慟哭

            *


「はぁ……はぁ……はぁ……くそっ!」


 宿から数キロ離れた先、ヘーゼンが息をきらしながら走っていた。数時間前に意識を回復するや否や、全力でここまできた。薄々、全てが手遅れになっていることは感じながらも、他に選べる選択肢もない。ただ、今はなにも考えずに、魔力も体力もロクに残されていない身体を痛めつけるように動かしていた。


 そして。


 遠くから、彼の向かい側で、小さな人影が見えた。


 やがて、それが徐々に近づいてくる。


 ……白髪……長身の男……両手には……人らしきものを抱えながら……


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ヘーゼンは走るのをやめ、歩き始める。その全てが終わったことを確信し、それでも目の前の現実と対峙することを恐るかのように……ゆっくり……ゆっくりと。その男に抱えられた者が別の誰かであればいいと、妄想めいた願望を浮かべながら。


 しかし。


 そのボヤけた輪郭が明らかになっていくにつれ、それが叶わぬ願いであることを思い知らされる。抱き抱えられている者が、自身の全てを費やしながらも、守れなかった者であること。彼の人生の中で最愛の者であること。


「はぁ……はぁ……」


 そのまま、足を止めるが、アシュは無表情のままこちらに向かって歩いてくる。


「……リアナは……死んだのか?」


「……」


 その問いに。


 アシュは黙って、彼女をゆっくり、地面に置いた。


「……寝ているみたいだな」


 膝を地べたに崩し、放心状態で、ヘーゼンはつぶやく。彼女の表情は、穏やかで……心地よさ気で……まるで子守唄でも聞いているかのようで……今にも……寝息が聞こえてきそうで……


 やがて、空から雨が降り、リアナの頬を濡らす。ヘーゼンは震える手で、それを拭う。その体温の冷たさに……そして……やはり表情を変えぬ彼女に。


「……ク……うううううううううう……うううううううっ」


 ヘーゼンの嗚咽が静かに、響く。


「……」


「ううううっ……私は……お前に、死なせてやれと……化け物になるぐらいなら……死なせてやれと……」


「……」


「でも……今……化け物でも……生きてくれればと……お前に……なぜ……その薬を飲ませなかったのかと……私は……私は……ううううううううううううううううっ」


「……」


 アシュは、そのまま立ち上がり、泣きくずおれているヘーゼンを通り過ぎ、歩きだした。その表情からは、なんの感情も、感じられない。


「……私は、私を許さない。そして……お前を……」


 その言葉を、最後まで聞くことはなく、アシュはそのまま歩き去って行った。


                *


 誰もいない森を。どこかも分からない草原を。目的あてもない荒野を。アシュは歩き続けた。食事を摂ることもなく、睡眠をすることもなく、立ち止まることもなく、何日も何日も……


 しかし、死ぬことはなかった。


 どれだけ食事をしなくても。


 どれだけ水を飲まなくても。


 その身体は、彼をただ、生かし続けた。


 やがて、足を引きづりながら歩いている時、石ころにつまずいた。結構な勢いで転び、ポケットの中から、一枚の手紙が。リアナからの手紙が地面に落ちた。


「……」


 アシュは、その便箋を綺麗に、ゆっくりと開けた。


 それは、古代ジルロフ語で書かれていた。


            *


 太陽を見上げ 大地の実りを歌おう 季節が変わり みなの心が 老いとともに移ろっても 青い空の下で イルヴァムでの再会を祝そう 死を前にし 手の温もりを感じ 瑠璃色の涙を見つめながら 


            *


「……」




















「……う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ……う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛……う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛……う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛」











 その慟哭は、いつまでも、荒野に響き渡っていた。


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