しかし、残された手段はもうほとんど残されていない。戦天使はすでに墜え、天界へと消えた。悪魔も呼べず、精霊を召喚するだけの魔力も無駄にできない。そんな状況の中で、ヘーゼンは一つの賭けに打って出る。


<<絶対零度の 鋼鉄よ 木々を生み出す大地よ――

 

 果てしないほどの魔力が、ヘーゼンの元に集まる。


 水、金、木、土。各々の属性を持って超魔力を込めて。一つ一つが最強クラスの威力になるほどの魔法を、その糸を渡るような繊細さを持って。息を吐くことすらできないほどの緊張感を持って。


『ククク……此の期に及んで、七属性魔法ですか。ガッカリしましたよ、ヘーゼン先生。まるで、僕が動かないとでも思っているのですか?』


 七属性魔法。


 自然界に存在する5属性魔法に加え、光と闇、計七属性の出力を最大限まで上げて放つヘーゼン=ハイムの最強秘術である。一度放てば、その絶大な威力は類を見ないが、その溜めにはかなりの時間を要する。通常は、近距離攻撃を受けぬため護衛をつけるが、すでに護衛のために召喚できる魔力は使えない。


「アシュが貴様を止めるさ」


 ヘーゼンが不敵に答える。悪魔と融合している状態のアシュでは、この一瞬で殺される可能性もある。それをしないということは、絶対的強者たる油断。アシュを乗っ取ろうとしている人格の驕りに、心の中で安堵の表情を浮かべる。


『ククク……バカな。なぜ? アシュは、リアナを救いたいんですよ?』


 アシュの人格と同化しかけているせいだろうか。不明なことに関しては興味を持ち、質問してくる。その性質を利用して、ヘーゼンは詠唱をしながら話を続ける。


「貴様のような化け物に住まわれるぐらいなら、死を選ぶさ……なあ、アシュ」


『はぁ……やはりあなたはなにもわかっていない。アシュが彼女の死を望む? あり得ませんね。言っておきますが、僕は彼の手助けをしているに過ぎない。彼が魔力を必要としたから、僕は彼の視界をいじった。彼が傷の再生を望めば、魅悪魔を召喚して融合させた。彼の人格がある限り、僕は彼の意思に反することはできない』


「いや……わかっていないのは、お前だよ」


 人間というものをお前は全くわかっていない。


 ――炎よ限界を超え灼熱すら焼き尽くし――


 火までの属性を唱えたところで、アシュがほくそ笑む。


ブラフですか。滑稽ですね。最後の最後で頼りにするのがそんなミエミエの小細工なんて』


ブラフなどじゃないさ」


 人間はもっと狡猾で。


 人間はもっと卑怯だ。


『やはり、時間稼ぎですか……つまらない……もう終わりにしましょうか』


 アシュが、ヘーゼンに最後の一撃を食らわせようと構えた時、


 ヘーゼンは、一言、言い放った。


 一言。


 たった、一言。


 人間の身勝手さを。


 人間の非道さを。


 人間の残酷さを。


 人間の業の深さを表す一言を。


 人格アシュを壊す一言を。


「アシュ……リアナは、


「……えっ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ 『お、おい落ち着け!』 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ 『くっ……言うことを……バカな……』 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」


 その感情の爆発に、行動不能に陥るアシュ。


 思考の濁流が別人格に流入し、身体機能を阻害する。


 人格が完全に入れ替わった時に、アシュの人格が酷く弱っていると感じた。それは、別人格の意識が強くなっていくと同時に、アシュの精神こころに弱点ができた。ヘーゼンはそれを一片の迷いもなく、壊しにかかる。


 ――漆黒よ 果てなき闇よ 深淵の魂よ――


 闇魔法の詠唱を開始した時。ヘーゼンの身体が蒸発を始める。熱ではない、なんらかによって。その存在を昇華するように。全てが無に溶け込むように。


『はぁ……はぁ……クソッ……このタイミングで壊しにかかるとは』 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。 『しかし、これを制御すれば……』 嘘だ嘘だ……嘘だ 『もう、この身体は僕のものだ』 嘘だ……そ……だ……』


 ――闇獣よ その光印をもって――


 聖属性の続きの詠唱が終わる前に。


 は、不気味な笑顔を浮かべた。


「ククク……残念だったな、ヘーゼン。アシュ=ダールは、完全に消滅したぞ。もう、この身体は我のものだ」


 その口調には禍々しさと傲慢さが残り、先ほどまでとは全く違った様子だった。


「……やはり、わかっていない」


 ヘーゼンは笑う。


 それが、わかっていないから、お前は私に敗北する。


「ククククク……もう、アシュを呼んでも意味はないぞ。奴はもう消滅した。後は、貴様を始末するだけだ」


「アシュ……」


「無駄だと言うのに……人間は、やはり愚かだーー」


「さっきのは。リアナは


「はっ……なにを言うかと思えばーー 『リアナ……』 なっ! バカな 『リアナが生きてる……生きてる……生きてる……』 貴様は……消滅したはずじゃ」


 もがく様子を眺めながら、ヘーゼンはつぶやく。


「……貴様は……アシュ=ダールをわかっていなかった」


 そのゴキブリのようなしぶとさを。


 貴様の踏みにじった純粋な想いの強さを。


 ――万物を滅する一撃を>>ーー神羅万象の一撃ゼール・バ・ドー


「……くっ……避け…… 『リアナが……生きてる……早く助けな……』 黙れ……このーーぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 放たれた魔法は、周囲の全ての存在をかき消しながら、


 音も、


 衝撃も、


 光も、


 闇もない、


「……」


 ーー人間は勝手だとヘーゼンは思う。


 アシュを全力で殺しにかかりながら、


 その放たれた魔法に、


 自分勝手な願いを。


 祈るように、つぶやいた。


「アシュ……戻ってこい」


 その魔法は、不可思議な色を放ちながら直撃した。


 

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