第三十一章 ミカエル崩壊

 ミカエルは見えない壁に阻まれた上、自分の強さの拠り所でもあった「超人である事」も否定され、雄叫びを上げ続けた。ラファエルはその様子を見て、

「あんたは、俺が所属していた医療チームによって作り出された偽者の超人だ。しかも、失敗作のな」

 蔑みの笑みと共に告げた。その言葉がミカエルに届いたのかどうか、ラファエルは確認する事なく、潜水艦の中に消えた。ミカエルは叫ぶのをやめ、次に自分を阻む目の前の見えない壁を両方の拳で叩き始めた。渾身の力を振り絞っても、その壁はヒビすら入らない。

「無駄な事はやめろ、ミカエル。その超硬質プラスチックは、お前程度の力ではどうする事もできないよ。諦めろ」

 ラファエルの声は、格納庫の天井に設置されたスピーカから聞こえて来た。

「うるさい、黙れ!」

 ミカエルは血走った目でスピーカを睨みつけた。そして、周囲を見渡し、壁際に転がっている鉄パイプを見つけると、素早く近づいて手に取り、超硬質プラスチックに突進し、叩きつけた。ところが、鉄パイプはぐにゃりと曲がり、プラスチックには傷すら付けられなかった。

「頭が悪いのか、ミカエル? 人間の力でどうにかなるものじゃないんだよ、その壁はさ。それより、早くそこから脱出した方がいいぜ。あと二十分程で、この島は爆発し、証拠の全てを消滅させるんだから」

 ラファエルの声が言うと、ミカエルは折れ曲がった鉄パイプを投げ捨てて、

「最初からこうするつもりだったんだな、貴様は!? そういう事か。このシナリオを書いたのが誰だかわかったよ」

 ニヤリとして言い放った。

「ほう。さすがだね。だが、もう手遅れさ。失敗作のあんたには生きていてもらっては困るというのが、俺のクライアントの考えでね。忍者達と一緒にあの世に行ってくれ」

 ラファエルの声はそう言うと、高笑いをし、やがて音声が途絶えるブツッという音が聞こえ、潜水艦が動き出した。

「ラファエルめ!」

 ミカエルは歯軋りして、元来た道を戻った。


 振動が更に激しさを増し、外で爆発音が響くのが聞こえて来る状況になった時、ようやく葵は「鬼の行」を解除する事ができた。ミカエルとの戦いをしていなければ、そのまま脱出しても差し支えなかったのだが、今の状態でそれをすると、間違いなく再起不能になる可能性があったのだ。

「俺がおんぶするから」

 篠原の申し出をなかったかのように無視すると、葵は螺旋階段の手すりを滑り降りた。篠原は項垂れそうになったが、そんな事をしている暇はないので、葵に続いて手すりを滑り降りた。

「急いで、護!」

 葵は美咲が落とした吊り天井を軽々と飛び越えると、同じく美咲が持ち込んだ大木をすり抜けて、建物の外に出た。太陽の光は全くなく、満天の星空が広がっていた。

「所長!」

 すると、そこには美咲と薫が待っていた。

「どうしたの? 先に行ったんじゃなかったの?」

 葵が尋ねた。すると薫が、

「ヘリが破壊されていた。恐らく、逃亡したラファエルという奴の仕業だろう」

 美咲はそれに頷いて、

「これが彼の目的なのでしょう。全てを葬り去るつもりです」

 葵はムッとした顔で辺りを見回して、

「そのラファエルとかいう奴はどこにいるの?」

 美咲は、

「ラファエルは抜け道を使って逃亡したので、どこに行ったのかわかりませんが、恐らく更に下に行ったのでしょう。この爆発から逃れる手立ては一つしかありません」

 葵は眉をひそめて、

「海の中って事?」

 美咲と薫が同時に頷いた。篠原が追いついて来て、

「で、どうするんだ? ヘリがないとなると、脱出は難しいぞ」

 葵は篠原に顔を向けて、

「そうでもないわ。奴が逃走した経路を辿れば、安全に抜け出せるはずよ」

 そう言って、美咲を見た。美咲はキョトンとしたが、

「わかりました、やってみます」

 葵は美咲の肩をポンと叩いて、

「お願いね、美咲」

「はい、所長」

 美咲は力強く応じた。

「急ごうか」

 薫が促した。美咲は薫に頷いてみせると、建物に戻っていく。薫がそれに続いた。

「ええ? また中に入るのか?」

 篠原がウンザリした顔で言った。すると葵が、

「嫌だったら、あんたはここで丸焦げになれば?」

 冷たく言ったので、篠原は肩を竦めて、

「わかったよ。一緒に行かせていただきます」

「よろしい」

 葵はニコッして、篠原の頭を少し強めに叩くと、二人を追いかけた。

「いてえなあ、葵ちゃん」

 そう言いながらも、どこか嬉しそうな顔の篠原である。

「こっちです」

 美咲は葵達が追いつくと、螺旋階段がある部屋を横切り、奥へと走る。するとその先に下へと続く長い階段が見えて来た。

「あの階段を降り切ると、地下通路に出ます。迷路のように入り組んでいますので、離れないようにしてください」

 薫と葵は黙って頷いた。篠原は、

「俺が美咲ちゃんと先に行く。葵と薫ちゃんは周囲を警戒しながら来てくれ」

 美咲がその言葉にビクッとしたのを見た葵は目を細めて、

「あんた、何を考えているの?」

 篠原に詰め寄った。篠原は苦笑いをして、

「奴らはパスワード付のどんでん返しを使ったんだろ? そういう解除、俺、得意なの知っているだろ?」

「全然」

 葵が真顔で返したので、篠原は悲しそうな顔になった。

「そりゃないよ、葵」

 彼はサッサと先を行く葵にすがりつくように続いた。

「バカ言ってないで、とっとと行動に移りなさいよ。時間がないんだから!」

 葵が振り向きざまにまた篠原の頭をペシンと叩いた。

「わかったよ」

 篠原は不満そうに応じると、美咲に目配せして、一緒に走り出した。葵は薫を見て、

「追いかけるわよ」

「ああ」

 薫は薫で、もう一つ気がかりな事があった。

「あんたの妹達も探さないとね」

 葵は微笑んで言った。薫はフッと笑って、

「それは気にするな。二人は私が探し出す。お前は美咲を追え。すぐに追いつく」

「ちょっと、嫌な事を考えてるんじゃないわよね?」

 葵が眉をひそめて尋ねると、薫はニヤリとして、

「そんな事は考えていない。私はお前とのけりを着けるまでは、絶対に死にはしない」

 葵はその答えに苦笑いして、

「それならよかった。待ってるから」

 薫は無言で頷くと、階段を下りずにその先のフロアへと走った。葵はそれを見届けてから、長い階段を駆け下りた。


 地下通路を戻ったミカエルは、途中の分かれ道を左に折れ、走り続けていた。

(ラファエルめ、この俺を出し抜いたつもりか? そうはさせるか!)

 ミカエルは目を血走らせたままで、前方を睨みつけた。

(この島には、お前すら知らない場所があるんだよ。この俺をバカにした報いは必ず受けてもらうぞ)

 ミカエルは不敵な笑みを浮かべ、更に走る速度を上げた。しばらく経ってから、ミカエルは立ち止まった。その脇には、鉄製の重々しい扉があり、大きなドアノブの下には、テンキーが設置されていた。

(この扉のパスワードは俺しか知らない。この先には、地下格納庫の搬出口のハッチを作動させる装置がある。ハッチを閉めてしまえば、ラファエルは脱出できずに爆死する)

 ミカエルは勝ち誇った笑みを浮かべてテンキーを叩き、ロックを解除して中に入った。そこは制御室になっており、たくさんの配電盤が並んでいた。ミカエルはその一つの前に立ち、機器を操作した。

「む?」

 だが、いくらスイッチを動かしても、何の作動も始まらなかった。ミカエルは配電盤を間違えたのかと思い、別のものを操作した。しかし、同じだった。

「ええい!」

 苛立った彼は更に別の配電盤を操作した。しかし、全く無反応だった。彼の顔に汗が浮かんだ。

(まさか……)

 ミカエルは考えたくもない結論に達してしまった。すると、彼の動揺をどこかで見ていたかのように、

「まだ無駄な事をしているのか、ミカエル? その制御室はダミーだよ」

 天井に埋め込まれたスピーカから、ラファエルの声が鳴り響いた。ミカエルは目を見開いて、スピーカを仰ぎ見た。

「理解したと思ったのだけれど、まだダメだったんだな。あんたは、踊らされていたんだよ。あんたがこの島の全てを把握していると思っていたのは、実は全部我々の仕組んだ事なんだよ。滑稽だな、ミカエル。笑えるよ。いや、あまりにもあんたが惨め過ぎて、涙が出そうだよ」

 ミカエルはラファエルの嘲笑を聞き、また雄叫びを上げた。彼は涙を流していた。あまりにも自分自身が情けなくて、感情の暴走を止められなくなっていた。

「うおおお!」

 彼は制御室を飛び出した。すると、通路は辺り一面、火の海となっていた。

「忍者達はともかく、あんただけは確実に仕留めてくれと言われているのでね。そこへ誘導するのがうまくいってホッとしているよ。地獄に堕ちちまいな、堕天使さん」

 通路のいずこから聞こえるラファエルの声に、ミカエルはまさに血の涙を流して激怒し、悔しがった。

「ラファエルーッ!」

 彼は燃え盛る炎をものともせずに通路を駆け抜けた。


 その頃、美咲と篠原はラファエルが使ったどんでん返しの壁の場所に到達していた。

「どこかで何かが燃えている臭いがするな」

 篠原が鼻をヒクヒクさせて言った。美咲も臭いを感じ、

「急ぎましょう、篠原さん。多分、ここがそうです」

 壁を指差した。篠原は頷いて壁に触れ、慎重に手を滑らせた。

「あ、なるほど、そういう事か」

 篠原はしゃがみ込んで、床を調べ始めた。そして、ほんのわずかに盛り上がっている箇所を発見し、そこをスーツの下から取り出した小刀で斬り裂くと、小さなキーボードを見つけた。

「さあて、どれくらいで解除できるかな?」

 篠原は舌舐めずりして、上着のポケットから小型のモバイルを出すと、キーボートとUSBコードで繋ぎ、モバイルのキーボードを高速で叩いた。その間にも、あちこちで爆発音が聞こえて来た。

「どう? 開きそう?」

 葵が追いついて尋ねた。美咲が、

「薫さんは?」

「妹達を捜しに行ったわ。心配は要らないでしょ」

 葵が言うと、美咲は苦笑いした。篠原はパスワードの割り出しを続けながら、

「薫ちゃん、折角俺を星一族の婿に迎えてくれる約束したんだから、絶対に生還してくれないと困るぞ」

 その途端、葵がもう一度篠原の頭を先程より強めに殴った。

(篠原さん、余計な事言い過ぎ)

 美咲は半目になって、篠原を哀れんだ。

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