出立


 朱良は魔擬でゴールドフィッシュの逃げた先を追跡しようとしたが、行方は掴めず悪態をついた。


 それから朱良はモアジブの役人やCIA職員が元に戻ったのを確認すべく庁舎へと向かい、イチは敷地の門を開け放った。

 イチたちとゴールドフィッシュの戦いの音を聞きつけた市民たちが何事かと庁舎に押しかけていたのだ。イチが大声を上げて、何もかも終わったことを告げると、彼らは捕らわれた家族や友人を捜すため、大挙して敷地内になだれ込んだ。


「おいおい、なんだこの騒ぎは……お前もしかして門を開けたのか?」

 人混みの流れに逆らって庁舎から出てきた朱良は額を押さえながらイチにぼやいた。

「だって皆早く家族に会いたいだろうし」

「事後処理ってのがあんだよ、まったく……それよりストーンを見なかったか? 庁舎の中に姿がねえ」


 そういえばアーマド母娘とストーンはエントランスで別れたきりだ。一体どこに連れて行かれたのか、イチにはわからない。


「俺、捜してくるよ」

 そう告げると、イチは駆け出した。



 庁舎にはいなかったのだから外かもしれない、とイチは建物を回るようにして母娘とストーンを捜した。整地されていた敷地は先刻の戦闘でクレーターだらけで、失神したままの兵士やその武装がところどころに転がっていた。彼らを起こすのは後にして、イチは母娘とストーンを捜し続けた。


「マハン! ストーン! どこだ!」


 そのとき、イチは二つの丸い影を見つけた。こちらに背を向けた大人と子供が地面にしゃがみこんでいる。マハン・アーマドとその娘だ。

「マハン!」と呼びかけながらイチは近づいた。だが、マハンも娘もこちらを振り向かず、ただじっっとしゃがんでいる。


 二人のそばに立ち、イチはその理由を知った。


 目の前には巨大な四角い穴が空いている。殺された人たちが投げ捨てられていた穴だ。吹き上がる死臭も介さず、二人はその惨状をじっと見下ろしている。


「マハン?」


 イチは静かに問いかける。永遠に思えるほど長い沈黙が経ってから、マハンは呟いた。


「息子が……」


 そのままマハンは前のめりに倒れた。穴に落ちかかったマハンの腕を、イチはあわてて掴み止めた。


「危ない!」

「離してください……行かせて……! 息子が……息子がいるんです……」


 マハンはイチの手を振り払おうとめちゃくちゃに暴れる。イチは娘を呼んで、二人でマハンの腕を引っ張った。なんとか引き上げて、三人は地面に尻もちをつく。

 マハンはさめざめと泣いていた。その肩を気丈に抱きしめる娘の瞳にも涙が浮かんでいた。言葉がなくとも、二人のその姿がワリードのたどった残酷な運命を有弁に語っていた。


「ごめんなさい……間に合わなかった」


 イチは二人の前にひざまずいた。ポケットに入れていたナイフを取り出し、マハンに渡した。


「これを……あなたの息子が救ってくれた」


 マハンは剥き出しになった刃を強く握りしめて胸に抱いた。手から血がぽたぽたと流れ落ちたが、止める者は誰もいなかった。イチも、マハンの娘も、マハン自身でさえ。


 イチは唇を噛み締め立ち上がった。朱良がいつの間にか隣に立っていた。


 優しく肩を叩かれる。


「来い」



 二人はマハンから離れて、敷地の中を歩いた。


「お前に頼みたいことがある」

「……何を?」

「ここから二十キロ西に行ったところにジャブドルという街がある。そこに行って猫屋敷・W・ルカという契約破りブレイカーにここで起きたことを伝えてくれ。私はここでCIAどものケツを拭かなきゃなんねえ。折れた右腕も治したいしな」

「そういえば平気な顔してるけど、腕大丈夫なのか?」

「んなわけねえだろ。クソいてえ。……そんなのはどうでもいい。三日もあれば魔擬で治る。とにかく、ルカにここのことを知らせてくれ。契約者どもはこの国で何かを企んでる。ここでの虐殺や、米軍基地を消滅させたのもその計画の一部のはずだ。私らにはそれを止める責任がある。どうだ、やってくれるか?」


「いや……」


「何?」


 その答えに朱良は眉をひそめる。だが、すぐに納得したように呟いた。


「……わかった。こんな状況じゃ、日本へ送る手配には時間がかかるだろうが――」

「違う。そのルカって魔擬使いにはちゃんと伝える。だけど、俺はメッセンジャーじゃない。俺は砂漠の停戦者デザートピジョンだ。あんたたちと一緒に契約者を捕まえる」


「本気で言ってるのかお前?」


「俺はずっとこの国で殺し合いを止めてきた。でも、いつまで経っても戦争は終わらない。いつも、どこかで誰かが死んでいる。俺の知らない場所や、俺のすぐ目の前で……きっと俺のやってることは無駄なんだ…………だけど契約者を捕まえれば、アメリカはこの国から引き上げる。戦争は終わるんだろ?」


「ああ。お前の言う通りだ」


 朱良はそう言うと、何かを追いかけるようにどこか遠くを見つめて煙草を取り出し、火を着けた。長い息とともに煙を吐いた後、再び口を開いた。


「……よし。ラクダは私のやつを使え。さっきストーンを見つけて話をつけてきたから、あいつに言えば水と食料は用意してくれるはずだ」

「わかった」


 そう言って駆け出そうとしたイチに、朱良が声をかける。


「待て、イチ。……さっき言ってたこと、お前のやってきたことは無駄じゃない。今日のことだってそうだ。お前は確かに誰かを救ってる。少なくとも私はそのことを知ってる」


「……ありがとう。俺たちまた会えるかな」


「ああ。私が煙草の吸いすぎで死なない限りは」





 庁舎の門の外にいたストーンに声をかけ、朱良に言われたことを伝えた。イチはラクダを、ストーンは水と食料を持って、街の外れで落ち合うことになった。

 街を取り巻く大騒ぎで厩舎に兵士の姿はなかった。勝手にラクダを持ち出して、集合場所へと向かう。


 街の外れ、漆喰の建物の裏手にストーンの姿はなかった。ダッフルバッグが二つ、地面にぽつんと置いてある。

 訝しんでいると、建物の方からストーンがあわてた様子で走ってきた。


「すまない。便所に行っていた。捕まってる間は行けなかったからな……これが水と食料だ。バンドで繋いでラクダにぶら下げるといい」


「ありがとう。それで、一つ頼みたいことがあるんだけど」


「なんだ? 君は俺と俺の同僚を救ってくれた。できることなら叶えよう」


「たぶんこの後、ストーンは上司に報告すると思うんだけど、俺の存在は伏せてくれないか?」


「何? まあ、できないことはないが……どうしてそんなことを?」


 イチは自分の腰元に吊るしているウォーロックを叩いた。


「こいつのことをアメリカには知られたくないんだ。なんか嫌な予感がする」


 それを聞いたアメリカ人のストーンは複雑な表情を浮かべた後、しぶしぶ頷いた。


「まあ君が警戒するのもわかる……だが、本当にそれでいいのか? 君はこの街を救ったのに、誰にも知られないままここを去るつもりか?」

「俺が戦ったことはストーンや朱良が知ってる。それで充分だ。それに…………俺は結局救えなかった」


 その後、イチはラクダに荷物を乗せ、自らもその背にまたがった。


 挨拶代わりに軽く手を上げたストーンに応えてから、ラクダを歩かせた。






 腰元のウォーロックが唸るように声をかける。


 出発してから数時間が経っていた。太陽は地平線のわずか上にまで傾き、日が暮れるのも時間の問題だ。そろそろ野営の準備をした方がいいだろう。


「なんだウォーロック?」


使? 


「……それはまあ、おいおいってことで」


使


「わかってるよ。ここに来て、俺たちの前に魔擬使いとか契約者とか神様とかが出てきた。たぶん、お前も似たような側の存在だろ。今までみたいに闇雲に探すよりは可能性があると思うんだけど」


「へえ、なるほど。どっかにもう半分あるんだね」


姿……


「……下から」


 イチはラクダを止めて飛び降りると、鞍にさげていたダッフルバッグのジッパーを開けた。


 中で丸まっていたディランが手を上げた。


「よっ」

「お前何してんだ、こんなとこで!」


 ディランは吊るされていたダッフルバッグから身軽に飛び降りると、気持ちよさそうに大きくのびをした。


「こんなとこに吊るすからさ、もうラクダの腹にばんばん当たって痛かったよ。でも街から離れないと連れて返されそうだしさ」


 すでにモアジブの街は遠く地平線の辺りで小さな点となっている。


「遠くても連れて帰る!」とイチは怒鳴り返した。

「ええーいいじゃん。水と食料も足りるよ。さっき騙したのは謝るからさあ。ね、いいでしょ?」

「駄目だ。お前だってあの街に家があるんだろ。心配する家族だって……」


 と、そこでイチは言葉を飲み込んだ。ディランが自分の腰元に抱きついてきたのだ。ディランはイチのローブに顔をうずめたまま、震える声で答える。


「家もないよ……家族も……みんななくなっちゃったんだ…………でもジャブドルには親戚のおじさんの友達のいとこにお金を借りてる人がいるから、もしかしたらと思って……」


 沈黙が流れた。


「そうだったのか……」


 イチは申し訳なさと憐憫の入り混じった顔でディランの頭を撫でた。


鹿  

「お前も苦労したんだな……」


 ディランはしばらく黙って頭を撫でられていたが、突然ぱっとイチの身体から離れると、ラクダに飛び乗った。


「さっ、いこいこ!」


 しょうがない、とイチは頭を掻いて、自分もディランの後ろにまたがって手綱を掴んだ。ディランはイチの腕の中で急かすようにぴょんぴょん跳ねている。

――」と言いかけたウォーロックを遮り、ディランの明るい声が響いた。


「しゅっぱーつ!」


 そしてラクダに乗った二人と一振りの奇妙な一団は地平線の向こう側に沈んでいく太陽に向かって進み始めた。

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