第三十二章 真の黒幕の影
葵の拳骨で涙目になりながらも、篠原はモバイルのキーボードを叩いた。
「早くしなさいよ。あんたはともかく、美咲を巻き添えにはしたくないから」
葵は腕組みをして篠原を煽った。篠原は苦笑いをして、
「そんな憎まれ口を言うけどさ、ホントは俺の事、好きなのはわかってるんだから、無理するなよ、葵」
また余計な事を言い、葵に殴られた。美咲は篠原に対して、哀れみよりも呆れてしまった。その時、周囲の壁全体が揺れる程の爆発が起こった。天井がひび割れ、破片が降り注いで来た。床にも亀裂が走り、壁のあちこちが裂けている。
「急いでよ!」
葵は更に篠原を急かした。彼女は自分達の危機よりも、敵の逃亡を危惧していた。
「よし、解除!」
篠原が嬉しそうに言い、ピーッという音と共に壁が半回転し、抜け道が現れた。葵達は目配せし合い、その向こうへと足を踏み入れた。
「ここで正解なのか、美咲ちゃん?」
篠原がぼやくのは無理もなかった。抜け道のはずのそれは、遥か先から押し寄せて来ている黒煙が充満していたからだ。
「ラファエルとか言うヤロウが、置き土産をしていったって事か?」
篠原は舌打ちし、葵を見た。葵は忍び装束の袂からガスマスクを取り出し、
「進むしかないでしょ? 戻っても同じよ」
篠原もスーツの内ポケットからガスマスクを取り出しながら、
「だな」
同じくガスマスクを取り出した美咲と共に、走り出した。
同じ頃、燃え盛る炎をかい潜り、ミカエルは真っ黒になった顔を擦りながら、まさに葵達が来る方へと走っていた。
(ラファエルめ、この命が尽きようとも、お前だけは必ず道連れにしてやるぞ!)
ミカエルは血走った眼を見開き、煙をものともせずに走り続けた。
「うわあ!」
その時、突如として壁が爆風で吹き飛び、ミカエルはその煽りを食らって反対側の壁に叩きつけられた。
「くう……」
思ってもいない事が起こったために防御もできなかった彼は、重傷を負ってしまった。
「くそう……」
壁に叩きつけられた時に右肩を脱臼したようだ。ミカエルは左腕だけで立ち上がり、右腕を掴むと、無理矢理肩の骨を入れ直した。激痛が走ったが、彼にとって今最優先するべきはラファエルの殺害であるので、その程度の痛みはものの数ではなかった。
「ラファエルーッ!」
ミカエルは自分を鼓舞するためなのか、憎しみの対象の名を叫び、再び走り出した。只彼は、別の骨が折れ、内臓に突き刺さっているのを感じていたが、治療する手段がないのもわかっているので、構わずに走り続けた。
「む?」
ミカエルは煙の向こうに人の気配を感じた。
(まさか?)
彼は葵達が追いかけて来たのかと考えたが、それはあり得ないと思い、打ち消した。だが、前方から確実に人の気配は近づいている。ラファエル以外にこの島にいる者は、葵達だけだ。他の人間の大半はすでに爆死しているはずである。ラファエルの用意周到さから考えれば、それが正解に思われた。
「どうやってここまで来た?」
ミカエルは煙の向こうの気配の主に尋ねた。すると気配の主は、
「ミカエルなの? 貴方、脱出できなかったの?」
葵の声だった。ミカエルはフッと笑い、
「ラファエルと言う男が最後になって自分の正体を明かした。奴は潜水艦で脱出した。もうどこにも逃げ道はない」
そう応じると、葵達の姿が煙の中から現れた。
「お前、マスクなしで大丈夫なのか?」
篠原が尋ねた。ミカエルはニヤリとして、
「俺は超人だからな。大丈夫さ」
すると美咲が、
「潜水艦で脱出したって、それはどこなんです?」
ラファエルは美咲を見て、
「ここから更に地下に降りた格納庫だ。だが、そこは硬質プラスチックで阻まれてて、追いかける事ができない。俺達は完全に奴にしてやられたんだ」
「硬質プラスチック?」
美咲は鸚鵡返しに尋ねた。
「ミカエル、貴方、その怪我……?」
葵はミカエルの脚を伝って流れている血に気づき、息を呑んだ。美咲もハッとした。
「ここも安全ではない。いつどこで爆発が起こるか、わからないのでね」
ミカエルは通常人であれば気絶している程の出血量だった。葵は篠原を見た。篠原は不満だったが、
「格納庫に案内しろ。俺達なら、そのプラスチック、ぶち壊せるかも知れないからな」
ミカエルを無理矢理背負った。美咲は予備のガスマスクをミカエルに被らせ、応急的な止血を施した。
「お前達に助けられるのは屈辱だが、今はラファエルの首を獲るのが最優先だ。案内するよ」
ミカエルは自嘲気味に告げた。
一方、潜水艦で島を離れる事に成功したラファエルは、潜望鏡で捉えた島の爆発を確認していた。
(哀れな末路だったな、ミカエル。いや、実験体三号。お前が被検体の中では一番優秀だったが、まだ実用化には程遠かったよ。実用化できそうなのは、俺が開発した『啓蒙』だけだ。あれを使えば、軍隊を送り込まずとも、敵を殲滅できるよ。敵同士を戦わせる事でね)
ラファエルはニヤリとして、手に持っているディスクを見た。
「俺が世界の勢力図を変える。最終兵器は、核ではなく、人だという事を知らしめてやる!」
ラファエルはたった一人で乗り込んでいる潜水艦の中で高笑いをした。
葵達は、ミカエルの道案内で、更に下層階にある格納庫へ通じる廊下を走っていた。ミカエルを背負った篠原は遅れるどころか、誰よりも速く走っている。
「あいつ、急に張り切り出したわね?」
葵が隣を並走している美咲に囁いた。美咲は苦笑いして、
「所長が脅かし過ぎたのではないですか?」
「まさか。あいつは私の脅しなんか、何とも思っていないわよ」
葵は鼻で笑って一蹴した。
(本当に所長と篠原さんの関係は理解不能だ)
美咲は顔を引きつらせたまま、前を向いた。
「あの向こうか?」
いくらか煙が途絶えて来た先に見える通路の終わりに気づき、篠原が呟いた。
「ああ。あの先だ……」
ミカエルは苦しそうな声で応じた。篠原は、ミカエルの身体から次第に力が抜けていくのを感じていた。
(普通の人間なら、俺達と出くわす前に死んでいてもおかしくない出血量だった。奴の命をつなぎ止めているのは、裏切り者のラファエルへの執念なのか?)
「ここか……」
篠原は通路を抜け、その向こうになる格納庫に出た。葵と美咲がそれに続いた。二人も、ミカエルがほとんど動かなくなっているのがわかっていた。
「これですね」
美咲は篠原の更に向こうにある超硬質プラスチックの壁を触りながら言った。そして、一部に血のようなものがこびり付いているのに気づいた。ミカエルが殴った痕だ。そして、折れ曲がった鉄パイプも見つけた。
「これで叩いたのに傷も付いていないのか……」
美咲は鉄パイプの破損具合を見て、ミカエルがどれほどの衝撃を加えたのか理解し、プラスチックの強度を推定した。上を見ると、二十メートル以上の高さまでその壁は伸びていた。その壁の向こうにはもう一隻の潜水艦があった。
「上に出るのは無理だ。表面に全く凹凸がないため、這い上る事すらできない」
ミカエルは目を薄らと開いて、美咲を見た。美咲はそれに頷き、
「そうみたいね。上よりは、下かな?」
そう言って、足下に視線を下ろした。篠原と葵はキョトンとして顔を見合わせた。その時、入って来た通路から爆風が吹き出して来た。火の手もすぐそこまで迫って来ている。
「時間がないですね。急ぎます」
美咲は壁伝いに奥まで走っていく。
「何をするつもりだ、美咲ちゃんは?」
篠原は更に力が抜けていくミカエルを背負い直して呟いた。美咲は格納庫の端まで行った。壁はどこまでも続いており、高さも変わっていない。葵達も通路から噴き出す煙と熱風を避けるために美咲の方へと歩き出した。格納庫全体にも振動が起こって来ており、天井がひび割れて崩れ出している。
「所長、少し、気を分けていただけますか?」
美咲は自分自身の気を高めながら言った。葵は微笑んで、
「以前、貴女からもらった分もあるから、遠慮しないで。欲しいだけあげるわよ」
「ありがとうございます」
美咲は気を最高まで高めつつ、葵に礼を言った。葵は美咲に近づき、彼女の右肩に右手を載せた。
「わ!」
端で見ている篠原にさえ、その流れが見える程だった。葵から美咲に送り込まれた気は、美咲のそれと合流すると、更に力を増幅し、膨れ上がった。
「もう十分でしょ? いけるわね、美咲?」
葵は美咲から手を放して告げた。美咲は真顔で葵を見ると、
「はい。いけます」
そう言って、透明な壁を見た。興味が湧いたのか、
「何をするつもりだ?」
ミカエルが目を見開いて腕に力を入れた。
(凄いな、こいつ。まだこれ程の力が出せるのか?)
篠原は背中に伝わって来るミカエルの執念の熱気を感じてそう思った。
「フー……」
美咲は深呼吸をした。
「まさか、鬼の行?」
篠原がギョッとして小声で葵に尋ねた。葵は篠原を見て、
「それとは違うけど、ある意味近いわね。美咲に私の気を伝えたから、尋常じゃない力が更にパワーアップするわよ」
「ええ?」
篠原はビクッとしてもう一度美咲を見た。美咲は深呼吸を終了し、両掌をプラスチックの壁に押し当てた。
「まさか?」
ミカエルが言った時、美咲がその気と共に壁を押し始めた。最初は全く動く気配がなかったが、しばらくすると、ミシミシと壁が軋み始めた。壁自体の強度は相当なもので、折れ曲がる様子はなかったが、それよりも壁が設置されているコンクリートの床が耐えられなくなっていた。亀裂が走り、鉄筋が飛び出し、遂には壁を支えられなくなった。超硬質プラスチックの壁は美咲の怪力でも歪まなかったが、コンクリートの強度がその前に降参してしまったのだ。壁は端から土台を失っていき、反対側にドドーンと倒れ、水飛沫と土煙が立ち上った。
「よし!」
篠原は倒れた壁を飛び越え、潜水艦へと走った。葵は美咲の肩をポンポンと叩いて労い、彼女と共に篠原を追いかけた。
「ラファエル……」
ミカエルは壁が崩壊した事で、更に希望を持てたのか、篠原の身体を締めつけるように力を込めた。
「絶対に逃がさないわよ、ラファエル」
葵にも、この一件の黒幕の正体が読めて来たような気がしていた。
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