたのかは知らないが、この男たちは出荷を待っているのだ。
ディランはコンテナから飛び降りると、安全な隠れ場所に向かって走り出した。
これ以上、あれを見ていてはいけない。あれは何かよくないものだ。この世に存在してはならないものなのだ。
建物の裏手に回り、壁に背をついて座り込んだ。
息を整えて、自分のやるべきことを確認する。
まずはウォーロックを見つけ出す。それを盗みだす。そして『神に導かれし戦士たち』を殺す。簡単なことだ。
だが、震えは止まらなかった。コンテナの中身がディランに与えた恐怖は皮肉なことに冷静な思考を呼び覚ました。今までの人生で幾度となく襲った無力感がまたもディランに牙をむく。
顔を上げると、建物の残骸の向こうに大きく傾斜した砂丘が見える。あの丘を越えれば、ここに来るときに乗ってきたラクダが隠してある。今すぐ出発すれば日暮れ直後にはジャブドルに着ける。
何かが折れかかったディランの耳に、低く短い殴打音が聞こえた。
そのすぐ後に男たちの怒鳴り声と笑い声。背後の建物の中から聞こえてくる。
ディランは立ち上がって振り向くと、そっと窓に顔を近づけて中をのぞき込んだ。
◇
イチは猫屋敷・W・ルカに朱良からの伝言を伝えた。米軍基地にブラッドサマーが現れたこと。モアジブにゴールドフィッシュが現れたこと。彼らの企みをなんとしても暴かなければならないこと。
「もちろん俺も手伝う。契約者を全員捕まえて、この国の戦争を終わらせるんだ」
はあ、とルカは溜め息をついた。
「危険を冒して朱良先生からの情報を伝えてくれたのは感謝する。だが、世迷言はやめたまえ。ここから先は
「ルカの言う通りかもしれないけど、でも俺は――」
「待ちたまえ。今、私を名前で呼んだのか?」
「駄目だったか?」
「金輪際やめてもらおう。……とにかく君が戦うことは許容できない」
「俺は朱良と一緒にゴールドフィッシュと戦った。今は『神に導かれし戦士たち』に取り上げられてるけど、それくらいの力はある。ルカがなんと言おうと、俺は一人でも勝手にやるからな」
「また名前を……はあ、わかった。この話はもう終わりだ」
自分の話を聞いているのかよくわからないイチにルカは再び溜め息をついた。床に正座して、いかにも暑そうに自分のコートを広げて風を送り込んだ。
「脱がないのか、それ?」
ルカが羽織っている純白のラインが入った重たそうな青いコートをイチは指さした。
「これは
「朱良はそんなもん着てなかったけどなあ……」
「あの人はなんというか……特殊というか、既存の価値観に囚われないからな」
常識がない、という言葉をルカはなんとか回避した。
「そういえば、ルカの擬神はどこにいるんだ? 朱良にはバーチャスっていう白い蛇がいたけど」
擬神。魔擬使いが必ず連れるまがいものの神。彼らがいなければ、魔擬使いは魔擬を使うことができない。
ルカはまた自分の名前が呼ばれたことに怒りもせず、というよりは気がついていない様子で目を伏せた。
「彼女は……別のところに捕らえられている」
「じゃあ、なおさら早く出ないとな」
イチは自分の膝を叩き、立ち上がった。
だが、続いて立ち上がるであろうと思ったルカは一向に座り込んだままだ。石になったように動く気配もなく、綺麗な姿勢で正座したままうつむいている。
「どうした? 魔擬を使ってくれよ。鍵を開けてもいいし、壁をぶち破ってもいいし――」
「駄目だ」そう一言だけ、ルカは呟いた。
「なんだって?」
イチは眉をひそめた。ルカは正座したまま床をじっと見つめ、イチと視線を合わせようとしない。そのまま抑揚のない口調で淡々と話し始めた。
「
「だけど、モアジブで――」
「君の話によれば、あの街は完全にゴールドフィッシュの支配下にあった。朱良先生が魔擬を使ったのは間違っていない。だが、先程君の言った方法をとれば……」
と、ルカは『
「――彼らは助かり、私はこの戦争に関与してしまう。それは
魔擬使いの存在は隠されなければならない、と朱良が言っていたのをイチは思い出した。
「あの人たちを……!」イチは『
「見殺しにするつもりか! そんなわけのわかんないルールのために!」
「そうだ。最初から私はここには存在しなかった。それが彼らのたどる本来の運命だったんだ」
イチは身を震わせた。理不尽を目にしたときにいつも内側から湧き出る怒りがまたイチの身体を貫いた。
「……朱良ならそんなことは言わない。あの人は言った。
「短絡的で感情的で無意味な考えだ。それで目の前の人間は救えても、もっと大きなものは救えない!」
冷静な表情を崩し、ルカは初めて怒鳴り返した。
溢れ出る感情を身体の内側から放出するようにルカは荒く息をつき、イチを睨んだ。イチはその視線をまっすぐ受け止めた。
「彼らは、『
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