第一章 砂漠の停戦者(デザートピジョン)
神は死んだ
夢を見ていた。恐ろしい夢を。
街に爆弾が落ちてきたのだ。いたるところで炎が噴き上がって、街の人の悲鳴や建物が壊れる音が聞こえる。
また一つ爆弾が落ちる。数百の命が消え去る。
また一つ、また一つ……
彼は走っていた。家へ帰らなければ。
そして、ようやく自分の家が目に入ったそのとき――
イチは目を覚ました。
満天の星が彼を出迎えた。夜の砂漠の澄んだ空気が鼻をくすぐった。
かけられていた毛布をのけ、きしむ関節に耐えつつ、上半身を起こす。
ぱちぱちと火のはぜる音に振り向くと、大きなラクダが目の前に現れイチの顔を舐めた。
「うわっ!」
突然の洗礼にあわてて飛びずさる。そのとき何かがおかしいことに気がついた。最後の記憶は苦痛による失神だったが、今はまるで痛みを感じない。
「起きたか。うなされたぞ」
一人の女が焚き火のそばに座っていた。まるで男のように短い髪にローブのフードをかぶり、口元をオリーブドラブ色のシュマグで覆っている。
こっちに来い、と言う女に従って、イチは焚き火のそばに寄って座り込んだ。
「あんたが助けてくれたのか……?」
「まったくあの女と顔合わせて生きてるとはな。運がいいぜ、お前な」
そう言って、女は焚き火に枯れ木をくべる。イチはその顔を見返した。
「運がいい……? みんな死んだんだぞ」
「……そうだな」
「あの女は一体なんなんだ。あんたは誰なんだよ!」
「落ち着け」女はステンレスのカップをバッグから取り出すと、地面からすくい上げた砂をそこにこぼした。
「これでも飲め。丸一日眠ってたんだぞ」
「馬鹿にしてんのか!」
だが、カップを振り払おうとした手をイチは止めた。カップの中にはなみなみと水が満ちている。
「なんだよ。だってさっきは砂だったのに……」
「私は
ほれ、と朱良はもう一度カップを差し出す。おずおずとイチはそれを受け取り、口をつける。本物の水だった。
「魔法使い……なのか?」
「お前、魔法使いなんか信じてんのか? ガキよなー」
「あ、あんたが自分で言ったんだろ!」
「私は魔法使いじゃない。魔擬使いだ。魔法の擬いもんだよ」
「じゃあ、さっきの灼髪の女が……」
「あれは契約者って奴だ。魔法使いはもういない。契約者に絶滅させられたからな」
「ちょっと待って……頭がついていかない……ていうか、なんで俺にそんなこと教えるんだ」
朱良はそばに置いてあったウォーロックをイチに向かって放り投げた。
「お前はこれを持っていた。お前はあのブラッドサマーと戦った。そしてあいつから生き延びた。知る権利は充分にある」
イチの手の中でウォーロックが震える。
「こんな得体の知れない奴、信用するつもりか」
「お前には言われたくないな。つうか、喋れたのか」
朱良はウォーロックにも平然としている。取り出した煙草を焚き火に近づけて火を灯し、深々と紫煙を吸い込んだ。
で、と朱良は煙を吐き出した。煙草の煙は鳥に形を変え、どこかへ羽ばたいていった。
「他に聞きたいことは?」
かつてこの世には神々が存在した。
両者は歴史の陰で戦い続け、ついに決着がつくときが来た。
勝ったのは邪神と契約者だった。
依るべき聖神は絶滅し、魔法使いたちは魔法を失った。跳梁を続ける契約者たちに対抗するため、長きに渡る研究と忍耐の時を経て彼らは擬いものの神――
「そして私は
並の人間だったら、おとぎ話だと一笑するような夢物語だったが、イチはこの出鱈目じみた存在であるウォーロックともう四年近く一緒にいる。今さら何が出てこようが驚かなかった。
「たった一人で来たのか?」
太陽の日差しがじりじりと照りつける砂漠を歩きながらイチは尋ねた。
砂をまぶしたような荒地は地平線の先まで延々と続き、天空で巨大なふるいにかけられ、落ちてきたような人間大の岩がそこらじゅうに転がっている。腰ほどの高さの草が地を割って水分の乏しい砂漠地帯に顔を出している。風が吹くたびに砂塵が舞い上がり、この国の匂いをイチに思い出させる。右手の丘はなだらかに傾斜をして、はるか向こうで膨大な年月と自然の力によって切り落とされた絶壁の岩崖となっていた。
昼間の砂漠はローブをかぶってもうだるように暑い。もう二日もこうして歩き続けている。
同じくローブをかぶり、ラクダに乗っている朱良は答えた。
「まさか。私らはアメリカの支援を受けてやってきたんだ」
「アメリカって……この戦争を起こした国じゃないか」
「そう。契約者こそが、
「あんなたった一人のために戦争を起こしたっていうのか?」
「たった一人じゃねえ。少なくとも三人のクソ契約者がこの国で確認されてる。ブラッドサマーを見たお前なら、契約者が三人も揃うことがどんなにマズいか、わかるだろ?」
そう言いながら、朱良は手に握った砂を水へ変え、肩に乗っている白い蛇にかけてやる。蛇は身をくねらせ、人間の言葉で礼を言った。
バーチャス。それが朱良の擬神である蛇の名前だ。
「でも……戦争まで起こす必要はなかったはずだ」
「ああ、
「それに契約者をこの国が支援してたという話もある。どのみち開戦は避けられなかった」朱良の肩でバーチャスは首を振る。
「じゃあ、ローランドは……今まで死んでいった人たちははどうなるんだよ」
「だから、私たちは契約者を止めるんだよ、イチ」
姉御、とバーチャスが鎌首をもたげる。
「見えてきたか……モアジブ市だ。あそこに私たちの仲間がいる」
二人のはるか前方に、石造りの街の遠景がぼんやりと見える。大きな街だが首都ほどではなく、背の低い建物ばかりが平原に茂った草のように並んでいた。吹きすさぶ砂塵が黄金色のベールとなって街を覆う。
かげろうのように揺れるモアジブはまるで蜃気楼の産物だった。
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