第二章 与党幹事長

 水無月葵達の属する忍び集団の月一族と平安の世から激しく対立して来た星一族の星薫は、葵の探偵事務所の経理事務員であり、葵の片腕的存在の如月茜を襲撃した謎の組織の白人の男を尋問しようとしていた。白人の男は恐怖に顔を引きつらせている。彼は目は開けられたが、身体は指の先すら動かす事ができないのだ。自分がこれからどんな「拷問」を受けるのか、考えているのかも知れない。そんな悪夢を想像してしまうくらい、薫の顔は怖かったのだ。

(本当にこいつ、殺したりしないよね?)

 葵も横で見ていて、薫の目があまりに冷たく見えたので、心配になった。

「言葉が通じないフリをしても無駄だ。お前が日本語に通じている事はわかっている。妙な隠し立ては一切許さない。もし嘘を吐いても許さない。 訊かれた事には正直に答える。それしか、お前が生き延びる方法はない」

 薫の脅し文句には端で聞いていた茜ですら身震いしてしまった。

(薫さん、やっぱり怖い)

 茜が薫達の事を最初に知ったのは、人気絶頂のユニットの「トリプルスター」のリーダーとしてだった。だから、星一族の人間と知った時にはショックを受けたし、落ち込みもした。しかし、今日、薫が言うには「偶然に」茜を助けてくれて、彼女は本当は優しい人なのだと思いかけていたのだ。だが、今の薫はその時の薫とは違って見えた。

「では答えろ。お前達の雇い主は誰だ?」 

 薫は白人の男の耳元に口を寄せて尋ねた。白人の男は目を忙しなく動かしていたが、

「進歩党幹事長の岩谷いわやまことです……」

 唇を震わせて答えた。薫はジッと男の目を見ていたが、

「岩谷は何故私達を襲撃させたのだ?」

 再び耳元に口を近づけて訊いた。パソコンに向かっている神無月美咲は「岩谷誠」の名を聞き、ブラインドタッチでキーボードを叩き始めている。今度は情報屋に岩谷の事を尋ねるのだ。

「月一族と星一族のせいで、橋沢龍一郎内閣が総辞職し、進歩党のイメージが悪くなったからです」

 男はジッと自分を見ている薫と葵と目を合わせないようにして言った。

「それだけ?」

 葵がしゃがんで男の顔を覗き込んだ。男はまた視線を動かして、

「それだけではありません。月一族と星一族がこれからも政府与党にとって邪魔な存在になり続けるであろうから、殲滅して欲しいと……」

 葵と薫は思わず顔を見合わせてしまった。するとそれまでずっと黙って聞いていた篠原護が、

「その件に国際的なテロリストは関与しているのか?」

 その質問に男の目が激しく泳いだ。どうやら関わりがあるらしい。薫が耳元でまた囁く。

「どうなんだ?」

 男は目を見開いた。

「む?」

 薫が眉をひそめた。その様子に気づいた葵が、

「何? どうしたの?」

 篠原も薫の反応が気になったのか、

「何だ、何があった?」

 そう言って、男に近づいた。薫は葵を見て、

「離れろ!」

 それだけ言って、彼女に抱きついて男から飛び退き、ソファの反対側に入り込んだ。篠原もそれを見てハッとなり、慌てて飛び退き、ソファに座っている茜を抱きかかえてフロアの反対側まで走り、葵の机の陰に隠れた。

「ぐげええ!」

 男はいきなり痙攣を始め、身体を反り返らせ、口から大量の泡を噴き出して、絶命した。

「どういう事?」

 葵は床から起き上がって男を見た。薫は、

「伏せていろ!」

 葵の顔を押し下げた。その瞬間、絶命した男の頭が四散した。美咲もその声に反応してパソコンの陰に身を伏せた。

「うげ!」

 様子を見ようとして顔を上げた篠原は、その血飛沫をまともに浴びてしまった。

「もう、何よ、これ!?」

 葵はムッとして立ち上がると、血塗れになった床と壁、そして天井を見渡した。薫も続けて立ち上がり、

「まさかここまでする組織だとは思わなかったな。身体に盗聴器のようなものが埋め込まれていたようだ」

 美咲はパソコンに飛んだ血をティッシュで拭いながら、

「それで、まずは青酸カリを仕込んでおいたものを破裂させ、念には念を入れて、脳を破裂させたのですか?」

 薫は血飛沫を避けながら男に近づくと、

「これか」

 ベストのポケットから取り出した薄手のビニール製の手袋をはめ、男の頭があったところから何かを摘み上げた。それはまるで蜘蛛のような形をした機械の残骸だった。大きさは縦横約十センチのものだ。

「それが広がって、そいつの頭を吹っ飛ばしたって訳?」

 葵も血飛沫を避けながら薫に近づいた。薫は葵を見て、

「微かだが、火薬の臭いがする。爆発の威力を使って広がり、頭骨を破壊したのだろう」

 すると、茜に顔に飛んだ血を拭ってもらった篠原が茜を彼女の席の椅子に座らせてから、

「俺がテロリストの関与を聞いた途端に動いたようだから、そういう事なのかな?」

 薫は篠原を見て、

「お前の話と総合すれば、それが一番理に適った解釈だな」

 葵は溜息を吐き、

「唯一の手がかりが消されてしまったわね。どうしたものか……」

 薫は手にした機械の残骸を更に取り出したファスナー付きのビニール袋に入れて、

「妹達が他の場所で捕えた連中がいる。そいつらに訊けばいい」

 篠原はピュウッと口笛を吹いて、

「さっすが、薫ちゃん、やるゥ!」

 だが、薫はそれを完全に無視した。篠原は苦笑いして葵を見た。葵は何故かムッとした顔で、

「それにこの惨状、どうする? 警察を呼んで説明するのが手間だわ」

 茜は寂しそうな顔で、

「大原さんはアメリカに出張中ですし……」

 その言葉に葵がポンと手を叩いて、美咲を見た。

「な、何ですか、所長?」

 嫌な予感がした美咲は顔を引きつらせて葵を見た。葵はニヤリとして、

「いるじゃない、私達の事情をよく知っている刑事さんが」

 茜と篠原が、ああと大きく頷いた。

「誰だ?」

 その人物に心当たりがない薫は皆の顔を順番に見た。

「はあ……」

 美咲はその人物に思い当たり、溜息を吐いた。そして、

「情報屋の皆さんからは、それらしい回答が得られませんでした。岩谷幹事長の動きは掴めていないようですね」

 パソコンのモニターを見て告げた。


 その男は、与党進歩党のビルの最上階にある幹事長室にいた。整髪料をベッタリとつけたオールバックの髪型にチャコールグレーのダブルのスーツを着ている。目つきは鋭く、見た者を射殺しそうな程だ。

「しくじっただと?」

 男はその目を更に鋭くして細めた。携帯電話を持っている右手が怒りからなのか、小刻みに震えている。

「それでこれからどうするつもりだ? 連中の情報網は政府のそれより上だぞ。我々が関与しているのが発覚するのは時間の問題だ」

 声に怒気が含まれていく。手の握力が増し、携帯が軋み出した。

「とにかく、何とかしろ。そうでなければ、成功報酬を渡さないのは勿論の事、手付金も全部とは言わんが、いくらかは返してもらうぞ」

 相手があれこれ言い訳をしているらしく、男はしばらく黙って聞いていたが、

「言葉より行動で示せ。わかったか?」

 そう言うと、通話を終え、携帯電話を閉じ、無造作に机の上に放り出した。

(橋沢のボケナスがとんでもない土産を置いていってくれたものだ)

 彼は前年の暮れ、総辞職をした内閣で総理大臣を務めた前進歩党総裁でもある橋沢龍一郎を罵った。

(やっと追い落とせたと思ったが、もう一期待つべきだった)

 口をへの字の結び、憤懣やる方ないという顔で椅子に沈み込んだこの男こそ、葵達が話題にしていた岩谷誠である。

(岩戸の爺さんが引退と引き換えに橋沢の首を要求した時は渡りに舟だと思ったが、飛んだ誤算だった)

 岩戸とは、橋沢総裁の時まで、党の最高顧問をしていた進歩党結成以来の重鎮だ。また、岩谷は知らないのであるが、岩戸老人こそ、葵達との関係を調整してくれるはずの人物だったのだ。その岩戸老人が引退した今、進歩党には彼女達とのパイプ役が存在しない。その事も、今回の件を引き起こす遠因となっていた。岩谷はシガレットケースから煙草を取り出し、

(連中の言葉に乗せられて、月と星を駆逐する計略に賛同したのは間違いだったのかも知れない)

 机の上に置かれている大きなライターで火を点け、フウッと紫煙を吐き出した。それはゆっくりと天井へ登っていきながら、消えた。その時、インターフォンが鳴った。岩谷はまだ半分も吸っていない煙草をガラスの灰皿でもみ消すと、ボタンを押して、

「何だ?」

 苛立ちを隠し切れない口調で応じた。

「お客様がお見えです」

 秘書の女性の声が応じた。岩谷は眉をひそめて、

「客? 今日は誰とも約束をしていないぞ。相手は誰だ?」

「先程お電話でお約束をされたそうなのですが……」

 岩谷の眉が吊り上がった。

「先程、だと? わかった、応接室に通せ。そちらに出向く」

「はい」

 岩谷は椅子を後ろに飛ばすようにして立ち上がると、幹事長室を出た。

(連中か? 早いな)

 岩谷はスーツのボタンを留めながら、廊下を大股で歩いた。

「只今お通し致しました」

 秘書が廊下で頭を下げ、岩谷の合図で立ち去っていく。一瞬、ドアノブを回すのを躊躇ったが、それでも意を決して回し、彼はドアを押し開いた。

(やはりそうか)

 そこにいたのは、予想通りの人物だった。岩谷は険しい顔になり、

「ここにはもう来るなと言ったはずだぞ」

 相手が座っているソファの反対側に腰を下ろして言い放った。

「我が党とあんた達が繋がっている事は決して知られてはならないんだ。手短にすませてくれ」

 岩谷は相手の顔を見ずにテーブルの上のシガレットケースから煙草を取り出そうとした。するとその右手を相手の手が掴んだ。

「何の真似だ?」

 岩谷はキッとしてソファの向こうの相手を睨みつけた。ところが、相手は怯む事なく、彼の右手をグイと引くと、空いている手の人差し指で喉を突いた。岩谷は目を見開き、顔中から脂汗を噴き出した。そして、抵抗する間もなく、そのまま息絶えた。相手は岩谷の身体をソファに寄りかからせ、サッと応接室を出て行った。

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