第十一章 星、動く

 篠原の運転する大型パトカーの助手席で、葵は腕組みをして考え込んでいた。

「どうした、葵? さっきの奴との決着をつけさせなかったのが気に食わないのか?」

 葵に対して引け目がある篠原が尋ねると、葵は前を向いたままで、

「そんな事はどうでもいいの。問題は、連中が一体どうやってあれほどの人間を動かせたかったっていう事なのよ。どうにも納得のいく説明ができないのよね」

 篠原はハンドルを大きく切りながら、

「確かにな。あらかじめ仕込んでいたのだとすると、相当な準備期間が必要だな」

 葵は脚を組み替えて、

「そうなのよ。でも、そんな様子はどこを探っても見つからないの。あの後も美咲に何度か情報屋と連絡を取ってもらっているんだけど、何も掴めないの」

 篠原も真顔になり、

「だったら、『別宅』にある専用回線を使えよ。アレを使えば、日本中の監視カメラにフリーパスでアクセスできるぜ」

「そういう事は、もっと早く言いなさいよね」

 葵はムッとした顔で篠原を見た。すると篠原は、

「葵は怒った顔も可愛いよなあ」

 妙な事を言ったので、葵は顔を赤くして、

「ふざけないで!」

 そう言って、携帯を取り出すと、美咲にかけた。

「はい」

 美咲はワンコールで出た。葵はフッと笑って、

「そっちにはまだお客さんは来ていないわよね?」

「はい、まだ来ていません」

 美咲の声が冷静に応答する。葵は苦笑いして、

「さっき、事務所に現れた奴はこっちに引きつけられたんだけど、作戦をあっさり見破られたの。だから、もう時期そちらに別の敵が訪問すると思うから、準備を怠らないようにね」

「先程、薫さん達が迎撃態勢を整えて戻って行きましたよ」

 美咲の報告に葵は呆れ顔になり、

「仕方がない連中ね。ま、この際彼女達には独自に動いてもらいましょうかね。それから、別宅の中にある専用回線を使って、監視カメラの映像を解析してちょうだい。そこから何かわかるかも知れないから」

「はい、所長」

 葵は携帯を閉じてスーツの内ポケットにしまうと、

「護、取り敢えず、岩谷幹事長の遺体がどこに搬送されたのか、訊きに行きましょうか」

「了解。首相官邸に行けばいいんだな」

 篠原はハンドルを右に切って応じた。

「庭まで行かなくていいわよ。手前で降りるから。貴方は別行動ね」

 葵の言葉に篠原はキョトンとして、

「え? 別行動って、どこに行くんだよ?」

 葵は篠原を見て、

「敵の出方がわからない以上、こっちでできる事は何でもする必要があるでしょ? 舗道で倒した人達はもう警察が来て対処しているだろうから、何とかそこへ潜り込んで、一人でもいいから、サンプルを取って来て」

「はあ?」

 ますますわからないという顔で篠原はハンドル操作をする。葵は前を向いて、

「恐らく、どこかに茜と同じく発信機のようなものを取り付けられているはずよ。そこから何か探れないか、考えるの」

「ああ、なるほど。わかった。でも、葵と別々に行動するのは寂しいなあ」

 わざとらしく言う篠原に葵はイラッとして、

「何だったら、美咲に関するデマ発言について、帳消しを撤回しましょうか?」

 ギロッと篠原を睨みつけた。篠原はビクッとして、

「わかったよ。女王様の仰せのままに」

「よろしい」

 葵はニコッとしてまた前を向いた。


 首相官邸の主である片森省三首相は、落ち着きなく、執務室の中を動き回っていた。彼は幹事長の岩谷が殺害されたと聞き、岩谷が以前から得体の知れない連中と付き合っているのを思い出した。

(バカな男だ。人には分相応というものがある。あの男は、自分の器を見誤ったのだ)

 そうは思っても、岩谷を殺害した犯人の痕跡は何もなく、警察からの連絡も全く入らないので、不安だった。片森は岩谷の遺体を自分の信頼が置ける大学病院の法医学教室に搬送させたが、その後、どうすべきか、考えあぐねているのだ。

(岩谷は憎らしい男だったが、その死を政争の具にするつもりはない。奴の遺体が最初に運ばれそうになったのは、非主流派の息のかかった病院だ。それでは、岩谷の面目が丸潰れになる解剖報告が発表されてしまう。それだけは避けなければならない)

 片森は岩谷の傘下に入っているのは嫌だったが、彼の敵対勢力に与するつもりはない。彼は電話の盗聴を恐れて、搬送先だった大日本医科大学付属病院に秘書を先回りさせ、文書で行き先を伝え、秘書に付き添わせ、誰にも情報が漏れないようにした。だから、葵の情報屋にも何も情報が入って来ていないのだ。

(岩谷の遺品を調べさせたが、何もそれらしいものは残っていなかった。殺害犯が持ち去ってしまったのか?)

 片森の最大の不安はそこだった。

(この一件、奴の勇み足があって消されたのであれば、もうこれ以上命を落とす者はいないだろう。もし、そうでない場合が、一番問題だ)

 片森は額と両手にジットリと汗を掻いていた。

「一体、どこの誰と取引をしてたのだ、お前は?」

 片森は党のホームページの岩谷のページを開いたパソコンのモニターを見下ろして呟いた。

「で、貴方はどこまで知っているのかしら?」

 どこからか女性の声が聞こえたので、片森は狼狽えて周囲を見渡した。

「ここよ、片森首相」

 もう一度声が聞こえた。片森はビクッとして、さっきまで自分が座っていた回転椅子に目を向けた。

「こんにちは、首相。私は水無月葵。名前くらいは、聞いた事があるわよね?」

 回転椅子に腰かけていたのは、葵だった。片森は更にギクッとした。

(もしや、橋沢が辞職する原因になった女、か?)

 全身から嫌な汗が噴き出すのを感じ、片森は顔を引きつらせた。葵は彼の反応を見てクスッと笑い、

「前の首相から聞いているみたいね。緊張しなくてもいいのよ。貴方をぶっ飛ばしに来たんじゃないから」

 片森は力が抜けたようにその場にしゃがみ込んでしまい、

「い、一体どうやって? 官邸の警備システムが全く役に立たなかったのか?」

 目を泳がせながら、独り言のように言った。葵はフッと笑い、

「警備システムなんて、私達には無用の長物よ。まあ、そんな事はどうでもいいわ。時間がないの。岩谷幹事長の遺体をどこに搬送させたのか、教えて」

 立ち上がって、ツカツカと片森に歩み寄った。片森は葵を見上げて、

「聞いてどうするつもりだ?」

 葵はスッと顔を片森に近づけて、

「質問をしているのは私なんだけどな、首相。教えて」

 先程より強い調子で告げた。片森は更に顔を引きつらせて、

「帝星大学付属病院だ。私の知人が院長をしているから……」

 喉がカラカラになっているのを感じたが、それでも必死になって答えた。しくじったらどうなるかわからないと思ったのだ。片森は、橋沢龍一郎前総裁が葵達にどんな目に遭ったのか、およその事は聞いているので、余計葵が怖かった。葵はニコッとして、

「ありがとう、首相。お仕事、頑張ってね」

 そう言うと、いつの間にか執務室から姿を消していた。ドアが開いたのすら、片森には見えなかった。彼はハッと我に返って立ち上がった。

(これ以上岩谷の事を調べるのはやめた方がよさそうだ……)

 危険を察知する能力には長けていると自分でも思っている片森はそう結論づけた。

 


「岩谷幹事長の遺体は帝星大学付属病院に搬送されたそうよ。私はこれからそっちに向かうから、後で合流して」

 葵は官邸の外に出ると、さっき別れた篠原に連絡を取った。

「了解。こっちも二人からサンプルを取れたから、すぐに行くぜ、マイハニー」

 篠原が気取った声で言うと、葵は半目になり、

「ふざけてないで、さっさと行動しなさいよ、護」

 通話を終え、携帯をスーツのポケットにしまった。

(美咲達はまだ大丈夫かな? 港に置き去りにしたあいつも気になるけど)

 葵は周りを見てから、まさしく風のような速さでその場を去った。


 篠原の「別宅」を後にした星一族の星三姉妹は忍び装束に着替え、地下通路を戻り、地下鉄の駅の近くまで来ていた。

「もう追いついて来たか」

 長子の薫が立ち止まって呟く。次女の篝と三女の鑑も立ち止まって気配を感じようとした。

「下がれ!」

 三人は、美咲が突き刺した鉄パイプの前にいたが、薫が叫び、一斉に数メートル後方に飛び退いた。その次の瞬間、鉄パイプが弾け飛び、通路の壁に当たって地面に落ち、耳障りな音を立てた。

「またお前か」

 薫は不愉快そうに言った。姿を見せたのは、葵に置き去りにされた白人の男だった。男も不機嫌そうな顔で、

「お前らだけか? 他の連中はどうした?」

「逃げた。尻尾を巻いてな」

 薫がニヤリとして告げると、男はギリッと歯を軋ませて、

「ふざけるな! お前らを瞬殺して、すぐに追いかけてやる!」

 そう言うと、フッと姿を消した。

「温いぞ」

 鑑に襲いかかろうとした男の背後に薫が立って言った。

「ぬ?」

 薫の踵落としが男の脳天に炸裂した。鑑と篝は勝利を確信したが、

「油断するな、二人共!」

 薫の怒鳴り声にハッとし、男から離れた。男は薫の一撃を受けてふらつきこそしたが、倒れはしなかった。

「バカな……。姉様の踵落としをまともに食らって、立っているなんて、信じられない……」

 篝が呟くと、

「世の中にはいくらでも上がいると知れ、クソガキが!」

 男はスッと頭を撫で上げて、篝を睨みつけた。その上で背後の薫を威嚇するようにブンと右腕を振り回し、

「それがお前の実力か、星薫? やはり、口程にもないな」

 挑発して来た。薫はムッとしたが、

「私を激昂させたいのか? 水無月葵と一緒にするなよ、愚か者が」

 すぐに冷静な口調で応じた。

「そうだ、バカめ。月一族と我らを同じと思うなよ!」

 鑑が言った。すると男は鑑を見てせせら笑い、

「月一族と一緒にするな? 笑わせるぜ。その月一族に負けたのは、どこのどいつだっけな?」

 その言葉に篝が切れてしまった。

「星一族をバカにするなァッ!」

 彼女は通路の壁を駆け上がると、天井から男に襲いかかった。

「篝!」

 薫が舌打ちをし、走った。鑑も慌てて篝を追いかけた。

「遅過ぎて話にならん」

 男は篝の回し蹴りを右手で受け止め、続いて右脚を狙って来た鑑を左足で蹴飛ばした。更に篝を地面に叩き付け、後方の薫に向き直った。

「くう……」

 篝と鑑は這いつくばって呻き声を上げた。薫は間合いを取り、男を見た。

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