化け物
闇でも光でもない。しかし、確かに、視界は消えた。誰もがなにも見えない。完全なる無がこのあたり一帯を支配する。
やがて、視界が晴れた時、
「ぜぇ……ぜえ……」
ヘーゼンは空を仰ぎ、倒れこんだ。もう、魔力は一片たりとも残されていない。これで、消滅していなければ、もうやれることはない。
「……はぁ……はぁ……」
その息ぎれ音を聞いた時、再び、静かに立ち上がる。すでに、対抗し得る力はない。しかし、諦めるわけにはいかない。
目の前のアシュは皮膚がただれ、ツノが折れその眼球も崩れた状態だった。肩から右腕までが無く、血が流れ出ている。
「はぁ……はぁ……ヘーゼン……先生」
「アシュ……か?」
「……声は聞こえなくなりました」
「そうか……」
別のなにかが、ほぼアシュの身体を支配している状態だった。ダメージを受けているのは、むしろそちらの方かもしれない。完全に消滅させられたのか……それとも、一時的なものなのか……
「ヘーゼン先生……僕は行きます」
「私が……それを許すと思うか?」
もはや、なんの力すら残っていない。しかし、例え死んでもリアナの場所を教えない。
「……」
ドスッ。
腹に一発。気絶させるほどの強さを持って、ヘーゼンを殴る。
「くっ……」
失われていく意識の中で、ヘーゼンはアシュの言葉を聞く。
「すいません……僕は……彼女が……化け物でも……生きていて欲しいんです」
「この……バカ……弟子……が……」
崩れ落ちる前に放った最後の言葉は、今まで一番多くアシュに言った言葉だった。
「……」
アシュは、少しの間、その場に立ち尽くしていたが、やがて、静かに詠唱を始める。
<<その闇とともに 悪魔ベルセリウスを 召せ>>
召喚された深悪魔を、その漆黒の瞳で見つめる。ヘーゼンは知らない。ベルセリウスの心を読む能力『
「さあ、リアナの場所を聞き出してくれ」
アシュの表情に、迷いはなかった。
*
馬車がすでに宿に到着し、リアナはその宿のベッドにいた。
「……まったく、なにをやってるんだヘーゼン先生は……アシュは……」
ジルは、苛立ちながらベッドの周りをぐるぐる回る。
「……ジル……ありがとう。私は……あなたと親友になれて……よかった」
すでに、汗は引いている。動機も治り、一見すれば完治したようなこの状態が、死へのカウントダウン。そんな、皮肉のような状況に、ジルは神を呪い殺したくなった。
「そんな……やめて……よ」
リアナは涙一つ流していない。一番辛いはずの彼女は、最後まで泣かなかった。それなのに、自分が泣いてはいけない。泣く資格があるわけない、何度も何度も心に言い聞かせる。
「本当よ? 短い間だけど……私は……」
「違う……やめてよ……それじゃあ……まるで……」
最後の言葉みたいじゃないか。
それを聞くべきは自分ではない。
「ジル……」
「私……探してくる……」
例え、アシュを引きずってでも連れてくる。もう、有無は言わせない。そう強く決心をして、ジルは宿屋のドアを開けーー
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ば、化け物!」
目の前に立っていたアシュは、そうしか言いようがなかった。その肌が黒く血の赤と混じり合い、皮膚も修復しきれずただれたまま、ツノが折れその眼球も崩れた状態。肩から右腕までが無く、血が流れ出て、その髪だけが不気味に白く染まっている。
「……ジル……僕は……」
スッと手を伸ばすが、彼女はそれから逃れるように壁を這いつくばる。
「ちっ……近づかないで……」
怯えながら、そのまま宿の外を出て全力で逃げだす。そこには、リアナを取り残した罪悪感も、申し訳なさも存在しなかった。ただ、生きたいという根源的な本能のまま、ジルはその場を走り去って行った。
アシュは、ただ、黙って彼女を見送った。
そして、
「化け物……か……それでも、いい」
つぶやき、足を進める。
それでも、生きてさえいれば。
だって、死んだら終わりだ。
約束した。
約束の約束もした。
いつまでも。
いつまでも君と共に。
僕はそうやって君と……生きたいから。
部屋の前で不意に足が止まり、先ほどのジルの言葉が自分の胸を突き刺す。
「……関係ない」
自分に何度も言い聞かせる。この姿を見て、怯えられても、怖がられても。無理矢理薬を飲ませればいい。嫌われても、憎まれても……生きていてさえくれれば……それで……
震える手でドアを開けた。
「リアナ……」
「はぁ……はぁ……アシュ……」
「……」
「……来てくれた……のね」
「……」
「嬉しい……早く……来て……」
「……随分、待たせた……ね」
アシュは、静かに彼女を、抱き寄せた。
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