エピローグ 真実のテロリスト

 真実の星条旗を名乗るテロリスト達が全員捕えられ、月一族と星一族を巻き込んだ騒動は一気に終息した。


 そして、その翌日。強い日差しが照りつける午後。

 

 アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.にある大統領官邸ホワイトハウス。その執務室オーヴァルオフィスで、濃紺のスーツに赤いネクタイを締め、眉間に深い皺を寄せて書類にサインをしている男が、現大統領のジョン・クラーケン。赤い髪に青い目の白人。そして、木製の大きなテーブルを挟んで立っているのが、大統領首席補佐官のメアリー・ライト。パステルピンクのスカートスーツを着ていて、ブロンドの髪で、碧眼。次期大統領候補とも言われているやり手である。

「計画は思うように進まなかったようだが、それでも成功と言えるようだな」

 クラーケンは書類をメアリーに渡しながら言った。若干苦笑い気味の大統領に微笑み返したメアリーは、

「はい。日本の忍者達を一掃できなかったのは心残りですが、彼等も我々の存在に気づいたでしょうから、もうこれ以上事を荒立てたり、追及したりする事はないでしょう」

 耳にかかっていた後れ髪をスッと後ろに撫で付けた。クラーケンはそれを愛おしそうに見つめながら、

「次の番を君に引き継げる道筋が付けられてホッとしているよ」

 メアリーも目を細めてクラーケンを見つめ、

「ありがとうございます、大統領」

 二人は互いに配偶者がいる身であるが、水面下で離婚を進めている。そして、メアリーが次期大統領になり、政局が落ち着きを見せたところで、再婚するつもりだ。当然の事ながら、政府関係者には公然の秘密で、主だったメディアの記者達も知っているが、公表はしていない。

「メンバー全員が日本の警察に逮捕されたようだが、そこから漏れる心配はないのか?」

 クラーケンは立ち上がってメアリーの手を取り、抱き寄せた。メアリーはやんわりとその手をあしらって、

「ご心配なく。メンバーには何も伝えておりません。彼等のうち、ラファエルと名乗っていた中国系の男は、自分達の依頼人クライアントは軍需産業の最高経営責任者C E Oだと思っていますから」

「なるほど」

 クラーケンはメアリーに近づき、キスをしようと顔を寄せた。メアリーは両手でクラーケンの肩を掴んで押し止めて、

「忍者の仲間と思われる日本の警察官僚には、真実めかした情報を中央情報局C I Aを通じて意図的に漏洩させました。そちらはそれを信用しているでしょう」

 尚も迫って来る大統領をきっと睨みつけて後退りさせた。

「この一件で面目を失った中央情報局と軍は発言権を失い、その後ろで暗躍しようとしていた老練な野党の議員達も大人しくなりましょう。一気に片がつきましたよ」 

 メアリーが距離を取ろうとするので、クラーケンは肩を竦めて、

「そのようだ。CIAは自分達の組織の者が国家転覆を画策していたのを見抜けず、軍はそいつらにいいように兵器を盗み出され、挙げ句、日本との共同事業として進めていた離島の研究所まで横取りされていたのだから、何も言えなくなるね」

 メアリーはフッと笑って、

「そして、この一件で日本政府にも大きな貸しを作れました。与党の幹事長がテロリストと共謀しようとしていた事実をこちらが知っている事をちらつかせれば、言いたい事も言えなくなりますし」

 クラーケンは大笑いをして、

「いい事尽くめだな。君の政権もこれで盤石になる」

 メアリーは取り敢えず愛想笑いをしておくかと考え、満面の笑みで応じた。

(大統領に就任したら、貴方には入院していただきますからね、ジョン)

 彼女がもっと上をいこうとしている事に大統領は気づいていない。

「そうでもないみたいよ」

 どこからか、発音の悪い女の英語が聞こえて来たので、二人はギョッとして顔を見合わせ、周囲を見渡した。

「今の声は何だ? 侵入者か?」

 クラーケンは慌てて机の上の電話に手を伸ばし、受話器を取ったが、何の音もしない。

「無駄よ。私達も抜かりはないんだから」

 女の声は続けた。クラーケンは忌ま忌ましそうに受話器を叩きつけると、携帯を取り出した。

「だから、抜かりはないって言ってるでしょ? バカなの、あんたは?」

 女の声が哀れんだように言ったので、大統領は圏外になっている携帯を机に放った。メアリーはハッと我に返り、執務室のドアに走った。ところが、何故かドアはノブは回るが、開かなかった。

「あんたもバカなの、補佐官? どこにも逃げられないし、誰も来る事はないわよ」

 もう一度女の声がし、不意に何かが天井から舞い降りた。メアリーはびっくりして尻餅を突き、クラーケンは惨めにも椅子に躓いて膝を強かに打って転んだ。

「初めまして、大統領閣下、そして、首席補佐官。私は水無月葵。あなた達がもうこれ以上事を荒立てる事もないし、追及もしないと思っていた日本の忍者よ」

 そう言ったのは、真っ白なスカートスーツを着込んだ葵だった。その隣には、真っ黒なスカートスーツを着ている星薫が無表情に立っている。

「に、忍者……?」

 あられもない格好で尻餅を突いていたメアリーは、それだけ呟いた。

「私は星一族の星薫。お前達の私欲のせいで、多くの仲間が命を落とした礼をしに来た」

 薫はクラーケンとメアリーを順番に睨め付けて言った。その声の低さに二人は震え上がった。

(怖いよ、薫)

 葵は隣で苦笑いした。

「な、何が望みだ?」

 机にしがみつきながら立ち上がったクラーケンが尋ねた。葵はフンと鼻で笑って、

「一連の騒動の黒幕があんた達だと日米の全てのメディアに公表しなさい。そして、今日で辞職して」

 クラーケンはあまりの要求に声もない。ところがメアリーは立ち上がると、

「冗談じゃないわ。そんな要求は呑めない。少なくとも、私は何の関わりもないので、辞職なんてしないわよ!」

 次の瞬間、薫がメアリーに近づき、右手で彼女の首を掴むと、

「ならば、今ここで生きる事をやめにするか?」

 口を耳元に近づけ、ドスの利いた声で告げた。メアリーの顔が途端に青ざめ、膝が震え出した。クラーケンは葵と薫の注意がメアリーに向いているのを見て、机の引き出しの中に隠されている非常用のボタンを押した。ところが、何も起こらない。

「わからない人ね。抜かりはないって何度言わせるのよ、ボンクラ大統領! あんた達はどことも繋がれないのよ」

 葵は一瞬にしてクラーケンの目の前に移動し、彼のネクタイを締め上げた。

「ぐは、ごほ!」

 気道が狭まったせいで、クラーケンは噎せ返った。

「どうする?」

 薫は目を細めてメアリーを見た。メアリーは泣きそうな顔になり、クラーケンを見た。クラーケンは葵に解放され、呼吸を整えつつ、メアリーを見た。

「メディアへの公表は勘弁してくれ。そんな事をしたら、合衆国政府は崩壊してしまう」

 クラーケンも泣きそうな顔で葵に懇願した。

「政府が崩壊しようが、お前達が離婚裁判で不利になろうが、そんな事は私には関係ない。お前達にできないというのであれば、先程の会話をインターネットで全世界に配信するだけだ」

 薫はメアリーに更に顔を近づけて目を細めた。メアリーは呼吸が停止しそうなくらい驚愕していた。

「録音していたのか……?」

 クラーケンの顔も土色に変わった。葵はニヤリとして、

「ええ。感度良好だったわよ」

 クラーケンはその場にヘナヘナとしゃがみ込んでしまった。メアリーはドスンとまた尻餅を突いてしまった。

「どうしても公表して欲しくないのであれば、せめて全責任を取って、辞職しなさい。それすらも拒否するのであれば、ネット配信を今すぐするわよ」

 葵はクラーケンの前に仁王立ちして告げた。もうこれ以上の譲歩はないという事である。

「わかった……」

 クラーケンはがっくりと項垂れて応じた。葵と薫が同時にメアリーを見た。彼女は不満そうな顔をしていたが、薫がスーツの襟を掴んで引き上げると、

「わかったわ……。辞職します……」

 涙声で応じた。葵と薫は顔を見合わせ、フッと笑った。


「今頃、大統領と補佐官は地獄を見ているだろうな」

 半壊した水無月探偵事務所の外廊下で篠原護が言うと、神無月美咲が、

「そうですね。所長だけではなく、薫さんも一緒ですからね」

 篠原は肩を竦めて、

「どこまでもシラを切るようだったら、姉さんが手術で助けたミカエルと、俺達の奴隷と化したラファエルが何でも証言してくれるから、どう頑張ってもあいつらに勝機はないけどな」

「そうですね」

 美咲は苦笑いして応じた。すると、事務所のフロアから出て来た如月茜が、

「もう、お二人共、油売ってないで、片付けをしてくださいよ!」

 その後ろから姿を見せた薫の妹の篝も、

「そうだ。そもそも、無関係な私達が手伝っているんだぞ?」

 更にその妹の鑑も顔を出し、

「そうだ。月一族の者達は、ちょっと目を離すとサボるようだな」

 篠原と美咲は顔を見合わせて笑い、三人と一緒にフロアに入った。


「早かったですね」

 ホワイトハウスの外で待っていた大原統が葵に声をかけた。薫は指名手配犯なので、すでに姿を消している。葵はそんな後ろめたさを隠すために愛想笑いをして、

「そう? もっと早く片がつくって思ったんだけどね」

「ははは……」

 大原は葵の度胸のよさに笑うしかなかった。侵入する時はどこから入ったかわからなかったのだが、戻って来たのは正面からだったのだ。

(確かに水無月さんには怖いものはないみたいだな)

 葵は大統領官邸を振り返って、

「今日のトップニュースね。大統領と首席補佐官の辞任。理由は一切不明。わかる人にはわかる辞任てとこかしら?」

 あまり大々的にすると世界中が混乱するから、なるべくコンパクトに 治めてくれと元進歩党最高顧問の岩戸老人に言われていた葵は、最初から落としどころを決めていたのだ。

「用事も済んだ事だし、何か美味しいものでも食べに行く、大原君?」

 葵が微笑んで言うと、大原は顔を引きつらせて、

「篠原さんにどやされますから、遠慮しておきます」

「ま、私も茜に怨まれると面倒臭いから、日本に帰ったら、みんなで食事に行きましょうか? 護の奢りで」

 葵は嬉しそうに言ったが、大原は笑えなかった。

(可哀想な篠原さん……)

 

 空は雲一つない晴天である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風の葵 テロリストの真実 神村律子 @rittannbakkonn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ