第二十七章 ミカエルの実力
葵達四人を前にしても、ミカエルは全く動じた様子がない。むしろ、彼の顔には喜びの表情が見て取れたので、葵はギョッとしてしまった。
(只のハッタリじゃない……。この男、何故これ程までに自信に満ち溢れているの?)
葵ばかりではなく、薫も美咲も、そして篠原も同じ事を考えていた。
「どうしましたか? 遠慮は要りませんよ、皆さん。いつでもどうぞ」
ミカエルは相も変わらず、気分が悪くなるような丁寧な口調を崩さず、葵達を挑発する。
「なら、本当に遠慮はしねえぞ!」
篠原が葵に目配せして、仕掛けた。するとミカエルはニヤリとして、
「ほお。データが一番少ない篠原さんから来ますか? いいですねえ」
「グチャグチャうるせえんだよ!」
篠原は一気に間合いを詰めると、正拳突き、右ミドルキック、左手刀、右ローキックと連続技を繰り出した。しかし、ミカエルは微笑んだままでそれをかわし、
「葵さん、早く仕掛けて来てくださいよ。篠原さんが囮なのは見え見えですよ」
背後を取ろうとしている葵に言った。葵はビクッとして動くのをやめた。それを聞き、薫は眉をひそめた。
(今のは私にもわからなかった。どういう事だ?)
そして、ミカエルを睨んだ。ミカエルはまだ繰り出されている篠原の攻撃をかわしつつ、
「どんな不意打ちでも構いませんよ。卑怯だなんて言いませんから」
「うるさいわね!」
葵はミカエルの露骨な挑発に激怒し、仕掛けた。
「あ、葵、ダメだ!」
篠原は葵に気を高める時間を与えようと思い、仕掛けた。それをミカエルの妙な言葉によって乱されてしまったのだ。
「さすが葵さんだ、最初から全力ですね。そうでなければ、面白くないですよ」
先程までかわすだけだったミカエルが初めて動いた。
「く!」
葵はミカエルの突きを辛うじてかわし、飛び退いた。
「何?」
彼女の左頬がスパッと切れ、血が流れ落ちた。彼女はその血を忍び装束の袖で拭い、
「あんたこそ、本気出しなさいよ、ミカエル。そんなんじゃ、私達を仕留める事はできないわよ」
挑発し返した。ミカエルはフッと笑って、
「なるほど、道理ですね。わかりました、私も礼を尽くしましょう」
次の瞬間、ミカエルが葵達の視界から消えた。
「何!?」
篠原は目を見開き、葵と薫はミカエルを目で追った。美咲も何とかその残像を追っていたが、
「くう……」
突如として目の前に現れたミカエルに対応できず、その突きを腹に食らって後ろに吹っ飛び、壁に叩きつけられてしまった。
「美咲!」
ハッとして立ち止まった葵をミカエルが襲う。
「はあ!」
しかし、更にそのミカエルを薫が攻撃した。ミカエルは咄嗟に方向転換し、葵ではなく薫に襲いかかった。
「ぬ!」
薫は一瞬対応が遅れ、ミカエルに間合いに飛び込まれてしまった。だが、ミカエルは薫に攻撃できなかった。彼の鼻先に螺旋階段の手すりの一部が突き出されたからだ。
「聞きしに勝る怪力ですね、美咲さん」
ミカエルはニヤリとして手すりを突き出した美咲を見た。美咲は僅かな時間で手すりを引き千切ったのだった。ミカエルは手すりを掴み、
「でも、一番ではない」
「え?」
美咲は何が起こったのかわからなかった。いきなり引き寄せられ、手すりを奪い取られたのだ。
「何だと?」
篠原は驚愕した。
(あの美咲ちゃんに力で勝ったのか、この優男? どういう肉体構造してやがるんだ?)
薫は美咲を引き連れて飛び退き、
「やはり、薬か? それとも外科的手術をしているのか?」
目を細めてミカエルに尋ねた。するとミカエルは手すりの切れ端を床に突き立てて、
「心外ですね。リーダーである私が、部下と同レベルだと思われたのですか? 違いますよ」
手すりをグニャグニャと捻り、へし折ってしまった。
「嘘を吐くな! 何もしないで、そんな力、出せねえだろ!」
篠原が怒鳴った。美咲はその言葉にちょっとだけ傷ついた。
(私も薬も手術も受けていないんですけど、篠原さん)
するとミカエルはフッと笑って篠原を見た。
「本当ですよ。私は生まれついての特別な人間なのです。薬も使っていないし、改造手術も受けてはいない。純粋に強いのです」
「何ですって?」
葵は目を見開いた。ミカエルは葵を見て、
「あなた方忍びにも、常人を超えた存在がいるでしょう? それと同じなんですよ。言うなれば、超人ですね。それも、全てに特化したね」
葵と篠原はまだ信じていない顔をしているが、薫は得心がいったという表情になった。美咲は何かを考えている。
「わかりましたか、皆さん? ですから、四人一度でもいいですよと言ったんです。これはハンデですから」
ミカエルは愉快そうに微笑み、四人を見渡した。
「さあ、一度にお願いしますよ。そうでないと楽しめないし、私は後ろめたい気持ちになってしまう」
更なるミカエルの挑発に、
「そこまで言うなら、こっちも取って置きを出すけど、いいわよね?」
葵が言った。篠原がハッとし、薫が目を細め、美咲はギョッとした。ミカエルは葵を見て、
「いいですよ。貴女の一族に伝わる『鬼の行』ですね? それを待っていたんですから」
葵は少しだけピクンとした。
(鬼の行の情報すら知っているの? こいつ、その方面でも油断ならない)
二人の間にえも知れぬ緊迫感が漂い始めていた。
(水無月葵、私と戦った時より強くなっているのだろうな)
薫は息をひそめて葵を見ていた。ミカエルは余裕の笑みを浮かべて、
「貴女が鬼の領域に達するまでお待ちしましょう」
ミカエルは身構えるのをやめて、腕組みをし、葵を見つめた。葵はムッとしたが、
「その自惚れ、後悔するわよ」
そう言うと、大きく息を吐き始めた。篠原は前回の顛末を思い出し、
「美咲ちゃん、離れて! 葵は鬼になったら、誰もわからなくなるから」
ミカエルに加えられた打撃からまだ回復し切っていない美咲に肩を貸そうとした。
「その必要はないわ、護。私もいつまでも同じ位置にはいないつもりよ」
葵が言ったので、篠原はキョトンとして彼女を見た。
「え? どういう事だ?」
葵はキッとして篠原を睨みつけると、
「言葉通りよ! 逃げなくても大丈夫って事!」
篠原は美咲と顔を見合わせた。薫はフッと笑い、
「なるほど。そういう事か。さすがだな、葵」
「どうも」
葵はニッとして薫をチラリと見た。ミカエルは肩を竦めて、
「そうですか。以前より上に行ったという事ですね? そうでなければ、私も戦い甲斐がないです」
葵は息を大きく吸い込むと、
(そのバカ丁寧な態度、いつまで保っていられるか、確かめさせてもらうわ)
一気に気を高め始めた。途端に彼女の周囲の空気が一瞬にして変わり、ミカエルの笑みが消えた。
(さすがに何かを感じたようだな? 強いのは確かだが、葵の規格外の強さにはさすがについて行けないと思うぞ)
篠原は葵の勝利を確信して、ニヤリとした。だが、美咲はそれに反して不安だった。
(鬼の行の事まで知っていたのは、只それだけの事ではない気がする……)
ミカエルの余裕の表情が決して虚勢ではないと思っていた。
(葵は私と戦った時より強くなっているのはわかる。そして、奥の手も更に上になったのも確かだろう。だが、あの男、その程度の事を想定していないだろうか?)
薫も美咲と同じで、ミカエルの態度に不気味さを感じている。
(探りなんて入れない。一瞬で終わらせる)
葵は薫との死闘の後、自分自身を高める鍛錬を続けて来た。そして、一族の禁じ手である「鬼の行」を禁じ手から解放する事も目指した。
(父に談判して、鬼の行を使う事を許してもらってから、何度も確かめ、工夫した。その時は、薫に勝つためだったけど、今は違う。戦いを遊びのように捉えているこういうバカを叩きのめすために使う)
葵の気が膨れ上がるのをそこにいる全員が感じた。彼女の足元の床がひび割れ、亀裂が走った。ミカエルは腕組みをやめ、葵をジッと観察している。
(私と戦った時より気が練られている。密度も濃く、粘度も高い。これは……)
自分が相手でも苦戦しそうだと薫は思い、苦笑いした。
「はああ!」
葵は気合いを入れ、更に気を高めた。
「え?」
篠原は驚愕して葵を見た。
(おいおい、この前の薫ちゃんとの戦いの時より気を高めているのか? しかも、あの時は気の量が足らなくて、美咲ちゃんと茜ちゃんから気を補給してもらったっていうのに、今回はそれをしないで、更に上に行くのかよ。呆れた女だな……)
篠原は溜息を吐いた。
(もう俺の手に負えないじゃん、葵)
篠原は葵と結婚しようなんて考えない方がいいとまで思ってしまった。
「む?」
薫は葵の気が変質したのを感じた。
(まさか、今鬼の領域に達したのか? 私の時より遥かに強力な気が葵に宿っているぞ……)
薫は汗ばんだ両手を強く握りしめた。
「ほお。今、鬼の領域に達したようですね。素晴らしい。これなら、私も全力を出して戦う事ができそうです」
それでも尚、ミカエルは狼狽えた様子がない。それどころか、ますます嬉しそうな顔をしている。
「虚勢を張るな、優男! お前の負けは今、確定したんだよ!」
篠原が怒鳴った。しかし、内心では不安が大きくなっていた。
(虚勢を張るにしても、少しは動揺するものだ。だが、奴は全く呼吸も脈拍も乱れた様子がない)
篠原は背中に冷たい汗を掻いているのに気づいた。その時、葵の深呼吸が終わった。
「葵?」
篠原が葵を見た。葵の気は確かに鬼の気に変質していたが、顔はいつもの彼女のままだった。
(本当に更なる高みに達しちまったのか?)
篠原は息を呑んで葵を見つめた。
「所長……」
美咲は不安もあったが、葵が勝つと信じる事にした。次の瞬間、葵の姿が消えた。
(仕掛けたのか?)
薫は葵を目で追おうとしたが、追い切れなかった。葵は風そのものになってミカエルに襲いかかった。バキッと何かがぶつかる事が聞こえた。
「何だと!?」
薫と篠原が異口同音に叫んだ。美咲は声も出なかった。
「ぐう……」
仕掛けたはずの葵が、反対側の壁まで吹き飛ばされていたのだ。
「残念です、葵さん。もっとお強いかと思ったのですが、その程度でしたか」
ミカエルは何事もなかったかのように平然と立っていた。
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