第三章 合流

 その男は、思いもよらない女性からのしばらくぶりの連絡に胸を躍らせて通話を開始した。

「はい、皆村です」

 声も心なしか、弾んでしまっている。彼は警視庁のある所轄の刑事課所属の刑事、皆村秀一である。前年の十月にある組織が関与した国際的な犯罪に巻き込まれ、重傷を負ったが、持ち前の生命力で乗り切った。その時、彼は何度か顔を合わせた神無月美咲の虜になってしまったのだ。事件が解決した後、皆村と親しそうに口論している女性警官との仲を誤解し、美咲が「振られた」と思ったのは、完全に彼女の勘違いであった。だが、美咲はそれを知らず、皆村もそんな経緯があった事を未だに知らない。

「お久しぶりです、皆村さん、神無月美咲です。お元気でしたか?」

 美咲の声がどこか他人行儀なのを感じ、皆村は落ち込みそうになったが(そもそも二人は他人以外の何者でもない)、気を取り直し、

「はい、持て余すくらい元気です。どうされましたか?」

 また美咲と一緒に何かをできると思う事にした。彼は所轄署の駐車場に停めた黒塗りの覆面パトカーから降りるところだったが、降りかけたそのままの態勢でこれでもかという笑顔で話しているので、近くにいた女性警察官達が気味悪そうに通り過ぎていった。皆村はお世辞にも男前ではなく、どちらかと言うと「強面」なので、余計気味が悪かったのだろう。

「あの、今、お時間大丈夫ですか?」

 美咲は皆村と親しいと思われる女性警察官がそばにいるのではないかと思い、尋ねた。すると皆村はようやく車から身体を全部出して、

「大丈夫です。神無月さんとお話するためなら、署長と会議中であっても、差し支えありません」

 バカ丸出しの返答をした。美咲は面食らったのか、しばらく反応しなかったが、

「そうですか。では、どこかで落ち合いましょう。どこがいいですか?」

 皆村は有頂天になった。

「どこでもいいですよ。神無月さんのご都合のいい場所に自分が出向きます」

 まるで御用聞きのように腰を屈めてへこへこしながら応じているので、今度は近くを通りかかった同僚の刑事が訝しそうな顔で皆村を見た。それでも皆村は気にしていない。

「では、ウチの事務所まで来ていただけませんか? できれば、鑑識の方々も一緒に」

 美咲がそう告げると、皆村のテンションが一気に下がってしまった。

「え? 神無月さんの事務所ですか? 鑑識の連中も一緒に?」

 彼は美咲と二人きりだと顔も見られない程緊張してしまうのに、鑑識を同行してくれと言われ、がっかりしてしまった。我がままな男である。

「無理ですか? 無理なら、他を当たりますが……」

 美咲にはそんなつもりはないのだろうが、皆村には、

「この役立たず! どうして私の言う事が聞けないのよ!」

 そう言われたような気がした。

「いえ、無理なんてとんでもないです! どこへでも行きますよ! もちろん、鑑識の連中も、首に縄を付けてでも同行します!」

 電話の向こうの美咲に見えるはずもないのに、皆村は敬礼して応じた。バカもここまで来ると清々しいかも知れない。

「ありがとうございます。では、お待ちしていますね」

 そこで通話は終わり、皆村はフウッと溜息を吐いて携帯を閉じ、ポケットにねじ込んだ。そして、

「忙しくなるぞ!」

 そう叫ぶと、署の中へ猛然と駆け込んで行った。


「さっすが、撃墜女王ね」

 葵は通話を終えて溜息を吐いた美咲に言った。美咲はムッとした顔で葵を見ると、

「その渾名、やめてください。皆村さんには素敵なお相手がいるんです。私、振られたんですから」

 葵は苦笑いして、

「悪かったわよ。それで、強面の刑事さんはきちんと要請に応じてくれるんでしょうね?」

 美咲は携帯を机の上に置いてからもう一度葵を見て、

「はい。すぐに来てくださるそうです」

 するとその話を横で聞いていた星薫が、

「お前を振るとは、その男、よほどモテるのだな?」

 真顔で言ったので、美咲は苦笑いをして、

「それはどうかわかりませんけど、薫さんはまだ全国指名手配ですから、皆村さんには会わない方がいいと思いますよ」

「なるほど。どうすればいい?」

 薫は葵を見た。葵は肩を竦めて、

「ロッカールームに隠れていて。いくら美咲にメロメロな刑事でも、あんたの顔を見れば、捕まえようとするだろうから」

「メロメロじゃないですよ!」

 美咲が抗議すると、

「その時は始末すればすむだろう?」

 薫があっさりと言ったので、

「それは絶対にダメ! 私達の目の前での殺人は断じて許さないわよ」

 葵は険しい表情になって、薫に詰め寄った。薫はニヤリとして、

「冗談だ。我が一族も殺戮集団ではない」

「それならいいけど」

 葵は腕組みをし、薫の真意を探るように目を細めた。すると薫は、

「妹達と合流し、刑事達が帰った頃、敵をここへ連れて来る」

 そう言ったと思った次の瞬間、風を巻いて事務所から出て行ってしまった。

「この事務所、シャワーないんだっけ?」

 まだ血の痕が落ち切っていない篠原護が葵に尋ねた。

「ないわよ。あったとしても、あんたには使わせない」

 葵はキッとして篠原を睨みつけた。篠原は肩を竦めて、

「わかったよ。じゃあ、葵のマンションのシャワーを借りるよ」

「余計ダメ!」

 葵は一足飛びに篠原に詰め寄り、彼のスーツの襟首をねじ上げた。

「冗談だって、葵さん」

 篠原は顔を引きつらせて応じた。葵はムッとしたままで手を放し、

「全く、つまらない冗談ばかり言って!」

 篠原は頭を掻きながらへらへら笑い、美咲と茜を見た。すると茜が、

「所長、私、あの強面刑事と反りが合わないので、帰ってもいいですか?」

 葵はその申し出に一瞬迷った顔をしたが、

「あんたを一人にはできないわよ。ソファをベッドにして、ロッカールームで休んでなさい。あの刑事さんには会わなくていいから」

「はい、ありがとうございます……」

 茜は力なく微笑んで応じた。すると、ドアフォンが鳴った。

「え?」

 美咲と葵は顔を見合わせた。

「もう来たのかな?」

 葵が言った。美咲は、

「まさか……。早過ぎますよ」

 苦笑いして、パソコンで外廊下の映像を観た、すると驚いた事にそこには皆村と鑑識の人間五名が立っているのが写っていた。

「皆村さん達です」

 美咲が告げると、

「ええ? もう来たんですか?」

 茜がウンザリ顔で立ち上がった。

「取り敢えず、あんたはロッカールームにいなさい。毛布があるから、それに包まって横になっていて」

 葵が言うと、茜は、

「ちょっとつらいけど、あの刑事と顔を合わせるよりマシです」

 そう言い残し、ロッカールームに入って行った。葵は美咲に目配せした。美咲は頷き、ドアに駆け寄って開いた。

「早かったですね、皆村さん」

 美咲はニコッとして言った。すると皆村は至近距離で美咲の笑顔を見てしまったせいで意識が飛びそうになったが、

「いえ、そんな事はありません! 警察はいつ如何なる時でも、迅速に行動するのが最重要なのです」

 敬礼して何とか踏ん張った。美咲は苦笑いして、

「そうなんですか。とにかく、お入りください」

 そう言って、彼等を中に導いた。

「う……」

 皆村は事務所に足を踏み入れるなり、血の臭いが充満しているのに気づき、顔をしかめた。そして、床に転がっている頭がなくなっている死体を目にした。

(何があったんだ? 事務所一面、血だらけじゃないか!?)

 刑事であるから、陰惨な殺人現場はたくさん見て来ているし、腐乱死体から白骨死体まで経験している皆村だったが、今回のこの死体にはさすがに度肝を抜かれた。

(ショットガンで撃たれたとしても、ここまで頭骨が粉砕される事はない。血の飛び散り方も銃器によるものとは思えないな)

 だが、刑事の目と感覚は失う事なく、状況を分析している。

「とにかく、血が乾き切らないうちに現場検証をすませてください」

 美咲の言葉に我に返った皆村は、鑑識の人間に作業を頼み、自分は美咲達の事情聴取を行った。

「あなた方を狙った犯行なのですか?」

 血を拭き取ったソファに葵や美咲と相対して座った皆村は、手帳にメモを取りながら言った。篠原は皆村が座っているソファの反対側の肘掛けに腰を下ろしている。

「私達の事をご存じの皆村さんにしか頼めないと思って、お願いしました。来てくださって感謝致します」

 葵が立ち上がって頭を下げた。皆村は顔を赤らめて、

「所長さんにそんな風にされると恐縮です。どうぞ、お顔をお上げください」

「はい」

 葵は顔を上げてソファに戻った。篠原が皆村の反応を見て半目になった。

「詳しい事はまだ何もわかっていませんが、国際的なテロリスト集団が動いている可能性があるんです」

 美咲が話を引き取って言った。相変わらず皆村は美咲の顔を見る事ができず、

「国際的なテロリスト集団、ですか」

 また俺達の手に負えない相手なのかよ。皆村は歯嚙みしたい心境だった。

「CIAからの情報ですから、間違いないと思われます」

 篠原が口を挟むと、皆村は申し訳なさそうに、

「ええと、どなたでしたっけ?」 

 篠原は一瞬呆れそうになったが、

「防衛省情報本部の篠原護です。水無月葵の婚約者でもあ……」

 そこまで言った時、葵に思い切り爪先を踏みつけられた。

「皆村さんと違ってスケベですけど、仕事はきっちりこなす男です」

 葵はオホホと笑いながら言った。皆村は顔を引きつらせて、

「そ、そうですか」

 何とか応じた。美咲はそれを見て、

(皆村さん、相変わらず私を見てくれないのね。所長とは普通に顔を見て話しているのに)

 何となく悲しくなってしまった。皆村は美咲の思いを感じた訳ではないが、美咲の目がウルウルしているのに気づき、

(あれ、どうしたんだろう、美咲さん?)

 彼女の感情の変化を察知していた。その時、皆村の携帯が鳴った。

「失礼」

 皆村は立ち上がって通話を開始した。

「はい、皆村」

 しばらく相手の話が続く。葵と美咲と篠原は、その会話の内容が気になり、ジッと皆村を見た。

「わかりました。こちらが片づき次第、応援に向かいます」

 そう言って携帯を閉じた皆村は、視線が集まっていたので、

「与党の幹事長が党本部の応接室で殺害されました」

 その言葉に葵と美咲と篠原は仰天した。

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