狂気
それから、6ヶ月が経過した。深夜にヘーゼンが邸宅に戻り、リアナの部屋に入ると、本を撒き散らして泣きじゃくっていた。
「ど、どうしたリアナ?」
「……ヒック……ヒック……お父さん、私……アシュに会いたい」
「……」
「なんとか会えない……かな? どうしても……駄目かな?」
肩を震わせながら、ヘーゼンの胸に顔を埋める。
「……」
「私のために頑張ってるんだもん。それなのに……無理よね……でも、会いたい。会いたい。無理よね……でも……会いたい……もう、時間が……でも……」
どうやら、悪夢を見たらしい。軽く混乱しているようだった。
「……すまない、駄目なんだ。あいつは……アシュは、今……」
「……」
やがて、顔をあげて、リアナは天使のような微笑みを見せた。
「なーんて。嘘嘘……ビックリした? お父さんを……アシュを信じて待たなきゃ」
「……すまない」
「謝らないで。お父さんとアシュのおかげで、私も未来を見られる。希望を捨てないで生きていける。一人だけど……私は一人じゃないって……そう思える」
「……っ」
泣いてはいけない。ここで、涙を流すわけにはいかない。自分が泣けば……まるで、悲しいようだ。娘は死なない。死なないのだから。
何度も何度も自分に言い聞かせながら、両手の力を抜き、リアナから手を離した。
「行ってくる……」
「……うん」
睡眠すら取らずに、再びヘーゼンは禁忌の館に戻る。
その道中で、奇妙な一団に出会う。数十台の馬車が立ち並び、真っ直ぐに館を目指している。その御者は、虚ろな瞳を浮かべ正気はない……いや、と言うより彼らは生きてすらいなかった。おかしな者たちだとは思いながらも、今は娘の危機でそれどころではない。彼らを無視して、足を早めて、その馬車を追い抜いた……
「……」
が、どうにも嫌な予感が消えない。
そこにある底知れぬ狂気が。
凶々しい御者の
どうしても脳裏から離れずに、気がつけば、一度追い越した馬車に向かって叫んでいた。
「
その声に反応し、死体たちは一斉に止まる。
やがて。
先頭の馬車の中から、1人の男が出てくる。
「先生……これは偶然ですね」
数ヶ月ぶりに会ったその姿に、ヘーゼンは息を呑む。死体たちのように、生気らしきものが一切感じられない表情。身体も、今にも栄養失調で倒れそうなほど衰弱しきっており、全く別人のようだった。ただ、その漆黒の瞳だけが、怪しく、不気味な光を放っている。
「……」
立ちはだかるアシュを素通りして、ヘーゼンが馬車の中を確認する。
「面白いものは、なにもありませんよ」
「……」
思わず全身から悪寒が巡る。
眼前には、
積み上げられた生きた人間の山。
全員魔法をかけられているのか、微動だにせず、眠っている。
「これは……なんだ?」
「ちぇ……見つかっちゃったな」
悪戯がバレた子どもかのように、アシュが残念そうな声をあげる。
「これはなんなのかと聞いている!」
ヘーゼンの声が怒りで弾ける。
「……
まるで悪びれることもなく、こともなげに答える。
「なん……だとっ!?」
「彼らは、自らの選択で、人を殺す選択をしました。どうせ、殺しあうんだから。殺す覚悟があるってことは、死ぬ覚悟を持たなければいけない。と言うことは、仮に、僕が彼らを
「……なにを言っている?」
ヘーゼンから巻き起こる鳥肌が止まらない。間違いなく、狂っている。アシュ=ダールは、狂っている。
「はぁ、ヘーゼン先生……まだ、その位置ですか?」
「……なん……だとっ」
「あなたが導いてくれた道なのに、僕はあなたを通り越してしまったようです。いずれ、あなたもここまでくれば分かりますよ。早く来てください」
闇魔法使いは低く笑う。
その笑顔は、あまりにも禍々しく、どこまでも不吉だった。
「少なくとも、僕の邪魔はしないでください。あと、少しなんです。これから強制的に彼らを老化させ、神導病を引き起こさせて、その過程を見ます。千人に一人しかいないから、三人はいればと……こればかりは神に願うばかりですがね……クククク……」
「……」
止めなければいけないことはわかっていた。これが、どれだけ罪深いことなのかと。
そもそも、アシュをこの道に導くこと自体が早すぎた。どれだけ優秀な魔法使いでも、その精神は若ければ未熟だ。そんな当たり前のことすら考えなかった己への果てない後悔がつきまとう。いずれ、ぶち当たる倫理観の問題も、悩むこと自体が非常に重要なプロセスだ。
その一切を無視し、素通りしてきた結果、アシュ=ダールという人間が壊れてしまった。全てが……全てが早すぎた……自分のせいで……
「……」
しかし、声は出なかった。どうしても、その声が。今、止めてしまえば、娘の命を救える方法は、ない。確実にこの天才が、神導病解明の一番近い位置にいる……
たとえ、それが、許されざる行為だとしても。
「……わかっていただけたようで嬉しいです。では」
アシュは無表情で振り返り、再び馬車の中に入った。
その後、馬車が進んでいく様子をヘーゼンはただ、眺めることしかできなかった。
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