激闘


 歴戦を生き抜いて来たという自負はある。命を落としそうになったことも数えきれないほど。しかし、ヘーゼンは、かつてこれほどの脅威を感じたことはなかった。あの戦天使が、為す術もなく殴られ続けているなんて。


「くっ……消えろ!」


<<栄光よ 信じるべき道よ 浄化せしむ魂よ 天への果てなき希望を示せ>>ーー天蓋への導きアレ・サジタリアス



 ヘーゼンは放った莫大な光は、幾千の死体が一瞬にして浄化した。


「はぁ……はぁ……」


「ククク……随分お疲れのようで」


 アシュの挑発に、思わずヘーゼンは歯を食いしばる。戦天使を封じられた現状では、全体魔法のように、大量の魔力を消費する魔法は得策ではなかった。しかし、見事に使わされた。放てる極大魔法の数は限られている。残りは、間違いなく、あと一撃。自身の全てを込めて、それをアシュにぶつけなければ、勝機はない。今、最強魔法使いの脳内には、この戦いをどう切り抜けるかの一点のみに集中していた。


「……ヘーゼン先生。あなたはこんなにも弱かったですか?」


 倒れ込んで動かなくなった戦天使を尻目に、アシュはニヤリと笑う。


「貴様が化け物だから、そう感じるだけだ」


「化け物? あなたはさっきから、何を言っているんですか?」


「人を喰らう人がいるか。その表現しか、今は思い浮かばんね」


 試しに揺さぶりをかけてみる。すでに、道理は通じぬ状態だが、他に有効な手も思い浮かばない。


「……なにを言っているんですか?」


 一瞬であるが、怪訝な表情をアシュは浮かべる。その微かな変化を、ヘーゼンは逃さなかった。


「気づいていないのか? 貴様のさっきの行動だよ」


 確かに、今のアシュからは多分に違和感を感じる。先ほどまではずっとリアナの心配をしていたのに、今はただ、その破壊衝動のまま暴れるだけ。悪魔融合の影響といえばそれまでかもしれないが……


「さっき……ああ、僕が食事をした時ですね……アレが人だと? アレは、料理です」


 その時、ヘーゼンの脳裏にノイズが走る。この男の言葉がかみ合っていない。揺さぶりをかけてきているのか……それとも……


「アレが料理……お前にはそう見えていたのか?」


「なんでも何も……」


「では匂いは? 味は? お前の衣服はどうなっていた。周りの状況は?」


「……」


「貴様は、脳を半分失ってなお、生きる人間を見たことがあるか? 半身を再生する人間は?」


「……いや、そんなはずはない」


「あるんだよ、貴様はもはや人間じゃない……化け物だからな……」


『ククク……そうさ、僕は人間じゃありませんよ。それが、何か?』


 だ。


 ヘーゼンは確信する。


 間違いなく、アシュの中にもう一人のなにかがいる。


「なにを言っている……僕は人間だ。 『ヘーゼン先生も言ってたじゃないか。君のような人間など存在するか?』 するもなにも……僕は人間だ。 『気づいているだんだろう? 本当は君は知っているはずだ。なぜ、君の服は血で汚れていたか。その料理は酷く生臭かっただろう?』 違う! アレは、食事だ。君が食事だと言ったじゃないか。 『食事だよ。君は化け物だから』 違う! 『違わないよ』 違う違う! 『違わない。美味しそうに食べてたじゃないか』 ……嘘だ。『ククク……なら君はなぜ生きている?』 なぜって…… 『脳を吹き飛ばされて、生きることができるのかい』 ……うるさい。 『君もわかってるんだろう? 簡単な理屈だ』 ……うるさい……喋るな。 『君という人格は狂い、崩壊した。その全てをなにに託した?』 ……うるさい……うるさい……うるさい…… 『粗悪な模造品コピーさ。肉体が崩壊した時点で、君の人格は死に、残留思念だけが液体に残った。異常な再生能力を持ち、脳機能は正常に働くがその魂はすでに死んでいる。と、言うことはその残留思念がーー』 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい……」


 アシュは頭を抑えて発狂したかのように叫ぶ。体内の人格が完全に対立している。そして、アシュでない方の人格が、アシュの人格を乗っ取ろうとしているように、ヘーゼンは感じた。恐らく、その脳情報を改ざんし、アシュ自身にその試験管の薬が万能薬のように感じさせたのだ。狡猾なのは、罪を犯させて最終的にその人格が崩壊するように仕向けている。


「……はぁ……はぁ……そうだ、リアナ。彼女を救わなくては」


 思い出したように……いや、思い出させたのか。どちらにせよ、最終的にアシュの人格を完全崩壊させようと画策している。


「アシュ……安心しろ。私が貴様を殺してやる」


 ヘーゼンは、静かに、答えた。







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