第二十六章 最強の男

 星薫は、自分では冷静なつもりであり、同行している水無月葵達ですら、そうだと思っているが、実際のところは、妹の篝と鑑を人質に取られ、かなり感情が昂っていた。

「むっ?」

 そんな状態である事を証明するかのように、海岸の岩陰に潜んでいた敵に気づくのが遅れた。

「く!」

 薫は黒尽くめの男が大型のナイフを振り下ろして来たのをすんでのところでかわし、反撃に出た。

「ぐへえ!」

 彼女の鳩尾への肘打ちで、男は砂浜に倒れ臥した。

「おい、薫ちゃん、今、反応が遅くなかったか?」

 篠原護が葵に耳打ちした。葵は頷いて、

「確かに。薫程の達人なら、あれほどぎりぎりでかわす事なんてないわ」

 すると、後ろからついて来ている神無月美咲が、

「やはり、妹さん達を人質に取られて、動揺しているのでしょうか?」

「そうは見えないんだけど、そうなのかもね。急ぐわよ、護」

 葵は薫の焦りを感じ、速度を速めた。

「おい、待ってくれよ!」

 それを慌てて篠原が追いかける。美咲は苦笑いして、更にそれを追いかけた。


 そんな事が何度か繰り返され、葵達はうっそうと木々が茂っていた森を抜け、ようやく島の内部の開けた場所に到達した。そこにはかなり大規模な建物が建設されていた。一見、何かの研究所に見える。地上五階建てで、地下もありそうな構造だ。

「おかしいわね。この規模の建物を海上保安庁や海上自衛隊に全く気づかれずに建設できるものかしら?」

 葵が全体を見渡しながら言った。薫も同じく建物を見渡して、

「これは恐らくアメリカ政府が建てたものだろう。当然の事ながら、日本政府も承知しているはずだ」

「だとすると、あの空母や戦闘機は元々ここに駐留してた可能性がありますね」

 美咲が言った。篠原は目を見開いて、

「もしそれが本当なら、両国の政府はここで何をしようとしていたんだ?」

 薫は篠原を見て目を細め、

「日本政府はここをアメリカが使っているのを知っていただけだろう。何をしていたのかは、感知していないと思うぞ」

「またそれかよ。どこまでバカにされているんだ、日本は?」

 篠原がムッとして腕組みをすると、葵が、

「そういう事じゃないと思うよ、護。日本政府得意の、見て見ぬフリでしょ?」

「ああ、そっちか。どちらにしても、情けないったらないぜ」

 篠原は肩を竦め、

「さてと、どうする? この中、ホラーゲーム並みにいろいろと仕掛けられている気がするぞ」

 葵はそんな篠原を軽蔑の眼差しで見ると、

「だったら、あんたはここで待っていなさいよ。別に一緒に行ってくれなんて頼んでないんだから」

 建物の内部に通じているドアを目指して歩き出した。篠原は苦笑いして、

「そんな事、言ってないじゃん、葵さん。機嫌直してよ」

 慌てて葵を追いかけた。薫は美咲を見て、

「あいつらは本当はどうなんだ? よくわからない関係に見えるが?」

「とても仲良しですよ、本当は」

 美咲は葵に聞こえないように薫に耳打ちした。葵は篠原と何か言い合いながらドアに向かっているので、聞こえていないようだ。美咲はホッとした。

「理解不能だな、全く」

 薫はフッと笑って呟いた。そして、ハッと気がつく。

(さっきまでの感情の昂りが消えた。まさか、あの二人?)

 自分を冷静にさせるために喧嘩をしてみせたのか? 一瞬そう思ったが、

「まさかな」

 思い直し、苦笑いすると、二人に続いた。美咲は薫が何故もう一度笑ったのかわからず、首を傾げて彼女に続いた。

「美咲ちゃん、早速出番だよ」

 篠原がドアの前で手招きしている。葵が、

「電流が流れているとかの罠はないのは確認したわ。只、何かでドアが開かないようになっているの」

 美咲は目の前にある鉄製の重々しい造りのガラス窓が付いていないドアを見て、

「わかりました、やってみます」

 構造上、ドアは押し開くものである。美咲はドアノブを回した。ノブは軽く回ったが、中に何か建てかけてあるらしく、ドアは全く動かない。

「何でしょう? ガツンとぶつかる感じですね」

 美咲はまず軽くドアを押してみた。しかし、動く気配がない。

「もうちょっと強く押してみます」

 美咲はドアに両手を押しつけ、グイッと力を込めた。するとギシギシとドアが軋みながら、その向こうにあるものを少しだけ押しのけたようだ。ドアはほんの数センチだけ開いた。美咲はドアの隙間から中を覗き、

「このまま押していくのは危険ですね」

 そう言いながら、周囲を見渡す。彼女は森の木に近づき、その中でも特に頑丈そうな太い幹の木を触ると、

「これくらいあれば大丈夫かな」

 言うや否や、その大木をミシミシミシと揺り動かして根元からへし折ると、ヒョイと右肩に担ぎ、運んで来た。葵と篠原は何もリアクションを取らなかったが、薫は目を見開いてしまった。

「あの時、お前に向かっていった篝は、とても無謀だったのだな?」

 薫はまた苦笑いして、かつて屋上で戦った時の事を思い出して言った。美咲は微笑んで、

「さあ、それはどうでしょうか?」

 そう言いながら、大木を横倒しにすると、そのまま勢いよくドアに叩きつけた。ドアはそのまま奥まで開き、建てかけられていた何かもドスンと倒れた。その瞬間、天井から何かか落ちて来て、大木を砕いてしまった。

「うはあ、いきなり手厚い歓迎するつもりだったんだな、敵さんは」

 篠原が中を覗いて言った。そこには、いくつも尖った鉄製の杭が取り付けられた吊り天井があった。美咲が力任せ押し込んでいたら、杭に貫かれていたところだったのだ。

「妙ですね」

 美咲が葵を見る。葵も頷いて、

「そうね」

 篠原はキョトンとして、

「何が妙なんだ?」

 薫は黙ったまま、美咲を見ている。美咲は篠原を見て、

「彼等は、私達の名前まで把握している程、事前準備に怠りがないのに、この程度の罠を仕掛けているのが解せないんです」

「確かに間の抜けた罠だったけど、徐々に厳しくなっていくんじゃないのか?」

 篠原はそれでも楽天的な考え方を示した。すると薫が、

「篠原の考え方も一理あるが、やはり、美咲の分析の方が正しいと思うぞ」

 葵も更に頷いて、

「そうね。罠を仕掛けるにしては、今までの入念さがないわね。どういう事かしら?」

 すると、

「疑い深い方達ですね。単に人手不足だという事ですよ」

 奥から声が聞こえた。葵達はハッとして身構えた。吊り天井の向こうはロビーのような広間になっていて、その先に金属製の螺旋階段が見えた。その階段を登り詰めた上に広々とした中二階のような場所がある。そこに黒いつなぎを着た金髪の白人の男が立っていた。長身痩躯で、見るからにひ弱そうだが、葵も薫も美咲も、そして篠原でさえ、その身から発せられている血も凍るような殺気を感じ、見た目通りではない事を悟った。

「あんたがボスのミカエルなの?」

 葵が吊り天井を飛び越えて螺旋階段のそばまで行き、尋ねた。すると白人の男は、

「お初にお目にかかります。私が真実の星条旗のリーダーのミカエルです」

 恭しくお辞儀をした。葵が次に言葉を発しようとした時、

「妹達はどこだ!?」

 薫が彼女の隣に立って怒鳴った。ミカエルはフッと笑って薫を見ると、

「ご心配なさらなくても、貴女の妹さん達はご無事ですよ。彼女達はあくまで貴女達を呼び寄せるための担保に過ぎません。危害は加えませんよ」

 葵はミカエルの物腰の柔らかさに背筋が寒くなって来たので、

「あんたの目的は何?」

 イライラしながら言った。ミカエルはクスッと笑って葵に視線を移すと、

「目的、ですか? あなた方の強さがどれ程のものか知りたかったから、と言ったら、怒りますか?」

 悪びれもせずにそんな事を言われたせいで、葵より先に薫が動いていた。彼女は一瞬にして螺旋階段を昇り切り、一足飛びにミカエルに仕掛けた。

「忙しない人ですね、星薫さん」

 ミカエルは微笑んだままで、薫の繰り出す突き、蹴りの連続技をいとも簡単にかわしてしまった。

「く……」

 そして最後に繰り出した右回し蹴りを右手で受け止められた薫は目を見開いた。

「何、あいつ……?」

 葵も仰天していた。

(薫は私と戦った時より速くなっているのに……)

 彼女の額にじんわりと汗が浮き上がった。それは篠原と美咲も同じだった。

「やばいんじゃないの、薫ちゃん?」

 篠原は薫が不用意に仕掛けた事を心配していた。だが、ミカエルは薫の右脚をそのまま放しただけだった。

「どういうつもりだ?」

 薫はその行為に屈辱を感じ、ミカエルを睨みつけた。しかし、ミカエルは、

「どういうつもり? 貴女の全力を見たいからですよ、薫さん。今のはまだ小手調べ。私の力を探るつもりだったのでしょう? そんなのではダメですよ。もっと本気で来てください。私はあなた方が想像しているよりずっと強いですよ」

 余裕の笑みを浮かべ、挑発とも取れる事を言った。

「今の、まだ全力じゃないのか、薫ちゃん?」

 篠原が呆気に取られて葵を見た。葵も同様で、

(薫、どこまで強くなるつもりなのよ? 私はまだ追いつけていないのかな?)

 嫌な焦りを感じ、歯軋りした。ミカエルは薫を見たままで、

「水無月葵さん、神無月美咲さん、篠原護さん、こちらにどうぞ。四人一度でも差し支えありませんので」

「何だと!?」

 篠原が一番反応してしまった。葵もムッとしたが、何も言い返さなかった。美咲は黙ったままでミカエルを見上げた。

「薫の妹達がどんな状態なのかわからない以上、ここで時間をかけている場合ではないわ。先に進まないと」

 葵は螺旋階段を昇り、上に行った。篠原と美咲がそれに続いた。

「お前は我らを見くびっていないか、ミカエル?」

 薫は忍び装束に着替え、ミカエルに言った。葵と美咲も忍び装束に替わった。篠原はスーツのままだ。

「いえ、全然。あなた方の実力は、ずっとモニターさせていただきましたので、理解しているつもりですよ」

 あくまで慇懃さを保ちつつ、ミカエルは強気の発言を崩さない。

(こいつも、薬と外科手術で身体を強化しているの?)

 葵はミカエルの身体をジッと見つめ、彼の強気の理由を探り出そうとした。

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