第五章 War is over (……If you want it)
死龍暴弄
巨大な黒い竜は咆哮を上げながら、空へと昇っていく。噴き上がった土砂にはね飛ばされ、イチはごろごろと地面を転がった。こいつがいるとすると、ここは砂嵐の地点――契約者のいる遺跡の近くだ。途中で落ちたイチがここにいるということは、やはりブラッドサマーは自分たちの本拠地へ
そのときイチは自分の手が濡れていることに気がついた。真っ赤な手の平とローブの袖。鉄の匂い。人の血だ。はっ、と肩を振り払う。そこには人の臓物がだらりと乗っかっていた。
見ると、あたりの地面も大量の血や臓器にまみれて赤黒く染まっている。イチは竜を見上げて、その正体に気がついた。
死体だ。
人間の死体が立体的なパズルピースのように収まり、脈動して、竜の身体を形成している。一体一体がまるで一房の筋肉のようにうごめいて、ぼたぼたと血を流しながら星空の海を割って進む。竜のざらざらとした鱗は死体の焦げた皮膚、産毛は突き出た白い骨だった。
――死霊魔法。その根源に思い至った瞬間、竜の頭上に一人の男が
二本の角――後頭部を吹き飛ばされた男の子と四肢の欠損した女の子の死体の間に立つ男は、おかっぱ頭に黒い日本の着物を着ていた。
「お前が雷電喜之介か……」
「どうも初めまして」
竜は身をくねらせながら空をゆく。揺れ動くその頭上で死霊魔法の使い手である契約者、雷電喜之介はお辞儀した。
「あなたの噂は聞いています、
イチはウォーロックの存在しない刃先で雷電を指した。
「お前を捕える」
「いいですねえ。あなたのしぶとさと頑固さには非凡なものがあります。そんなあなたの骨が砕けて、頭蓋が割れて、臓腑が潰れて死ぬ音を想像すると、高ぶる気持ちを抑えきれません」
「こいつただの変態か。吐き気がする」
「お前と意見が合うのは久しぶりだな、ウォーロック」
竜は一度咆哮すると、イチに向けてまっすぐに突進してきた。ウォーロックを構え、真正面からぶつかりあう。衝撃波が死体の肉をえぐり、ぬるぬるとした血が吹き出してイチの顔を汚した。血で手が滑りそうになりながらも、イチは渾身の力で竜を押しとどめる。
だが、数千の死体からなる竜の質量には叶わなかった。ウォーロックが弾かれ、イチの身体がはね飛ばされる。ウォーロックは宙を舞って、遠くの砂地に落下した。
イチは跳ね起きてウォーロックを拾おうと駆け出すが、再び竜が降下してくる。慌てて立ち止まったイチの目の前の地面が、列車のような竜の身体にえぐり飛ばされた。
「ぎりぎりまで悪足掻きを続けてくださいね! そうでなければ私の耳は震えない!」
過ぎ去りざまに雷電は楽しそうにおぞましい台詞を吐く。それに呼応するように竜は自らの顎を開き、巨大な火球を連続して吐き出した。イチを狙った火球は地面にぶつかると、ナパーム弾のように激しく炎を放ちながら爆発する。すぐそばで何度も爆炎が上がり、イチの髪先がじりじりと焦げる。熱せられた砂粒が顔に当たり、痛みが走る。
イチは姿勢を低くたもったまま、じぐざぐに走って火球を避けると、ウォーロックを拾い上げた。振り向いた瞬間、旋回してきた竜がイチの目の前に突っ込んできた。竜は爬虫類のような口をぱっくりと開ける。歪に並んだ牙は剥き出しになった肋骨や腿骨だった。
竜の咽頭で炎が太陽のように巻き上がる。イチはとっさにウォーロックを振るった。
同時に放たれた火球は斬撃によって叩き切られて形状を崩し、溶岩のようにイチの両脇を流れていった。
だが、突進してくる竜を避ける暇がない。
イチは自分の頭をかばった。
竜の巨大な口がイチを飲み込む。生き物ではないこの竜に消化器官など存在しない。ぎちぎちに密集している死体が踊るようにうごめいて、イチの身体を中へ中へと押し込んでいく。老人の膝から突き出た骨がイチの腕を切り裂き、奇妙に折れ曲がった行商人の指が目玉を突き、下顎の溶けてなくなった子供が肩に噛みついて、小さな乳歯が食い込みそのまま抜ける。
激痛と吐き気をもよおすほどの死臭がイチを襲う。死体の間を潤滑油のように流れている大量の血が鼻や口に入って呼吸もままならない。イチは自分が嘔吐したような気がしたがこの中ではよくわからなかった。
上空を遊泳する竜の腹の途中で、イチは死体の波から弾き出される。新鮮な空気を吸い込む暇もなく、風を切って落ちていく。イチは受け身もとれず地面に激突した。
地に伏したまま、自分の身体がばらばらになっていないことを確認する。もしかしたらどこかの骨が折れているかもしれない。だが、全身が死体の血にまみれていて、どこからが自分の血なのかはわからなかった。
だが、身体よりも心が痛くてしょうがなかった。
戦争で死んでいった人々の肉体があんなことに利用されている。死してなお、ものとして扱われ、誰かを殺すための駒としか思われていない。
イチの脳裏で人々が過ぎ去る。ローランド・ストウの仏頂面、家に帰れなかったマハン・アーマドの息子、暗い理想に燃えていたアル・アリとその幼い息子、バイオリンを弾くアンマール。そして名も知らぬ大勢の死んでいった者たち。
あれに止めを刺さなければならない。あんな冒涜をこれ以上許してはおけない。
だが、現実としてイチは立ち上がるので精一杯だった。ウォーロックを地面に突き立て、ずるずると身体を起こす。
ふらついているイチをあざ笑うかのように、竜はとぐろを巻いて空へと昇る。
そして緩やかに反転すると、口を大きく開いた。
「案外もちませんでしたね。残念です」
その顎の奥で火球が渦を巻きだす。
イチはウォーロックを構えようとしたが、腕が上がらなかった。
ディランの名前を呟く。
ごめん、俺は約束を――
そして火球を吐き出そうとしたその瞬間、竜の頭が爆発した。
竜はその衝撃にのけぞり、大きくバランスを崩す。
「何が……」
あたりを見回したイチの目に、見覚えのあるものが飛び込んでくる。
朝日が地平線の向こうから顔を出す。その曙光を背負って、漆黒のヘリコプターがこちらに向かってきていた。
ヘリは両舷のポッドから七十ミリ無誘導ロケット弾を次々と発射する。ロケット弾は白い煙を引きながら竜の身体にすべて命中して、その身を爆発で削っていった。
ヘリコプターから一人の人間が飛び降りる。枯葉のようにゆっくりと着地すると、イチのもとへ走り寄った。
「イチ!」
ルカと同じ、
「朱良……どうしてここが?」
「
「あ、あれは事故だって!」
「何をうろたえることがある」朱良の肩に乗っていたバーチャスが蛇頭を振った。
「まあ、そういうことにしといてやろう。とにかくもう安心しろ。あそこには
朱良はヘリコプターを指さす。朝焼けの差し込む中、ロケット弾を撃ち尽くしたヘリは変態的な軌道で襲い来る竜を避け、搭乗員がミニガンをばらまいている。
「タスクフォース0……?」
「契約者を追い詰めるために集められたサイコ野郎どもだ」
「
「まあ、そういう名前で呼ぶ奴もいる。見てろ、あんな悪趣味な操り人形の出来損ない、さっさと粉砕してやる……」
朱良がそう言った瞬間、竜の火球がヘリコプターのテイルローターに命中した。轟音を立ててヘリの尾部が爆発する。反トルクを失ったヘリコプターは主回転翼の作用に従って、ぐるぐると回転しながら墜落し始めた。中に乗っていた数人の
「これだからバーベキューばっかしてる奴らは……!」
そうぼやいた朱良よりも早く、イチが迅風のように飛び出した。ウォーロックを握り、真っ直ぐヘリコプターの落下予測地点へと向かう。
さっきまでとは違う。一人きりじゃない。ここには朱良たちがいる。底の底まで枯れ果てたはずの力が再びイチの身を満たしていた。
「……ウォーロック、お前破裂しないよな?」
「おい待て、あれを食わせるつもりか!」
悲鳴を上げたウォーロックを無視して、イチは跳躍する。綿毛のように身体が浮き上がり、ヘリコプターが眼前に近づく。フロアの兵士たちが振り落とされまいとモンキーストラップに掴まっているのが見える。
「行くぞ!」
イチはウォーロックを振り下ろした。鋼鉄の
同時に、生き物が自らの内から消えたウォーロックが変化を始める。
ぐねぐねと身をよじらせ、生み出されたのは巨大な大砲だった。イチは電柱が絡み合ったような形状のそれをなんとか抱え上げ、竜に向けて光弾を放つ。自動車ほどの大きさの光弾が当たるたび、竜の身体が削れていくが、雷電に従って勢いを止めない。
「遊んでいる暇はないようですね」
竜の頭上にいた雷電はそう呟くと、
守るべき指揮者から解き放たれた竜はもはや自分の身が破壊されていくのも顧みず、イチに向かって突っ込んでくる。
態勢を立て直したタスクフォース0の隊員たちがアサルトライフルを発砲し、朱良ら
「ウォーロック!」イチの叫びと同時に、ねじれていたウォーロックが瞬時に花開く。四本の翼を持ったヘリコプターの主回転翼を模したそれは回転を始め、人の生んだエンジンではあり得ないほどの素早さで最高速度に達する。
その高速で回転するギロチンに竜が頭から突っ込んだ。
数多の死体たちが鋼鉄の刃に切り刻まれ、人の形を失っていく。吹き出る血と肉片がウォーロックを支えるイチに降り注ぐ。飛び散った骨の欠片が、イチの頬を切り裂いた。血しぶきが口に入り、目にも飛び込んできたが、イチはまぶたを閉じなかった。両手が塞がっていたからではない。彼らの死に様を見届けるために。
死体の塊は次々と回転するウォーロックに飛び込んでは、削り落とされていく。やがて最後の尻尾まで切り刻まれ、竜はもはや死霊魔法も効かない肉片の山となった。
ウォーロックは回転をやめ、再びねじれ上がって巨大な大筒となる。イチはそれを引きずって肉片の山から離れると、身をよじってウォーロックからヘリコプターを吐き出させた。
ヘリコプターの残骸は地面を転がり、肉片の中心で爆発する。爆炎は死体のガスに引火して、それらを巻き込んでよりいっそう大きく燃え上がった。
イチはゆっくり目を伏せて、彼らの冥福を祈った。せめて彼らが彼らの信じる天国に行けるように。
イチは朱良を振り返った。
「行こう。ディランを助けないと」
ああ、と言うと朱良は煙草を咥えた。
「おい、ちょっと待て!」タスクフォース0の一人が抗議の声を上げる。
彼らは一様に黒いフェイスマスクにゴーグルをかけ、暗視装置とライトのついたヘルメットをかぶっている。バリスティックベストの上には木の実のように手榴弾や替えマガジンがぶら下がっており、グローブの手に握っているアサルトライフルには何やらごてごてしたアクセサリがついていた。
「こんなガキを連れて行くつもりか? お前ら
「そのガキにさっき助けられたのはどこの特殊部隊様だ?」
朱良が煙を吐きながら言い返すと、隊員は黙り込んだ。どうやら
離れたところであたりを歩き回っていた中国人の
「魔擬で探ったんだが、遺跡は地下に埋まっているようだ!」
全員が集まってくると、「どうやらここの真下を掘るのが一番近い」と中国人の
「よし、バーチャス。やれ」
「あいよ、姉御」バーチャスは朱良の肩から飛び立つと、
「当たりだ姉御! 建造物があるぞ!」
「よし戻ってこい!」
穴から飛び出した炎の龍はもとの白い蛇に姿を戻すと、ぽとりと朱良の肩に着地した。
「行こう、みんな」
「地獄へようこそ」
こうして
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