元弟子
その日の夜、ヘーゼン=ハイムの邸宅に一人の男が来訪した。
ローレン=セーズ。
かつての弟子だったが、8年前に独立した。現在では、大陸中に千人以上の弟子を持つ立場になっていた。ヘーゼンと同じく聖闇魔法を扱う魔法使いで、この学術都市ザグレブで二番目の実力の持ち主であると言われている。
「おお、久しぶりだな」
ワインセラーから、一本取り出して2つのグラスに注ぐ。
「ヘーゼン先生……お元気そうで」
「ああ、まあ退屈はしていないよ」
思い出し笑いを浮かべながら、赤ワインを飲み干す。
「どうですか、新弟子は?」
ヘーゼンが、過去最大数の弟子を抱えていた8年前。突然、全ての弟子に破門を言い渡したのは、大陸史に残る事件として教科書にも載った出来事である。
「リアナは……弟子というよりは、娘だな。まあ、当たり前なのかもしれないが。どうにも、厳しくできなくていかん」
「へぇ……あなたの優しいところなど想像できませんが」
「子を持つのがかなり遅かったからな。正直、可愛くて仕方がない。あの子のためなら、確実に死ねる自信がある」
もはや、単なる親バカと変わらないなと、かつて恐怖の対象でしかなかった師匠に苦笑いを浮かべる。
「……変わりましたね。もう一人の子はどうですか?」
「アシュか……あれは、化け物だな」
ヘーゼンは、どことなく楽しげに答える。
「……あなた自身が紛れも無い化け物であるのにですか?」
「ああ。もしかしたら、私以上になる。少なくとも、現時点で闇魔法は私と互角……いや、それ以上かもしれないな」
「……」
ローレンも幼き頃のアシュに出会ったことがある。闇魔法の天分があるのは知っていた。しかし、それでも史上最強魔法使いヘーゼン=ハイムを超える器であるとは信じられない。
「不満か?」
悪戯っぽく、ヘーゼンは元弟子に問いかける。
「……彼は闇に寄り過ぎています。あなたの弟子だったら例外なく誰もがそう思いますよ」
聖闇魔法。ヘーゼンの代名詞とも呼べるその
「まだ、わからんさ。光魔法を扱う方法は、本人が必死に模索している最中だし、仮に闇しか扱えなくても」
「……わかりません。なぜ、そこまで彼のことを? リアナならば、わかる」
彼女もまたヘーゼンの血を色濃く継ぎ、天才である。いずれはヘーゼンレベルの聖闇魔法を扱える日が来るかもしれない。しかし、アシュに至っては、絶対に不可能である。
「……奴がなぜ光魔法を使いたいか知っているか?」
「あなたの跡を継ぎたいからでしょう?」
「いや、そんなことを微塵も感じていないよ。『万物の真理を解き明かすこと』、奴は、私に、そう答えたよ。最強魔法使いになることにも、大陸一の富豪になることにも、全く興味がないそうだ」
「……」
「性格は最低だが、真っ直ぐ。性根は腐っているが、己の理想を死んでも曲げない。そんな男に、私は初めて出会ったよ」
ヘーゼンは嬉しそうに赤ワインをもう一杯飲み干す。
「……ふぅ、わかりました。それでは、私は元弟子としてあきらめて退散するようにしましょう」
ローレンもまた赤ワインを飲み干し、席を立つ。
「なにか用があったんじゃないのか?」
「私の弟子に有望な者がいましてね。かなりあなたに心酔しているようでしたので、彼らと同じく弟子にしてやれたらと思いまして。しかし、今の話を聞く限りだと、叶いそうにありませんので」
「……申し訳ないな」
ローレンには、ヘーゼンの弟子を希望する者の受け皿になってもらっている。8年前、アシュに惚れ込み、全ての弟子を半ば強引に独立させた時、恨まれるのは覚悟の上だったが、ローレンが不平不満を持つ弟子たちを納得させ、現在のところ大きな事件などは起きないでいる。
「あなたの自分勝手さは、身に染みてわかっていますので。それに、こうして来訪すれば、最高のワインをご馳走してくださる。それで、おあいこにしましょうか」
深々とお辞儀をして元弟子は、ヘーゼンの邸宅を跡にした。
*
「……万物の真理を解き明かすこと……か」
ローレンは歩きながら、ふとつぶやく。いつからだろうか。目的がヘーゼン=ハイムという魔法使いになっていたのは。その具体的な目標が高すぎて、目指すことで満足してしまっていた。いったい、いつから魔法に純粋な興味を持てなくなっていたのだろうか。
「……ふぅ。私も考えを改めねばいけないようだ」
ヘーゼン=ハイムになれるような器を探して、弟子を鍛えてきたこれまでを否定する。それは、半生以上の生き方を否定する行為だけれど。気づいてしまったのなら、気づかないふりをして生きていくことはできない。恐らく、こんな気分だったのだろうと、師匠であるヘーゼンを思い浮かべながら、ローレンは一人で笑った。
自分の邸宅の門の前に、一人の少年が立っていた。
「ど、どうでした? ヘーゼン先生は僕のことをなにか言っておられましたか? 今日の僕の魔法についてなにか……」
「クリスト……」
目を血走らせて。なにか縋るような瞳で訴えかける少年に同情が止まらない。こんなに追い詰められた彼を見たことはなく、情に脆いローレンは、思わず直談判をしに行ってしまった。
「ヘーゼン先生は見てくださっていたはずです。あの卑怯者が……アシュが悪魔召喚など行わなかったら、彼は僕に負けていた筈です。いや、絶対に僕が勝っていて、ヘーゼン先生は僕を後継者と認めてーー」
「あきらめなさい」
「……はっ?」
「君にはヘーゼン先生の跡を継ぐことはできない。自分の天分を認めることも重要なことだ。それに、それ自体が本当に大切なことなのかもね」
「ローレン先生。なにを……おっしゃっているんです?」
「……ふぅ。今日はもう帰りなさい。また、明日にしよう」
彼の肩を叩き、ため息をついて自室へ戻るローレン。
「……」
バキバキバキバキッツ……バキバキバキバキッツ……
その音は、静寂な夜の中で、低く響き渡っていた。
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