第四章 振り出しに戻る
皆村は自分の発言に美咲も葵も篠原も予想以上に驚いているので、面食らってしまった。
(与党の幹事長が殺害されたのは確かに衝撃的だが、この血塗れの現場に眉一つ動かさない人達が、一体どうしたんだ?)
経緯を知らない皆村が美咲達のリアクションに戸惑うのは無理もなかった。
「所長、黒幕であるはずの岩谷幹事長が殺されたとなると、先程の証言の信憑性が疑わしくなります」
美咲が葵に言う。皆村はハッとして美咲を見てしまった。直視は免れたが、その凛々しい顔は目の端で見ただけでも、気絶しそうだと皆村は思った。
「どういう事ですか?」
美咲の顔を直視できない皆村は、必然的に葵に尋ねる事になる。
(どうして皆村さんは所長ばかり……)
美咲の目がますますウルウルして来た。皆村は美咲の目どころか、顔すら見られなくなってしまっているので、それには気づかなかった。片や、葵にばかり話しかける皆村に篠原が警戒心を抱き始めた。
(この強面、美咲ちゃん狙いじゃなかったのかよ! それに葵も嬉しそうに応じているのが気に食わねえ!)
皆村は篠原が自分を睨んでいるのはわかった。
(そうか、所長さんはこいつと付き合っているんだっけ? あまり所長さんにばかり話しかけると、疑われるかな?)
そこでようやく、皆村はもう一人の女性がいない事に思い至った。
(大原はアメリカに出張中だって聞いたから、あの子供みたいな女に話しかけても問題ないと思ったのに)
皆村は愛想笑いをして、
「そう言えば、もう一人の女性の方はどうされたんですか? お休みですか?」
その問いかけに葵はビクッとし、美咲はドキッとした。
(まさか、皆村さん、茜ちゃんに?)
美咲の思い違いは、完全にヤキモチのレベルになっていた。彼女自身、そんなつもりはないのかも知れないが、自分に好意を持っていると思っていた男が、別の女性に興味があると思うと悲しくなってしまうのは、確実に嫉妬だろう。
「ああ、茜ちゃんならロッカー……」
篠原は皆村から葵を守りたい一心で、つい喋りそうになったが、葵の強烈な右の肘鉄を食らい、言葉を呑み込んだ。葵は作り笑いをして、
「茜は具合が悪くて早退しました」
言い繕った。皆村が何故かがっかりしたような表情になったので、
(あれ? この人、茜に乗り換えたの?)
葵までそう思ってしまった。
(そんなの嫌!)
ロッカールームのドアの近くまで毛布に包まって来ている茜は聞き耳を立てていたので、全ての会話を把握していた。
(大原さん以外の男にはもう一切興味は湧かないけど、あの仏頂面には特に興味なし! 好かれるなんて冗談じゃないわ!)
皆村は茜にまで誤解されていた。
(皆村さん……)
美咲の悲しみはどんどん大きくなっていった。美咲の表情に逸早く気づいたのは篠原だ。
(あれれ、美咲ちゃん、この刑事に気があるのかな? 悲しそうな顔してるぞ)
そして、葵に小声で、
「美咲ちゃん、あの刑事が茜ちゃんの事を訊いたせいで、泣きそうだぞ」
「まさか」
葵は篠原の妄想だと思って笑ったが、ふと美咲を見ると、確かに悲しそうに皆村を見ているので、
(美咲、あんたまさか……)
少し驚いてしまった。
「皆村さん、現場検証終わりました」
そこへちょうど鑑識の係員が声をかけたので、皆村はホッとして彼を見て、
「そうですか。では、引き上げましょう」
一緒に出て行こうとした。すると美咲が、
「待ってください。まだお尋ねしたい事があるんです」
皆村の右手を掴んだ。その途端、皆村の血圧が急上昇してしまった。顔が真っ赤になり、耳も赤くなった。
(し、死ぬ、このままでは俺は死ぬ……)
かといって、美咲の手を振り払う事などできない。その勇気があれば、美咲の手を握り返すくらいできるはずだ。
「では、自分達はこれで」
無情にも、鑑識係の面々は、頭を失った遺体を担架に載せ、採集すべきものを全て採集すると、サッサと出て行ってしまった。
(バカヤロウ!)
皆村は茹蛸のように熱くなった顔のまま、心の中で鑑識係達を罵った。
(あいつ、顔が爆発しそうだぞ)
篠原は皆村の赤くなった顔を見て噴き出すのを堪えた。
「な、何でしょうか?」
皆村は振り返りながら、やんわりと美咲の手から逃れる事ができた。接触が終了したので、彼の顔の赤みは夕日レベルから急速に薄まって来た。葵も皆村の顔色の変化に気づき、
(美咲の無意識攻撃は本当にそのうち誰かを仕留めそうだ)
そう思い、溜息を吐いた。
「あの、与党の幹事長はどうやって殺害されたんですか?」
美咲は気を取り直して皆村に尋ねた。皆村は相変わらず美咲の顔を見ないで、
「気道を一突きされて、窒息したようです。現場に行った刑事の話では、プロの犯行ではないかという事です」
「そうですか」
美咲はまだ自分を見ないで話す皆村にショックを受けていた。
(そこまで嫌われたの、私?)
だが、電話ではそんな素振りは微塵も感じなかった事を思い出す。
(この二人、相思相愛なの、もしかして?)
葵は半目で皆村と美咲を見比べた。
「ところで、皆さんは岩谷幹事長の殺害に特別な興味があるような気がしたのですが?」
皆村は葵を見る訳にもいかず、かと言って美咲を直視したら今の自分なら確実に死に至ると理解しているので、間を取って篠原を見た。篠原は強面の皆村がジッと自分を見たので、
(さっき笑ったの、気づかれたか?)
どうでもいい心配をしてしまった。篠原は自分がどこまで話してしまっていいのかわからないので、葵を見た。葵は頷いてから皆村に視線を移し、
「実は、先程ここで頭を破裂させて死んでいた男が、岩谷幹事長の依頼で私達を始末しに来たと言ったんです」
すると皆村は、美咲が言った事を思い出し、
「なるほど。だから、神無月さんは『黒幕であるはずの岩谷幹事長が殺されたとなると、先程の証言の信憑性が疑わしくなります』とおっしゃったんですね」
ほんの一瞬だけ美咲に目を向け、すぐに葵に向き直った。
(何よ、今のは!?)
美咲は段々悲しみを通り越して、怒りを覚え始めていた。
(どうしてそこまで私を無視するの?)
美咲がキッとして皆村を睨みつけているのに気づいたのは、またしても篠原だった。
(まずいな。美咲ちゃん、強面が全然自分を見ないもんだから、ご機嫌斜めになって来たぞ)
だが、葵は皆村と話の最中で、美咲の感情の変化に気づいていない。
「そういう事です。ですから、岩谷幹事長を殺害した犯人が誰なのか、知りたいのです」
葵は微笑んで皆村に応じた。皆村は葵には全く恋愛感情がないので、彼女の笑みにも然して反応せずに、
「そうでしたか。了解しました。状況がわかり次第、神無月さんに連絡します」
その言葉にキョトンとしたのは、美咲と篠原だった。
(え? どういう事?)
二人は、全く同じ台詞を思い浮かべていた。だが、皆村が「美咲一筋」だと思っている葵は、
「わかりました。皆村さんの窓口は美咲ですので、全ての連絡は美咲を通してでお願いしますね」
気を遣ったつもりでそう言った。皆村はそれを聞いてドキッとした。
(美咲さんが窓口……)
ついニヤケそうになったが、三人の視線が自分に集まっているので、皆村は、
「では、自分も失礼致します!」
敬礼をして、事務所を出て行った。
「美咲、貴女、皆村さんが好きなの?」
葵が唐突に尋ねたので、美咲はビクッとして、
「ち、違いますよ!」
すると篠原が、
「そうかあ? あの強面が、葵と話しているのを睨みつけていたぞ。あれは間違いなく嫉妬の目だったな」
美咲は口を尖らせて篠原を見やると、
「違います! 皆村さんが、あまりにも露骨に私を見ないようにしているので、ちょっと腹が立っただけです!」
「じゃあ、美咲、全然気づいていないんだ?」
葵は腕組みをし、呆れ顔で言った。美咲は、
「どういう意味ですか、所長?」
葵は肩を竦めて、
「あの人、美咲の顔を見られないのよ、好き過ぎて。わからなかったの?」
「ええ!?」
美咲はお惚(とぼ)けでも何でもなく、心の底から驚いてしまった。
「ホントにわかっていなかったのか、美咲ちゃん?」
篠原も目を見開いて驚いている。すると美咲は火照って来た顔を手で扇ぎながら、
「だって、皆村さんは職場の女性警察官の人と……」
「それは、美咲さんの思い込みだったんですよ、きっと」
ロッカールームのドアを開いて、毛布に包まった茜が出て来て言った。
「ええ? そんな……」
美咲は茜を見たり、葵を見たり、篠原を見たりしていたが、また顔が火照り始めた。
「皆村さんは、ええと……」
美咲は自分の感情がどうなってしまっているのか理解できなくなっていた。
「はいはい、その話はもう終了ね。それよりも、もうすぐ星三姉妹が来るだろうから、少し片づけましょうか」
葵は美咲がパニック寸前なので、強制終了を宣言した。茜は残念そうだったが、美咲はホッとした顔になった。篠原は肩を竦めて、
「薫ちゃんにもう一度会いたかったけど、そうも言ってられないみたいだから、俺は行くぜ」
ドアに歩み寄った。葵が、
「どこへ行くの?」
「本部に戻る。何かしらの情報は掴めると思うから」
篠原は葵にウィンクして、投げキスもした上で、出て行った。葵はそれをかわすように自分の机に走り、
「さて、掃除しちゃいましょうか」
美咲を美咲を見た。
「はい」
美咲は真顔で頷き、給湯室へと歩き出す。葵は次に茜を見て、
「あんたはロッカールームで待機してて」
「はい……」
茜はさすがに素直に応じ、毛布を肩にかけ直して、ロッカールームに戻った。
「岩谷幹事長は何故殺されたのでしょうか?」
美咲はモップとバケツを持って来て言った。葵はモップを受け取り、
「口封じかも知れないわね。ここで頭を吹き飛ばされた男と同様に」
美咲はバケツのお湯で雑巾を濡らして絞り、
「これは想像以上に大きな相手かも知れないですね。もう一度、神戸さんに連絡を取ってみます」
飛び散った血を拭き取りながら言った。葵はモップで床の血を拭き取り、
「二股はダメよ、美咲」
そう言ってニヤリとした。
「所長!」
美咲はムッとして手を止め、葵を睨んだ。
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