病気
それは悲劇と呼べるのだろうか。一千人に一人発症するといわれる病気。予防法も、治療法もなく、発症する原因すら解明できていない。1つの街の人口が、数万人だとすれば、毎年数人の死者が出る。珍しい出来事ではない。すでに、日常と同化しているこの病気を、『運が悪かった』としか言いようがないこの病気を、吐血してから例外なく一年ほどであっさりと死んでしまうこの病気を、人々は『神導病』と呼んだ。
「……神導病ですな。お悔やみ申し上げます」
「……」
その言葉を聞くのは、もう5回目だった。すでに、大陸有数の高名さを誇る4人の魔法医にも同じことを、同じ言い回しで宣告されている。ヘーゼンもアシュも一言も発さない。聞こえるのはベッドで眠っているリアナの寝息と時計の針音。彼女の部屋は、これ以上ないほど静寂に包まれていた。
「ほかに……貴様らは……ほかになにか言えないのか?」
やがて、ヘーゼンが、震える手で拳を握り、思いきり膝に押さえつけながら口を開いた。
「残念ですが」
しかし、その魔法医は淡々としたものだった。毎年、数百人の患者がこの病気に冒される。いちいち、心を揺らしてはいられないというのが、偽らざる彼らの想いだった。
「……貴様らは……そうやって……」
普段から感情を露わにしない男は、明らかな怒りを浮かべていた。今にも殴りかかりそうな勢いで、胸ぐらを掴み、その鋭い瞳で目一杯凄む。しかし、その魔法医は全く動じず、まっすぐにヘーゼンの瞳を見返す。
「ならば、どうしろと? あなただって、身をもってわかっているはずだ。この神導病が不治の病いであることは」
「……っ」
魔法医の言っていることは正論だ。ヘーゼンのみならず、魔法使いの研究者は全員、神導病の治療方法の発見を夢見て、そして破れていく。アシュもまた、その内の一人だった。発症する患者も、時期も、性別も、全てが無作為。そこに、規則性はまったく存在せず、その原因すらも掴めてはいない。
「愛する者との時間を大切になさってください」
決まりきった台本を読み上げるような口調を吐き、その魔法医は退出して行った。
「……認めない。絶対に認めない」
取り乱したように、血走った目で、ヘーゼンはつぶやく。これだけ感情を露わにした彼をいまだかつて見たことのないアシュだったが、そんな姿も気にならないほど自身も混乱していた。
どうする……どうすればいい……グルグルグルグル。頭の中にその言葉が巡り巡る。
その時、
「……んん」
リアナの柔らかい声が響く。魔法で眠らせていたが、その効力が解けてきた。その解決策はおろか、彼女にかける言葉の一つも見つからないまま、二人は彼女の前に立つ。
「アシュ……娘には……神導病のことは伏せろ」
「……はい」
それでも、なにかは話さなければいけない。そんな状況で、できることは隠すことだけ。答えを先延ばしにするだけの選択肢しか、彼らにはできなかった。
やがて、リアナが目を開き、アシュとヘーゼンを見て少し照れ臭そうに笑う。
「なんか……ご迷惑おかけしたみたいで」
「……なにを言っている。親子だぞ」
極力取り乱さぬよう、ヘーゼンは優しい声で話しかける。
「教室で血を吐いたところまでは覚えてるんだけど……ねえ、私の病気ってーー「疲労とストレスから胃が弱っているようだ。恐らく、我が弟子であるアシュ君との生活によるものと思って間違いない」
「いえ、いまだ自分勝手に奔放に振る舞いまくっている父親に対する心労ではないですかね?」
ここぞとばかりに、軽口を叩き合うヘーゼンとアシュ。
「……フフフ、私は両方だと思いますけど」
優しく笑う表情を見ながら、少しだけ胸を撫でおろす。
「お父さん、学校には、いつぐらいに行けるようになるのかな?」
「そう……だな。まずは、安静にして、それから考えようか」
未来を考えるたび、アシュの心がズキズキと痛む。それは、未だかつて感じたことのないほどの不安だった。
「それまでは……不本意だが、僕がノートを取っておいてあげよう」
「フフ……ありがと」
なんとか絞り出した一言に、やはり笑ってくれる彼女に。お礼なんて言われる筋合いなどないと、自分の無力を呪った。太陽のように、自分を照らし続けてくれた彼女に、なにもすることができない。それなのに、お礼なんて。
「ねえ、お父さん?」
「うん?」
「一つ聞いていい?」
「ああ」
ヘーゼンは娘の手を握りながら、頷く。
「私……神導病なのよね?」
・・・
静寂が、部屋一面を、木霊した。
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