From Hell

 滑り落ちるようにして穴を降りると、そこは石組みでできた廊下だった。廊下といえども、トラックが数台は通れるほどの広さと高さがある。ここが遺跡であるならば、大昔の誰かがガソリンや電気もなしに、こんな巨大な建築物を作ったことになる。どれほどの時間と労力がかかるのか、イチには想像もつかなかった。


 地上と違ってひんやりとした空気は、しかしよどんではおらず、この遺跡の中に人間がいることを現している。ランタンやろうそくのような光源はなく、廊下の先の方は茫漠と闇に包まれていた。


 タスクフォース0の最後の一人が廊下に降り立つと、契約破りブレイカーたちは魔擬で光球を生み出し、あたりを照らす。タスクフォース0もヘルメットのライトを点灯した。


「それで、どっちに行けばいいんだ?」タスクフォース0の隊長らしき男がぼやく。

「落ち着けカウボーイ。今、魔擬で……」

」ウォーロックが朱良を遮った。

「おい、今の声はどっから聞こえた!」と騒ぐタスクフォース0の隊員たちを無視して、ウォーロックは続ける。


 ウォーロックの指示に従って、わずかに傾斜がかった通路をイチたちは下りるようにして歩き出す。白人の契約破りブレイカーが先頭を務め、あたりを魔擬やライトで照らしながら進んでいく。近くに生き物の気配はなく、朱良の吸っている煙草の匂いだけが鼻をついた。


「おい」

 咥え煙草で朱良が呼びかけてくる。イチは振り向いた。

「ウォーロックが邪神ってのは私も聞いてた。半身を見つけたら、お前はどうするつもりだ?」

「ウォーロックと約束したのは半身を見つけるまでだ。復活させるとは言ってない」

 

「それから先のことは一回話し合おう、ウォーロック。どっちにしろ契約者を捕まえないと取り返せないんだから」

「私はイチの判断を尊重する。お前がウォーロックを復活させるってんなら止めねえよ。ただし、復活したら私が殺す」

「ああ、そうだ。……とにかく、お前が変わってなかったみたいでよかったよ、イチ。お前は相変わらず馬鹿で、甘くて、そして優しい」

 そうかなー、と馬鹿正直に照れたイチが頭を掻いたところで、先頭の契約破りブレイカーの怒鳴り声が響いた。


「誰かいるぞ!」


 全員に緊張が走る。光球の明かりの先、丸く照らされた広場の真ん中で一人の白い服を着た男が膝を震わせながらこちらを見つめている。


屍兵かばねへい……」


 先頭の契約破りブレイカーは光球をその奥へと飛ばす。


 男の後ろには、無数の屍兵たちが広大な廊下いっぱいにひしめきあっていた。五体満足の者や、四肢の欠損した者、この国のありとあらゆる戦場から、かき集められた死体たちが口々に白く粘っこい息を吐いている。中には顎関節の外れている屍兵もいる。

 その中に、エデンアドンを襲った兵士たちがいることに気がついたイチはぎゅっと拳を握り込んだ。


「口封じか……」

「ウォーロックの言ったとおり、こっちで正解だったみてえだな」


 屍兵たちは腐り落ちた声帯で一斉に奇声を上げた。真っ白い人の波が殺意を持って、こちらに押し寄せてくる。

 タスクフォース0の隊員たちは即座にアサルトライフルを構える。


「あのゾンビどもを地獄へ叩っ返してやれ!」


 二つの暴力が拮抗した。タスクフォース0の弾丸が、契約破りブレイカーたちの魔擬が、彼らの擬神の神威が迫りくる人波を押し返そうと次々に放たれる。その必殺の攻撃に真正面からぶつかり、屍兵たちは岸壁に弾き返される波しぶきのように吹き飛ばされていった。


「借りる!」イチは近くにいたタスクフォース0のホルスターからナイフをすり抜くと、ウォーロックに飲み込ませた。ウォーロックは変化を開始し、イチの背丈ほどもある長刀となる。その偽りの刃を突っ込んできた屍兵の一人の首元に叩き込んだ。肉の斬れる嫌な感触が手に走り、青白い頭が吹き飛んだ。

 一瞬、怖気が走るが、迷ってなどいられない。前に進まなければディランたちを助けられないのだ。

 彼らはすでに死んでいる。彼らの肉を斬り、骨を断ち、首を刎ね飛ばす。彼らをもう一度殺すこれは自分に課せられた罰なのだ。


 彼らを救えなかった自分に対する罰。


「足を狙え! 動きを止めろ!」


 襲い来る屍兵たちは次から次へと現れて、終わりが見えない。指示を飛ばしたタスクフォース0の隊長に、斬撃の魔擬を繰り出していた朱良が怒鳴り返す。


「クソ映画ハリウッドじゃねえんだぞヤンキー! 頭を潰せ! じゃなきゃ上半身だけでも襲ってくる!」


 そのとき、迫り来る屍兵の向こう側で、血の噴水が上がった。押し寄せる屍兵たちの勢いが減じ、その人海がいびつに波打つ。


 何者かが屍兵を倒しながら、通路の向こうからやって来る。


 その正体を疑問に思う暇もないまま、イチたちは謎の人物と挟み撃ちにするようにして屍兵たちを倒し続ける。

 そして屍兵たちの最後の一陣が謎の人物によって叩き割られたとき、その正体があらわになった。


「ルカ……」


 見えざる刃ブレイドとルカは両手から斬撃を放つと、両壁に押しつけられていた屍兵たちの頭を切り飛ばした。これで現れた屍兵たちは全員無力化され、静けさと血の海だけが残った。

 ルカの契約破りブレイカーのコートはぼろぼろで、もはや汚れた青錆色の布切れがマフラーのように肩元に巻きついてるだけだ。その下に着ている薄黄色のチョッキとズボンも穴だらけで、ところどころ血が滲んでいた。


「ルカ、生きてたのか――」


 ルカはそれに応えず、無言でイチを指さした。その灰色の瞳には強い決意と、殺気が満ちていた。


「君とウォーロックをここから先へ行かせるわけにはいかない。ウォーロック……貴様を破壊する」


 厳然なる肉体ザ・レイド。身体強化の魔擬を発動させると同時に、ルカは強靭な脚力で地を蹴った。まっすぐにイチに飛び込んでくる。


 たとえ生きて再び会えたとしても、こうなる可能性はイチも理解していたはずだった。それでも心の奥底で迷いが生まれ、ウォーロックを構えるのが一瞬遅れた。


 ウォーロックを持つイチの右手ごと握り潰そうと、ルカは手を振りかざした。


 その圧壊の手が届く寸前に、朱良の右足がルカの脇腹にめり込んだ。ルカの身体は小枝のように吹き飛び、爆煙を上げて廊下の壁にぶち当たる。


「お前ら先に行け! ルカは私が引き受ける!」

「でも――」

「ルカに魔擬と契約破りブレイカーを叩き込んだのは私だ。私にはこいつを引きずり込んだ責任がある……行け!」


 ルカは呻きながら、なんとか身を起こそうとしている。

 他の契約破りブレイカーとタスクフォース0は迷わず走り出した。


 それでもイチは迷っていた。ルカが戦おうとしているのは自分だ。自分が決着をつけるべきではないのか……


「行け! あの悪ガキを助けるんだろ! 戦争を止めるんだろ、砂漠の停戦者デザートピジョン!」


 イチは歯を食いしばった。


「姉御を信じろ」バーチャスはイチの肩に飛び乗りささやく。

「くそ…………頼んだ、朱良!」そう叫ぶと、イチは身をひるがえし、バーチャスと共にタスクフォース0の背中を追って走り出した。


 その瞬間、背後から破壊音が響く。朱良の放った魔擬で天井が崩落し、雪崩のように降り落ちてきた土砂が通路を塞ぐ。朱良は自らとルカを逃げ場のない棺桶に閉じ込めた。


 だが、イチは振り返らなかった。やるべきことがある。助けなければならない人々が待っている。

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