契約破り・Ⅰ
それからイチは後ろ手で手錠がかけられ、ウォーロックを取り上げられた。一方の朱良はガムテープで両手を念入りにぐるぐるに巻かれている。ボディーランゲージによって発動する魔擬を封じるためだ。魔擬使いを熟知したそのやり方から、契約者が大佐側にいることは間違いなかった。
家の中からマハンとその娘、それにストーンも引きずり出され、全員ジープに乗せられる。恐怖で歯の根が合わない母娘に励ましの言葉をかけ続けるイチを、朱良は冷ややかに眺めていた。
しばらくジープに揺られた後、到着したのはストーンの言っていた庁舎だった。低い建物の並ぶモアジブの街に、突然変異で生じたような近代的なビルディングだ。
五人はライフルを突きつけられながら、その中に連れて行かれる。
ホテルのようなエントランスで、母娘とストーンから引き離された。
「どこに連れて行くつもりだ!」
叫ぶイチの腕を兵士は無理矢理引っ張って、朱良とともにエレベーターに押し込んだ。兵士はまだ騒いでいるイチの顔を殴ってから、六と書かれたボタンを押す。六階に着くといかにも役所といった面白みのない廊下を無理矢理歩かされ、奥の部屋へと入った。
そこは市長室のようだった。今まで見られなかった石像や絵画といった調度品が急に現れ、スイス製のソファーとテーブルの応接セットが置かれていた。ライフルを持った兵士たちが部屋の端に並んで警戒している。
その奥の重厚な樫の机に一人の男が腰かけていた。
白いタキシードに白いシルクハットを着た、初老の白人。がっしりとした体つきで、まるで岩のような印象を受ける。口には豊かなシェヴロン髭を立てていて、ストーンの言う通りアクション映画の悪役のようだった。
「お久しぶりだ。魔擬使い……朱良反」
「お前と挨拶するくらいなら、便所でも舐めてた方がましだ。ゴールドフィッシュ」
朱良はペルシャ絨毯に唾を吐き捨てた。兵士の一人がライフルのウッドストックで朱良の顔を殴り飛ばす。
「朱良!」
そう叫び、近寄ろうとしたイチの腹に兵士の膝がめりこんだ。呻き声を漏らして、這いつくばる。
ゴールドフィッシュは彫刻のような顔を微動だにしないまま立ち上がった。まるでプログラムされたような杓子定規な動きで机を回り込んだ。その手にはウォーロックが握られている。
冷徹な瞳で二人を見下ろしたまま、ゴールドフィッシュは木製のシガレットケースから煙草を取り出し、火を着けた。
「名うての
「お前らくそったれどもをあるべき場所にぶちこむためだ、契約者どもめ……おい、この話はしたっけなイチ? かつての戦いで聖神は絶滅したが、魔法使いはそのとき邪神もすべてゴルアディスの扉の向こうに封印してやった。現世の側にかけられた鍵は神々でなければ開けない。つまり、どれだけ暴れようが、こいつらのご主人様は一生異次元に囚われたまま。こいつらは主なき愚からな下僕ってわけだ」
ばしっと何かが破裂するような音がした。浮き上がった朱良の身体が天井に叩きつけられた音だった。朱良はそのまま見えざる魔法の圧で天井に押しつけられる。その身体がきしむ異音はイチの耳にまで届いた。
「やめろ!」
イチはゴールドフィッシュに突進するが、腹を蹴りつけられ床に転がった。
魔法の圧力が強まり、身体を押し潰されても、朱良は呻き声一つ漏らさなかった。
乾いた音が鳴る。朱良の右腕が異常な方向に折れ曲がる。その瞬間、朱良の身体は落下し、床に打ちつけられた。激痛に失神したのか、ぴくりとも動かない。
イチは叫んだ。
「お前らの目的はなんだ! どうしてこの国にやってきた! どうして戦争を呼び込んだ!」
「どうして、か。ここには火種がたくさんあったのでな。独裁政権、宗教対立、人種差別……争いが起こるには格好の国だ。我々には好都合だったのだよ」
「それでも……ここは誰かの家だ」
「ふむ。
そのとき市長室の扉が開け放たれた。殴り込んできた人間の顔を見て、イチは眉をひそめた。
「お前……」
スラム街の住人のような子供――ディランは抑えつけてくる兵士たちの腕にもがきながらも、ゴールドフィッシュに叫ぶ。
「おい、ふざけんな! こいつらの場所を教えたら、その剣をくれる約束だっただろ!」
ゴールドフィッシュは手を振り、兵士たちにディランを解放させた。ディランはその手を振り払い、鼻息荒くゴールドフィッシュを睨みつけた。
「ディラン……」
ゴールドフィッシュは煙草を一口で軽々とフィルターまで吸い尽くすと、机上のガラス灰皿に押しつけた。蜃気楼のように煙を吐いて、鞘に入ったウォーロックを掲げる。
「これはお前のような子供に扱える代物ではない。残念ながら渡すわけにはいかないな。……代わりのものは与えたはずだが」
「こんなもんいるか!」ディランはポケットから札束を引っつかんで、投げ捨てた。占領軍の暫定当局が数年前に発行した、真新しい新紙幣がひらひらと部屋に舞い落ちる。
「その剣は俺のもんだ!」
ゴールドフィッシュは溜め息をつくと、右手をのばした。ディランの身体が見えない力によって引きずられる。目の前に来たディランの首を、ゴールドフィッシュはつかんで持ち上げた。
「う、ぐうう……」
「ディランを離せ! お前恥ずかしくないのか、まだ子供だぞ!」
「その通り、まだ子供だ。この事象だけとっても、君の考えが間違っていることを証明できる。こんな年端のゆかぬ者ですら、何かを得るために人を騙し、罠に嵌め、死にすら追いやることができる。わかるだろう、人間の本質は悪だ。故に圧倒的な力と恐怖で統治せねば、真の平和は訪れん。そう、我々の目的は完全なる平和だ。その点に関しては君と同じと言えるだろうな」
そのときディランの小さな手の平がべちゃりとゴールドフィッシュの顔に叩きつけられた。
「ごちゃごちゃ言ってないで……その剣を……よこせ……」
「駄目だ」
「じゃあ返せよ……返してくれよ……みんなを…………魔法使いなんだろ……お前……」
私を、とゴールドフィッシュはディランの手を払いのけた。
「私を魔法使いなどと一緒にするな」
ゴールドフィッシュは左手に握っていたウォーロックをぶんと振る。その勢いで鞘が床に転がる。抜き放たれた魔剣――ウォーロックの長い刀身が部屋の電灯を反射してぎらりと光る。
「
ゴールドフィッシュはウォーロックを振り上げた。
ディランの顔が恐怖で歪む。
イチは叫んだ。
「今だ、ウォーロック!」
ゴールドフィッシュがその刀身をディランに叩きつけようと振り下ろした瞬間、ウォーロックから一本のナイフが吐き出された。
矢のように放たれたナイフは一直線に飛んでゆく。
高く上げられたイチの両手の間、手錠の鎖へと。
切っ先が鎖を砕く。跳ね返って宙を舞ったナイフを、イチは自由になった両手で掴む。
そのとき、失神したと思われていた朱良がむくりと起き上がり、血を吐きながら怒鳴った。
「バーチャス!」
あいよ姉御、とバーチャスがディランのズボンのポケットから顔を出す。
「神威、
唱えるが否や、バーチャスの身体はみるみるうちに燃え上がる。ディランのポケットから飛び出すと、身をくねらせながら昇ってゆく。
燃え盛る巨大な龍へとその身を変えたバーチャスは、とぐろを巻くようにして部屋中を飛び回り、ゴールドフィッシュや兵士たちに爆炎の身体で襲いかかる。
その隙にイチは朱良のガムテープをナイフで切り裂いた。
ゴールドフィッシュは舌打ちをし、ウォーロックを投げ捨てると、室内を蹂躙し続けるバーチャスへ魔法を発動せんと左手を掲げる。
「させるか!」
叫ぶと同時にイチは走り出し、ウォーロックを拾いざまに振り上げる。
衝撃波がゴールドフィッシュを壁に叩きつけた。
その腕からディランの小さな身体がはね飛ばされる。
ディランの身体は部屋に備えつけられた巨大な窓へと放物線を描く。
「まずい!」
イチは床を思い切り蹴って、ディランのもとへと飛び込んだ。
その薄い肩を抱きしめた瞬間、二人は窓を突き破って、外へと飛び出した。
六階分、およそ二十数メートルの高さから二人は落下する。
耳元ではごうごうと鳴る風の音と、ディランの上げる甲高い悲鳴。
イチは空中で身を返し、回転しながら着地した。ディランを強く抱いたまま、地面を転がって衝撃を殺す。ウォーロックの力がなければ間違いなく死んでいた。
イチはディランを下ろすと、ゆっくりと立ち上がり、上層の市長室のある階を見上げた。いくつもある窓からバーチャスの炎が間欠泉のように吹き出している。
その窓のうちの一つから、朱良が飛び降りてきた。
「あ、待て待て!」
イチはあわてて着地点へと走り、その身体を受け止めた。その衝撃で骨の折れた右腕には激痛が走っただろうに、朱良は平気な顔をしてイチの腕からひょいと立ち上がった。
爆発音と共にバーチャスも庁舎の壁をぶち破って飛び出してくる。上空でその身を蛇に戻すと、朱良の肩へと具合良く着地した。
「なんなんだよこれ」
「
「無駄話は後だ! 走れ!」
猛然と走り出す朱良。イチも急いでディランを抱え上げ、その後を追った。
「離せよ! 下ろせ!」
「こんなとこにいたらお前死ぬぞ!」
ディランに怒鳴り返したイチは、先頭の朱良が立ちすくんでいることに気づき、慌てて立ち止まった。
「何を――」と言いかけたイチは固まった。
朱良の目の前には巨大な四角い穴が掘られていた。深さ数メートルほどのその穴の中には無数の死体が折り重なっている。市内で大佐によって捕らえられた老若男女、様々な人間が殺され、ごみのように投げ捨てられていた。そのほとんどはこの暑さで腐りかけ、もはや人の形をしていない。死体から湧き上がるガスが目と鼻をつんと刺激する。
ディランはあわててイチの腕から下りて、その場から離れて嘔吐した。
「こんな……こんなことって…………」
目の前の惨状に、イチは膝をついた。
「おい」と朱良がその肩を引き上げる。
「さっきの私の発言は脳みそから消せ。ここであいつを倒す。お前も手伝え」
イチは立ち上がり、朱良と共に庁舎を振り返った。
その建物の中からはゴールドフィッシュを筆頭に、無数の兵士たちがやってくる。
「ああ」
逃げろ、とイチはディランに手で合図をした。ディランは複雑そうな表情を浮かべて一瞬足踏みをした後、どこかへと走り去った。
「ただし約束してくれ、朱良」
「なんだ?」
「誰一人死なせない。あの人たちにも、死んだら悲しむ人がきっといる」
「当たり前だろ。兵士の方は幻惑魔法でゴールドフィッシュに操られてるだけだ。知ってるか、魔擬使いの中でも
「正義の……味方、か」
「ああ、
「俺は違うよ。そんないいもんじゃない。俺はただ……助けたいだけだ」
二人は走り出した。
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