第四章 エデンの園(ジャンナ・アドン)

そして、誰もいなくなった。

 全速力をたもったまま、二人はスワディの街を出る。夜の砂漠には大きな風が吹きつけ、二人を歓迎するように砂地が海面のごとく揺れている。さらさらと舞い上がった砂塵が流れ星のように尾を引いて後方へと消えていく。

 ディランは自分の頭上で手綱を操っているイチの顔を見上げた。 

 イチは必死の形相で前を見つめ、ラクダを駆り続けている。


「……どうするんだよ」ディランは呟いた。「あの二人と戦うつもり? 食べものも水も持ってないのに。近くに街だって――」

「大丈夫だ」


 イチはまっすぐ前を見すえたまま答える。無根拠に言い切るイチに苛立ちを感じ、ディランは怒鳴り返した。


「大丈夫なわけないだろ! 何考えてんだよ!」

「大丈夫だ……お前も、みんなも俺が守るから……」


 血走った目。必死で前を睨んでいるが、その瞳には何も映っていない。空虚の炎に燃えている。


 ディランは思い出した。


 戦場には悪魔が棲んでいる。

 その悪魔は戦場で戦う限り、どんな平凡な人間にも、どんな優しい人間にもとり憑く。

 たとえ、それが誰かを守るために戦う人間であっても。


 ディランは言葉を失った。

 戦場で悪魔にとり憑かれれば、二度と逃れることはできない。悪魔が離れるのは、とり憑かれた者が死んだときだけ。それまで悪魔が消えることはない。たとえこの世の戦争すべてが終わり、永遠の平和が訪れたとしても、イチは……




 手の中でウォーロックが震え、イチは背後を振り返った。

 ラクダに乗ったルカとヤナギが砂埃を立てながら追い上げてくる。


「イチ! まだ間に合う! ウォーロックを渡せ! 渡さなければ実力行使する!」


 イチは前方に向き直り、黙ってラクダを走らせ続けた。


「……仕方ない。行くぞヤナギ!」


 ルカは魔擬の構えを取る。ヤナギは沈痛な面持ちで首を振ったあと、自分の拳銃を抜いた。

 一瞬後、イチたちの乗っているラクダの足元がルカの魔擬で爆散した。ラクダが怯んだのがわかったが、イチは構わず走らせ続けた。

 揺れ動く騎乗から放つルカの魔擬はなかなか当たらず、地面や風を切り裂くだけだ。狂い無き放銃ウォンテッドによって必中の銃撃となったヤナギの拳銃弾もウォーロックの衝撃波で弾き飛ばされた。


 ルカは焦っていた。ラクダの全力疾走は意外と長くもつ。早く決着をつけなければ、こちらのラクダが先に音を上げるかもしれない。


「ヤナギ、あれを使え!」


 ヤナギは顔をしかめた。を使うということはラクダを撃ち殺すということだ。無駄な殺生はしたくないが、ルカに言われればしょうがない。

 足でしっかりとラクダの腹を挟み、手綱から両手を離す。背中に抱えていたバッグから、ヤナギはバレットM107QCを取り出した。取り運びや屋内戦闘を容易にするためにコンパクトサイジングされた短銃身対物ライフルだ。その威力は軽装甲車に一発で穴を開け、人間に当たれば跡形も残さず挽肉にする。


 ヤナギは狂い無き放銃ウォンテッドを発動させながら対物ライフルを構え、走り続けるイチのラクダに向けて引き金を引いた。轟音。衝撃が砂埃を吹き飛ばし、ヤナギの怪力をもってしても強力な反動で肩が浮いた。


 イチはウォーロックでその五十口径弾を受け止める。巨岩をぶつけられたような衝撃が柄に走り、ウォーロックが手から吹き飛ばされそうになる。


 ヤナギは続けて対物ライフルを連射した。時刻を告げる鐘の音のように散発的な銃声が砂漠中に響き、イチはあえぎながら銃弾を弾き続けた。腕にたまった疲労は鈍痛に変わり、汗でウォーロックが滑る。


「もういいよイチ……もうやめよう」


 ディランは騎乗で強引に振り返りイチに訴えかけるが、返事は返ってこなかった。


 イチは羅刹のような表情でウォーロックを振るい続ける。自分が今どこに向かっているのかもわからないまま、ただラクダを走らせ続けている。


 ディランはそんなイチにかけるべき言葉がわからず、泣きそうな顔でただ見上げるしかなかった。ルカはこれが正義のためと信じて、当たるはずのない魔擬を放ち続けた。ヤナギは一抹のわだかまりを心に感じつつも、引き金を引くのをやめられなかった。


 顔面に吹きつける風が強さを増していることに、誰も気づいていなかった。


 津波のような砂嵐が宵闇の向こうから押し寄せていることに誰も気づかない。


 ついにヤナギの銃弾がウォーロックに勝る。自分の限界に破れ、イチは大きくバランスを崩した。隙が生まれた。今ならラクダを撃ち抜ける。ヤナギは反動で浮いた対物ライフルを引き戻し、肩に構える。


 自動車のクラクションが響き渡り、引き金にかかったヤナギの指を止まらせた。

 一台の青い乗用車が砂地に車輪をとられ蛇行しながらも彼らの後を追って、何度もクラクションを鳴らしている。砂塵で塗装のはげかけた車の運転席でハンドルを操っているのはアンマールだった。


「アンマール……」


 その瞬間、砂嵐が全員を飲み込んだ。

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