罪と罰

 それからゴールドフィッシュ、雷電喜之介は魔法が使えぬよう再度念入りに縛り上げられ、猿ぐつわを噛まされた。いまだにゆっくりと成長を続けるブラッドサマーだけは魔擬の繭に身を固められたままだ。


 それから、怪我をしたエデンアドンの人間や兵士たちの手当てが行われた。同時に、アランは無線機によって帰りのヘリコプターを要請する。来た道は朱良が塞いでしまったし、泡沫の十字架ブロークン・アローの余波によって崩れかけたこの遺跡を魔擬で破壊しながら出るのは崩壊のリスクが大きすぎた。


 イチもディランにただれた右手の平に包帯を巻いてもらった。心配そうにこちらを見つめるディランに微笑み返す。だが、次にディランが発した言葉に顔を曇らせた。


「ウォーロックは?」


 イチはゆっくりとウォーロックを持ち上げると、ディランに渡した。


「ウォーロックは俺たちを守って……死んだ」


 ディランは言葉を失い、ウォーロックをじっと見つめた。そこにかつてディランが求めた理外の能力はもはやなく、あるのはただの冷たい鋼鉄の塊だ。


「……最後に言ったんだ。俺との旅は楽しかったって。たぶん、お前といた時間もそこに入ってる」


 ディランは何も答えなかった。もう聞こえることのないウォーロックの声に耳をすませているようだった。

 イチは黙って、しばらくディランがそうするのに任せた。


「……そういえば、サーリャはどこだ?」


 エデンアドンの人間たちは幸いにしてほとんど怪我を負っていない。無事な者たちはタスクフォース0を手伝って、怪我人の治療に回っている。だが、忙しく立ち回る彼らの中に、サーリャの姿はなかった。


 イチの言葉を聞いた瞬間、ウォーロックを持ったままディランは身を固くする。


「サーリャは……」


 そのときかいがいしく治療を施していた人々の波がさっと割れる。戦闘が終結してから姿が見えなかったアルゴルがゆっくりとその人垣を割って歩み寄ってくる。その太い腕にはサーリャが抱えられていた。


「サーリャ……?」

「私たちがあの場に連れ去られたときには、もう……」


 アルゴルは目を伏せる。

 青白い顔をしたサーリャはアルゴルの腕の中で優しく目を閉じている。


「……嘘だろ」


 血や傷はどこにも見当たらない。まるで眠っているようにしか見えなかった。だが、アルゴルの言葉が本当なのだと、イチにはわかっていた。生きている者なら当然あるはずの微細な動きがサーリャにはなかった。まるで蝋人形のように、微動だにしていなかった。


「なんで……」イチはサーリャを受け取り、抱え上げる。その身体は異常に軽かった。まるで中に何も入っていないみたいに。薄い唇は一文字に引かれ、あのはにかんだ笑顔を見せることはもうない。


「あー、それ私のせいじゃないからね」ようやく成長しきったブラッドサマーが猿ぐつわを噛ませようとする隊員の手を振り払って、イチに声をかけた。

阿呆鳥の譚詩曲ジャンパーの途中で裂け目が入ってさ、たぶんそっからその子のだけ飛び出しちゃったんだろうね。私はなんもしてないよ」


 黙れ、と隊員はブラッドサマーを殴りつけ、無理矢理猿ぐつわをはめた。


 


 イチは思い出す。どうやって自らが阿呆鳥の譚詩曲ジャンパーから脱出したのかを。

 ウォーロックで空間を切り裂き、その裂け目から飛び出した。

 まさか、あのとき……


 電撃のように思い至る。脱出したあのとき、砂漠でイチに降りかかっていた血と臓物。


 あれは死体の竜のものではない。


 あれはサーリャの――


 遠くで絶叫が聞こえた。それが自分のものだと気づくのに時間がかかった。

 殺した。俺が殺した。

 助けるはずだったあの子を、俺が殺した。俺が余計なことをしたばかりに、サーリャは死んだ。家族や同胞の死体の中で、なんとか命を拾い上げたあの子を。エデンアドンで幸せに暮らしていたあの子を。ディランのたった一人の友達のあの子を。

 自分の血が目に入った。涙と混ざり視界が真っ赤ににじむ。


「ごめん……ごめんなさい…………ごめんな……」


 頭を地面に打ちつけていたイチを、アルゴルが羽交い締めにして引き離す。何事かとこちらを見つめる人々の顔。その顔が、どうして救えなかったのかとイチを責める。

 どうしてあの罪のない子供を殺したのか。


「イチ!」


 ディランがイチの顔を両手でつかみ、自らの薄い胸板に抱き寄せる。それに顔を埋めたまま、イチは何度も謝った。


「ごめん……ごめん、ディラン……俺はサーリャを……お前の友達を…………俺が救うはずだったのに……助けなきゃいけなかったのに……」


 今まで死んでいった者たちの顔が浮かび、イチの周りを飛び回る。育ての両親、ローランド・ストウ、アル・アリと息子、サーリャの命を守ったアンマール。

 そして無数の死者たち。イチの目の前で死体となった者たち。イチの手からこぼれ落ちた者たち。

 忘れることのできないその顔が連鎖して、イチを問い詰める。

 どうして俺/私たちを救ってくれなかったのか。どうしてあいつを助けて、俺/私たちを守ってくれなかったのか。一体何が違ったというのか。人種か? 性別か? 年齢か?

 信じる神か?

 教えてくれ、なぜ殺した。


「やめろ! やめてくれ! 俺のせいだ、俺のせいなんだ! 俺の力が足りなかったから! 俺が弱い人間だからだ! だから……!」


 ディランはイチの髪をかき寄せ、よりいっそう強く抱きしめた。

「もういいんだ……イチは充分がんばったよ。しょうがなかったんだよ」

「違う……駄目だ……まだ足りないんだ…………俺は……もっと……」


 がくりとイチは崩れ落ちた。



 気を失ったイチはアルゴルによって運ばれ、エデンアドンの人間に介抱されている。そのそばではディランがずっと手を握っていた。


 朱良は地面を蹴り飛ばした。自分の判断は間違っていた。イチをここに連れてくるべきではなかった。いや、そもそもイチをこの下らない争いに巻き込むべきではなかった。イチの心的外傷後ストレス傷害PTSDは明らかに進行している。


「くそっ……」

「朱良先生」ルカはそっと朱良の腕に触れた。「あんなことが起きるなんて想定不可能だ。先生に非はない」

「だが――」


 そのとき拘束した契約者たちの近くに立っていたアランはおもむろに自分のホルスターから拳銃を抜くと、雷電喜之介の頭をふっ飛ばした。


 続けてブラッドサマーの後頭部に銃弾を撃ち込む。硝煙があたりに漂う。


 二つの死体がどさりと倒れ込み、その銃口がゴールドフィッシュに向いたところで、朱良とルカはアランにつかみかかってその火線をそらした。弾丸があらぬ方向に発射される。いまだ失神しているゴールドフィッシュは身じろぎ一つしない。


「なんのつもりだてめえ! 自分が何してんのかわかってんのか!」

「なぜこんなことを……」


 雷電喜之介とブラッドサマーの死体を前に紹雄は一人呆然と呟いた。


 アランは拳銃を振り回しながら、朱良に怒鳴り返す。


「俺が何をしたかって? 当然のことをしたまでだ! こいつらが契約者とかいうわけのわからん連中ってだけで、俺たちの戦争は汚された! 大量破壊兵器は存在しないだと? 大義なき戦争だと? ふざけるな! 俺たちは世界の平和のために戦ってんだ!」

「クソが! 最初からそのつもりだったな! こいつらを暗殺するのがお前らアメリカの目的か!」

「何が悪い! こいつらはただの極悪人だ!」

「いい加減にしろ!」朱良は魔擬でアランを突き飛ばした。屈強なアランの身体がやすやすと吹っ飛ぶ。


「ゴールドフィッシュまで殺したら、お前の家族を殺す。名前を変えようが、顔を変えようが、地の果てまで追い詰めて必ずだ。邪神の半身を探すためにはこいつが必要なんだよ!」


 それは手段を選ばない、今までどおりの朱良の姿だった。ルカはそんな朱良にずっと憧れていたはずなのに、今はそれを見るとなぜか悲しい気分になるだけだった。

 朱良は肩で息をしながら、アランを見下ろす。アランは首を振ると、拳銃をホルスターにしまって立ち上がった。


「こいつが回復したら尋問を始めるからな。それまで手ぇ出すんじゃねえぞ」


 いまだ地に倒れたままのゴールドフィッシュを朱良はつま先で蹴り飛ばした。



 ディランは気を失って横になっているイチの手をずっと握り続けていた。エデンアドンの女性が濡らしたタオルをイチの額に乗せる。ずり落ちそうになったそれを、ディランはウォーロックを脇に抱えたまま直してやった。


 そういえば最初に旅を始めたときは、やはりこの三人だけだった。あれからずいぶんと遠くまで来てしまった。行く先々でイチはたくさんの馬鹿な目にあって、騙され、襲われ、だけどたくさんの人を救ってきた。


 でも、誰もイチを救わなかった。


 二発の銃声が連続して鳴って、ディランは身を震わせた。振り返ると、朱良とかいうあの女とアメリカ人の兵隊が怒鳴り合っている。その下には死体が二つ。


 静かに呼吸を続けているイチの胸に、ディランは顔をうずめた。


 どうして大人たちはああすることしかできないんだろう。どうして争わないと自分の気持ちが伝わらないと思っているのだろう。それを止めようとしてきたイチを、どうして誰も本気で救ってあげようと思わなかったのだろう。

 いや、それはイチも同じだった。力を振るうことでしか、争いを止めることができなかった。


 イチですら、あの悪魔に囚われて、逃げることができなかった。


 ――

 


 ウォーロックの言うとおりだ。もはや誰にも頼らない。朱良にもルカにもアルゴルにも、イチ自身にも。


 一人でやるしかない。

 今までずっとそうしてきたのだ。


 ――俺がイチを救い上げる。


 そこでイチがゆっくりと目を覚ました。ぼんやりとした瞳でディランを見つめる。


「ここは……」

「大丈夫だ」ディランはその手を握り返した。


「もうすぐ帰れるよ」

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